(1)三島由紀夫が生きていれば、今年87才になる。三島文学とは異質の筋骨隆々で精悍な顔つきに、社会派行動家の一面がアンチテーゼ(antithesis)としての三島由紀夫が興味深かった。
45才のまさに血気盛ん真っただ中で自決して三島由紀夫のイメージはそのまま固まったまま、「ふ」と、生きていれば今年87才になることを思い出させる作家、丸谷才一さん(87)の訃報だった。
こう見えても「旧かなづかい」には興味があって、三島文学に興味、関心を持ったのもその筋からのトライでもあった。青年作家が「旧かなづかい」を駆使して重厚な小説を書きつづる、やはりここでも三島由紀夫のアンチテーゼ(対照)が好きであった。
(2)近年になってやはり作品に「旧かなづかい」を駆使する作家として丸谷才一さんがいる。三島さんとは作風が異なるので作品には親しめなかったが、むしろ新聞での書評に数多く登場して懇切ていねいな解説には、その名前を連ねるだけで知的好奇心を煽(あお)られる安心感、存在感があった。
社会常識、良識を代表する貴重な存在として、多方面での見識、示唆を期待していたが一貫して文学の世界で晩年まで高みを目指す独自の生涯であったようだ。
(3)「ふ」と、三島由紀夫が今年87才でいたら、この社会に何を発信していただろうかと考えていた。45年の生涯で止まったままの三島イメージを引きずるしかないのだが、古典を尊(とうと)み、独自の史観論であまりにもふがいないこの社会に強烈なメッセージを発信していたであろう。87才とは思えない肉体改造で精神性を具現していたでもあろう。
当時、東大の全学連全共闘の集会にひとり乗り込んで、持論を展開して一歩も譲らずに、双方妙な連帯感を醸(かも)し出した気概、パフォーマンスは、今の混沌とした時代では尚更にもてはやされて、待望論の出るところに違いない。
(4)今の東京都知事、大阪市長の手法にわずかに伺えるところもあるが、史観論、展開論、知的好奇心に次元の違いがあり、比較問題にもならない大きな開きがある。
むしろ、現代ではノーベル賞研究者の山中伸弥さんの「知性」、「たたずまい」、「気概」に、近い雰囲気は窺(うかが)い知れるところだ。(注:ご本人はいたって謙虚で冷静なお方のようです。)
(5)①尖閣諸島の領有権問題では、実力行使(実効支配)よりは歴史観、領土、EEZ意義の展開による「対話」を駆使して、解決は別にしても堂々と(乗り込んで)中国ほかと議論、渡り合うのではないのか。
全共闘にひとり乗り込んだ時のように、中国ほかと妙な連帯感を醸(かも)し出してくれるのではないのかとの期待感はある。
②原発はそもそも好きではないはずだ。識者として近代化には一定の評価は与えるであろうが、それはあくまで日本固有、古来伝統文化の歴史観、倫理観に基づく深化が基本だ。社会のパラダイムは、固有文化を大切にした流れの中での融合(fusion)、社会成長(近代化)、深化だ。
③乱れた社会のパラダイム(paradigm)も我慢がならないはずだ。修正確立に動くだろう。当時、自衛隊の存在基盤が違憲であることを認めて(あくまで合憲とする政治的都合主義に警告して)の整合性のある憲法改正を求めての自衛隊決起であった。その自衛隊に相手にされずに失望の自決だった。
(6)三島さんが87才の今、多分多くがそうなると思っている軍国国家に導くのではなく、骨太の「理屈」に合った精神社会を指導しているのではないのかと思える。単なる平等社会論ではない、「理屈」に合った精神社会だ。
45才のまさに血気盛ん真っただ中で自決して三島由紀夫のイメージはそのまま固まったまま、「ふ」と、生きていれば今年87才になることを思い出させる作家、丸谷才一さん(87)の訃報だった。
こう見えても「旧かなづかい」には興味があって、三島文学に興味、関心を持ったのもその筋からのトライでもあった。青年作家が「旧かなづかい」を駆使して重厚な小説を書きつづる、やはりここでも三島由紀夫のアンチテーゼ(対照)が好きであった。
(2)近年になってやはり作品に「旧かなづかい」を駆使する作家として丸谷才一さんがいる。三島さんとは作風が異なるので作品には親しめなかったが、むしろ新聞での書評に数多く登場して懇切ていねいな解説には、その名前を連ねるだけで知的好奇心を煽(あお)られる安心感、存在感があった。
社会常識、良識を代表する貴重な存在として、多方面での見識、示唆を期待していたが一貫して文学の世界で晩年まで高みを目指す独自の生涯であったようだ。
(3)「ふ」と、三島由紀夫が今年87才でいたら、この社会に何を発信していただろうかと考えていた。45年の生涯で止まったままの三島イメージを引きずるしかないのだが、古典を尊(とうと)み、独自の史観論であまりにもふがいないこの社会に強烈なメッセージを発信していたであろう。87才とは思えない肉体改造で精神性を具現していたでもあろう。
当時、東大の全学連全共闘の集会にひとり乗り込んで、持論を展開して一歩も譲らずに、双方妙な連帯感を醸(かも)し出した気概、パフォーマンスは、今の混沌とした時代では尚更にもてはやされて、待望論の出るところに違いない。
(4)今の東京都知事、大阪市長の手法にわずかに伺えるところもあるが、史観論、展開論、知的好奇心に次元の違いがあり、比較問題にもならない大きな開きがある。
むしろ、現代ではノーベル賞研究者の山中伸弥さんの「知性」、「たたずまい」、「気概」に、近い雰囲気は窺(うかが)い知れるところだ。(注:ご本人はいたって謙虚で冷静なお方のようです。)
(5)①尖閣諸島の領有権問題では、実力行使(実効支配)よりは歴史観、領土、EEZ意義の展開による「対話」を駆使して、解決は別にしても堂々と(乗り込んで)中国ほかと議論、渡り合うのではないのか。
全共闘にひとり乗り込んだ時のように、中国ほかと妙な連帯感を醸(かも)し出してくれるのではないのかとの期待感はある。
②原発はそもそも好きではないはずだ。識者として近代化には一定の評価は与えるであろうが、それはあくまで日本固有、古来伝統文化の歴史観、倫理観に基づく深化が基本だ。社会のパラダイムは、固有文化を大切にした流れの中での融合(fusion)、社会成長(近代化)、深化だ。
③乱れた社会のパラダイム(paradigm)も我慢がならないはずだ。修正確立に動くだろう。当時、自衛隊の存在基盤が違憲であることを認めて(あくまで合憲とする政治的都合主義に警告して)の整合性のある憲法改正を求めての自衛隊決起であった。その自衛隊に相手にされずに失望の自決だった。
(6)三島さんが87才の今、多分多くがそうなると思っている軍国国家に導くのではなく、骨太の「理屈」に合った精神社会を指導しているのではないのかと思える。単なる平等社会論ではない、「理屈」に合った精神社会だ。