いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

言葉だけが踊っている。 step it in a wording

2014-05-03 19:55:20 | 日記
 (1)憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に変わりなく意欲を見せる安倍首相だが、政府は限定的容認として「自衛隊を他国の領土、領海、領空には原則として派遣しない」(報道)集団的自衛権とする方針を固めた。

 結局は個別的自衛権と同じ概念に限りなく近づいて、集団的自衛権の「言葉」だけが踊って(step it in a wording)成立を急ぐ意図、意味、意義に不純なもの(dishonest motive)を感じさせるものだけのものになった。
 言葉だけ踊って実体がまるで見えないSTAP細胞疑惑(doubt)と同じ展開になってきた。

 (2)憲法記念日にあわせてメディアが実施した世論調査では、憲法9条を改正すべきだと思わないが51%とかろうじて過半数を超えて、改正すべきだと思うが36%だった。
 日本の平和憲法の象徴となる戦力不保持、交戦権を認めない第9条に対して、見直しもやむを得ないとの社会的風土、世相が根強くあると判断できる。

 前回調査に比較して改正すべきだと思わない人が14%増えたがかろうじて過半数を超える程度であり、相対的に改正すべきだと思う人が10%減ったがそれでも国民の3人に1人は第9条を改正すべきだと思う意識のあることは驚きだ。

 (3)尖閣領有権問題での中国の日本の領海、領空侵犯がおさまらずに脅威に感じている国民世相も反映しているのではないのか。唯一の戦争被ばく国である日本の立場、存在感が国民的な歴史認識になっていないことが、他国の脅威、「力」には「力」で守るという政治的宣伝、言葉に踊らされている小市民的な国民意識の危うさだ。

 安倍政権の表向き後退したかに見える限定的集団的自衛権論だが、憲法改正ではなく憲法解釈変更による行使容認への固執であり、政府方針の中身の条件解釈によっては広く都合よく裁量することも残っており、「言葉だけが踊って」その実、実体の見えないものだ。

 (4)政府が「放置すれば日本が武力攻撃を受けると判断」した場合には集団的自衛権を行使する方針には変わりはない。そうまでして集団的自衛権の行使容認を急ぐのは、日米同盟による米軍軍事費削減によるアジア、太平洋地域の防衛肩代わり要請があるからだ。

 安倍首相をはじめ与党の一部の政治家がナショナリズムに訴えて、独立国の主権、国民を守ることを名目に米国とともに世界に「存在感」を誇示したい、歴史に残したい野望政治のあらわれだ。
 
 (5)日本国憲法前文にも、世界において名誉ある地位を占めたいとあるが相互不可侵による信頼のある世界が前提の中のことであり、「力」には「力」で対抗しようという危険な政治思想によるものではない。

 集団的自衛権の行使容認は、国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せず、交戦権を認めない日本国憲法のもとでは認められないのはあきらかだ。

 (6)国会の衆参両院の3分の2以上の賛成で発議し、国民の過半数の賛成が必要な憲法改正手続きでは成立の見通しがたたないことを見越しての憲法解釈変更による行使容認論だ。

 言葉だけが踊って、勢いで動かす政治は歴史を見るまでもなく危険であり、国民も社会的風土、世相に惑わされることのない判断力が求められている。
 あってはならない唯一の戦争被ばく国としての日本の役割、立場、使命を国民的な問題、課題として思い起こすことが必要だ。

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