いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

あいまいな自衛権。 vague the right of self defense

2014-05-01 19:43:03 | 日記
 (1)政府、自民党の目指す憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認は、①直接戦闘に参加するものでない(後方支援)から②個別的自衛権に限りなく近づく集団的自衛権の限定的行使容認へ、そして③ここにきて砂川事件判決よろしく政府方針に「自衛権」とのみ表現して(報道)都合よく集団的自衛権隠しを真面目に検討していることがわかった。

 自民党は砂川事件判決の「自衛権」容認判決を集団的自衛権を認めたものと勝手に解釈して憲法解釈変更による行使容認の根拠に持ち出したが、国際紛争を解決する手段としての戦力を保持せず、交戦権を有しない憲法条文、憲法精神性から、容認判決の「自衛権」は個別的自衛権とするのが矛盾のない解釈だ。

 (2)司法判決が「自衛権」としたのは、行政の裁量を将来にわたって無為に拘束しないための三権分立からの配慮であり、政策実効性、方針、主旨を明示すべき政治がこれを踏襲して「自衛権」とあいまいな(vague the right of self defense)表現にして集団的自衛権「隠し」をすることなど許されることではない。

 安倍首相は憲法解釈変更による集団的自衛権の行使容認に変わりなく意欲を示しており、政府方針の中であいまいな表記にして公明党の協力を得て国会を通し、実行しようという茶番(farce)、策略は意図が見栄見えで、安倍内閣、自民党一強時代のあまりにもあからさまな国民、野党無視の独断偏向政治のごう慢のあらわれだ。

 (3)安倍政権が憲法改正もせずに集団的自衛権の行使容認を急ごうという背景には、米軍の軍事費削減による防衛肩代わり要請がある。
 日本は日米安保条約による駐留米軍基地の提供による防衛政策を続けており、「自衛」のために集団的自衛権を行使する意味、意義など見当たるものではない。

 戦力不保持、交戦権を認めない平和憲法の中で、同盟国が攻撃された場合にそこに出向いてともに戦うことなど出来ないし、必要もないことだ。

 (4)米国に守られるだけの一方的利益の防衛政策との意見もあるが、そのための米軍押しつけの平和憲法であり、日米安保条約であり、米軍基地の提供であり、巨額の基地維持費の負担である。

 かってのアジア植民地支配、侵略占領の歴史を持ち今も中国、韓国と外交対立し、平和憲法を持つ日本が、やっていいことと悪いこと、出来ることと出来ないことがある。
 1国では国を守れない時代になったとそれもよくわからない論理があるが、GDP世界第3位でG8メンバーの日本を本気で侵攻しようという国はあるだろうか。

 (5)北朝鮮の核武装化は不気味で脅威ではあるがひとり孤立し、世界が監視、注視する安全保障バランスにあり、尖閣領有権問題で対立する中国も日本を侵攻しようという意図までは見えないし、むしろ日本とのアジア経済協力関係の必要性があるはずだ。

 すでに世界の枠組みではG8、G20の「集団的(collective)」な安全保障体制が仕組まれている。あえて日本が集団的自衛権を主張して同盟国と連携して軍事的脅威に出る必要などない国際情勢であり、それはかえって懐疑(doubt)、不信を招くだけの行動だ。

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