(1)実に不思議な話だが、真っさらな性善説無垢(むく)の世界ならそういうこともあるかもと、おびただしい中からそこまで知るよしもないだろうと、言い訳で国民に変な理解と期待を持たせたい政治家の話だが、善意、善良、支援の政治資金(献金)の管理責任は政治資金規正法で厳しく規程されているから、「いいかげん」は許されないことになっている。
政治は、主権国家を構成する国民の意思で独立し、外国の不当な関与、誘発、介入を排除するものとして外国からのいかなる政治資金の供与、献金を禁止している。外国人の参政権を規制してきたのも同趣旨によるものだ。
(2)国会議員の収支報告の情報公開がようやく進んで不適切な収支状況が白日のものとなって、政治の質が問い質(ただ)されている。国内に居住する外国籍の人からの政治献金(political contribution)受け取り問題が後をたたない。
出来るだけ支援を広げたい政治家にとっては「(支援)いただけるものなら、何んであってもありがたい」という確信犯的な強い思いが本心でありながら、外国人からの政治献金問題については一様に政治家、資金管理団体のおびただしい日常活動、支援者の中から、事前に確認して排除することなど不可能に近いとの弁明、言い訳が必ず聞かれる。
(3)日常生活を通じて懇意にしてきたから、長い付き合いの恩人だからと確信犯的な外国人からの献金容認行為にはちょっとは心も動かされるが、そこは国民に選ばれて付託を受けた政治家としては当然やるべきことのコンプライアンス(compliance)履行で正義のパラダイム(paradigm)を自ら示してもらうことは最低限の政治責任、義務だ。
政治活動の「イロハ」、政治資金管理の「基本」なのだから、ありがたいことにおびただしい数の献金者をその時に識別などできなくても、一方で献金者に対して事前に「献金マニュアル」を示して相手側に理解と認識を持たせることは容易で、当然の義務行為として実行可能なことだ。
(4)こんな当然なことを実行しなくて、いかにも献金受け手側の把握容量オーバーに責任転嫁する精神性は、本来あってはならない善意、善良に対するいいかげんな政治資金の管理精神性を具現化しているほかにならない。
「外国人とは知らずに」のいつもの政治家の弁明、言い訳、言い回しに変にも納得することなど毛頭ないが、それなら献金側に事前に周知、判断させる方法はあるのだから、やはり「確信犯」的な不作為責任はある。
(5)政治の理想は、国、地域を超えた壮大な政治、経済、社会実験のEUのような連合体ではあるが(そうなれば外国人献金問題は強力な支援ともなるしパラドックスとして規制する「意味」もなくなる)、国の主権、独立にかかわる複数国間の政治問題、領有権問題が存在し、一方経済はグローバル化して新興国、欧米への進出に生き残り競争を懸ける二律背反の国際化社会でもある。グローバル化の中で主権、独立が脅(おびや)かされない国家制度は今は必要だ。
(6)改革が一番遅れているのが政治で、1票の格差違憲、違法状態の放置も3年を迎えて最高裁もしびれを切らした。
外国人献金問題を「外国人と知らずに」で済まそうという政治家の厚顔無恥の不作為認識が、政治と社会との大きなミスマッチだ。
献金をいただいた人にいちいち聞けないと言ってみても、趣旨から法が規制している以上やむを得ない。問題があるのなら、理屈のあう改革をしたらいい。
政治は、主権国家を構成する国民の意思で独立し、外国の不当な関与、誘発、介入を排除するものとして外国からのいかなる政治資金の供与、献金を禁止している。外国人の参政権を規制してきたのも同趣旨によるものだ。
(2)国会議員の収支報告の情報公開がようやく進んで不適切な収支状況が白日のものとなって、政治の質が問い質(ただ)されている。国内に居住する外国籍の人からの政治献金(political contribution)受け取り問題が後をたたない。
出来るだけ支援を広げたい政治家にとっては「(支援)いただけるものなら、何んであってもありがたい」という確信犯的な強い思いが本心でありながら、外国人からの政治献金問題については一様に政治家、資金管理団体のおびただしい日常活動、支援者の中から、事前に確認して排除することなど不可能に近いとの弁明、言い訳が必ず聞かれる。
(3)日常生活を通じて懇意にしてきたから、長い付き合いの恩人だからと確信犯的な外国人からの献金容認行為にはちょっとは心も動かされるが、そこは国民に選ばれて付託を受けた政治家としては当然やるべきことのコンプライアンス(compliance)履行で正義のパラダイム(paradigm)を自ら示してもらうことは最低限の政治責任、義務だ。
政治活動の「イロハ」、政治資金管理の「基本」なのだから、ありがたいことにおびただしい数の献金者をその時に識別などできなくても、一方で献金者に対して事前に「献金マニュアル」を示して相手側に理解と認識を持たせることは容易で、当然の義務行為として実行可能なことだ。
(4)こんな当然なことを実行しなくて、いかにも献金受け手側の把握容量オーバーに責任転嫁する精神性は、本来あってはならない善意、善良に対するいいかげんな政治資金の管理精神性を具現化しているほかにならない。
「外国人とは知らずに」のいつもの政治家の弁明、言い訳、言い回しに変にも納得することなど毛頭ないが、それなら献金側に事前に周知、判断させる方法はあるのだから、やはり「確信犯」的な不作為責任はある。
(5)政治の理想は、国、地域を超えた壮大な政治、経済、社会実験のEUのような連合体ではあるが(そうなれば外国人献金問題は強力な支援ともなるしパラドックスとして規制する「意味」もなくなる)、国の主権、独立にかかわる複数国間の政治問題、領有権問題が存在し、一方経済はグローバル化して新興国、欧米への進出に生き残り競争を懸ける二律背反の国際化社会でもある。グローバル化の中で主権、独立が脅(おびや)かされない国家制度は今は必要だ。
(6)改革が一番遅れているのが政治で、1票の格差違憲、違法状態の放置も3年を迎えて最高裁もしびれを切らした。
外国人献金問題を「外国人と知らずに」で済まそうという政治家の厚顔無恥の不作為認識が、政治と社会との大きなミスマッチだ。
献金をいただいた人にいちいち聞けないと言ってみても、趣旨から法が規制している以上やむを得ない。問題があるのなら、理屈のあう改革をしたらいい。