いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

性善説と性悪説(入試ネット流出)。 fundamentally doctrine

2011-02-27 19:37:23 | 日記
 (1)「教育」は豊富で多様な知識、識見との遭遇の中での比較分析力を通しての人格形成、
生育、成長の手段として、性善説(fundamentally good doctrine)として成り立っているから、
不正などとは最も対極に位置する社会資本、理論だ。

 多様な知識の中の「不正」論を比較分析してみせて、正義とか正論、正直、公正、公平とか
の価値観を評価してみせるのが「教育」だ。
 国家、社会で「教育」の価値、存在意義が高く評価され、いつの時代でも教育国家が尊敬さ
れる理由だ。

 (2)高校、大学の入試もふくめた試験制度では、公平で公正な機会均等の環境提供による評
価にもとづいて、正当な競争、選考が大前提とされてきた。
 この正当理論は、国民の圧倒的な合意、了解(暗黙)のもとに「教育」の性善説としてなりたっ
てきた。

 もちろん、在学中の試験での不正行為(cheat in the exam.)がない訳ではない。一時期、大
学定期試験での集団的な不正行為が発覚して、社会問題化したことはあるが、学生全体から
見れば極めてまれな限られた「異分子」だ。

 大学定期試験ごときでは、日常の講義を真面目に受けて聞いていれば不正な手段によらず
とも相応の評価は得られるものだからだ。試験の不正行為が社会に根付いて影響力を持つま
での文化力は持ち得ないのが、「教育」の性善説なのだ。
 「教育」ぐらいは、裏表のない真実、真理が根幹にあってほしいという、無限無比の善良な国
民の総意、合意、一致点だろう。

 (3)高度な教育の大学の入試では、さらにその正当理論は大前提として善良な国民総意のも
のであった。公平で公正な試験環境整備のための制約(監督制、身分証明制、個別能力制な
ど)は設けているが、あくまで実利を目指したものではなくて国民の安心感、教育の性善説を体
現する建前によるものだ。

 まぜなら、試験ではこの善良な国民の総意、合意による教育の性善説が大前提でなければ、
公平で公正な機会均等、均一な試験環境は成り立つことなど不可能だからだ。
 不正を前提とした監視システム強化では、学生に能力を存分に発揮させる環境など維持でき
ずに、たえず監視システム強化と能力発揮システムとは対極として反比例するものだ。
 教育の性善説なくして公平で公正な教育が成り立たない。

 (4)その前提で極論として言えば、試験会場で不正行為を根絶させることなど不可能に近い。
誤解を恐れずに言うなら、不正行為をやろうと思えばどんな手段でも可能だろう。それを根絶す
るには、学生ひとりひとりの監督者が必要となる極めて非効率的で不親切さで、これはあり得
ない。

 (5)26日判明した大学前期日程2次入試と私大入試で相次いで入試問題がネットに流出し、
それに第3者がネットで回答するという反社会的、反教育的行為が発生した。
 教育の性善説に公然と反逆する、現代社会近代化の克服できない性悪説(fundamentally
bad doctrine)の「病原」、「病巣」が顔を出してきた。

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