いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

国会改革が優先。 priority of the Diet innovation

2012-10-31 20:00:20 | 日記
 (1)政治の末期的症状は、政権の自らの手による公約(マニフェスト)の見直し、中止、廃止、特例公債(予算財源)法案に面と向かって非協力の野党国会で語り尽くされるが、行政府対応と立法府対応を混同してわきまえずに憲政史上初めて参院首相所信表明演説を拒否した野党に対して、今度は政府、与党は野党が政府追及に意欲をみせる衆参予算員会の開催に当てつけの消極的姿勢を見せて、まるで意地の張り合い、子どものケンカ状態の有り様となっている。

 国会議員の見識など、政治資金管理状況を見るまでもなくとっくに「ない」事態はあきらかだが、まさに末期的症状というべきだ。

 (2)首相の国会所信表明演説は、政府の政策方針、理念、政治、行政の目指すべき方向性を示すものであるが、その各党の代表質問のやり取りに到ってはデベート(debate)とは無縁の毎回、毎度おなじみの主張「言いっぱなし」に事前に準備した決まり文句の「答えっぱなし」で、質問と回答に「交錯」する部分がまったくなくての終始して、これほどむなしい問答集もないというものを見せつけられてきた。

 こういう国会形がい化した現実を無視しておいての政府、与党の国会(参院)での首相の所信表明演説の重要性を説いても、それによる国会軽視、形がい化を主張してもこれもまったく説得力のない論理の自己矛盾というものだ。
 醜態を晒(さら)し続ける前に国民の信を問うべきだし、国会改革(the Diet innovation)が緊要なものとなっている。

 (3)与野党自らの論理的自己矛盾を省(かえり)みることなく、ただ相手を非難、批判するだけの国民の意思と遊離した国会運営を質(ただ)す必要がある。

 ①国民生活、経済の原資となる予算執行権がみだりに脅かされることがあってはならずに、政権、政府に予算編成権(現在も政府専権事項)はもとよりそれを裏付ける予算執行権をまず政府に与えることだ。そうしておいての予算委員会、決算委員会の検証論議だ。

 ②首相の所信表明演説、各種委員会開催は定則化して、その論議、検証を通して問題点を改革する制度を確立する。これらを党利党略、戦術に使われることのない議会制民主主義政治のデベート基本構図は時代、変遷、変化に左右されないものを制度化すべきだ。

 ③国会議員の任期は衆院4年、参院6年としているが、立候補回数にも制限を設けて絶えず新しい政治感覚、センス、考えを政治に反映する基盤が必要だ。
 この制度による選挙回数を重ねるに従って、世襲制の弊害も自然に淘汰されるし、政治家個人と利権の関係も断ち切れる環境条件が整う。
 国民のために限られた任期中に成果をあげる集中型政治志向性が根付くのではないのか。

 ④これほどのバブルの国会議員が必要ないことは、活躍の場がない議員の数合わせ、圧力だけに利用される現実国会を見ればあきらかなので、議員定数、報酬削減策は当然だ。
 1票の効力平等化を見据えての国全体の公平で公正な統治行為(governance)に必要な議員定数、報酬を定める必要がある。

 (3)国会ほど改革が求められて、急がれているところはなく、比較反比例してのぬるま湯体質国会のままだ。国会改革が優先して必要だ。(priority of the Diet innovation)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする