(1)文学はフィクションとノンフィクションに大別される。小説(novel)はフィクションだからもちろん作り話だ。荒唐無稽なものもあれば、史実、実存にもとづいた現実観(realism)を背景にして臨場感で訴える迫真ものもあるが、小説は小説だ。
作家は臨場感を求めてリアリズムに走るが、読者はフィクションにリアリズムの誘いを冷静に受け止める感性が必要だ。その中で描かれているものは作家のテーマ(theme)、テーゼ(these)にもとづいて意図的に構成されたものだ。
(2)注目の作家村上春樹さんが最近発表した小説で気に入っている北海道の小さな町を実名で描いて、ここはタバコのポイ捨てが日常茶飯事だ(趣旨文章)と表現したところ、同町会議員から町のイメージを損なうと抗議を受けて、何しろ注目の人気作家の村上春樹さんの小説なだけに注目度も高く、メディアでも大々的に取り上げられて話題になった。
住民からも抗議が相次いでついには村上春樹さんの意向により単行本での発刊に際しては、それこそ架空の町名に書き換えて表現することになった。
(3)村上春樹さんとすれば、自身気に入っている町に迷惑をかけることは本望ではなく(報道)作家としての自己主張を取り下げての町名書き換えで、それが作家としての本意であったのかどうなのか、大人としてひとりの責任ある人間としての良心からくる事態をおさめるための方法論、方便であったのかはわからない。
そもそも作り話の小説に実名が使われているからといって、どれほどまでに現実感(realism)を求めるのかはかなりむずかしい、もどかしい基準だ。
(4)実名で書かれた町を訪れたことはないので同小説の内容事実はわからないが、実名で書かれているからといって小説は作り話であり、作家の意図、テーマ、テーゼに導かれて自由自在に演出されるものであり、実名を使った手法も臨場感を高める、読者にわかりやすくシチュエーションを設定するための構成手段でもある。
そういう作家の意図、テーマ、テーゼを理解したフィクションとしての読者意識、解釈を持って受け取る必要のある命題だ。
そうでなければ小説作家としての創造性、想像性、発展性、展開性、意外性が制約されて、読者の楽しみ、興味が薄れるというものだ。
(5)そこえきて今度は漫画「美味しんぼ」で「福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面」(報道)が描かれて、町が「許し難い風評被害を生じさせ、差別を助長」(要旨)すると発行元に抗議文を送った。
あまりにも「被害現実的」で強烈な「社会問題性」を帯びた政府と国民を二分するインパクトのあるテーマで、こちらは慎重な取り扱いが求められる命題だ。さっそく「福島県には住めない」などの反応(報道)が寄せられているという。
前双葉町長も自身の経験からこれは事実だと述べている(報道)が、漫画フィクションであり作者のほうでもっと表現の方法論があったのではないのか。そこがフィクションの利点でもある。
(6)フィクションでありながら、①社会マナーと社会問題、②人間の日常心理に潜む弱さ、自由奔放の文学的な対比描写と社会資本による国民加虐描写の問題深刻さの違いが両者の立場の違いであって、同じフィクションでも理解できる命題の範囲は別だ。
作家は臨場感を求めてリアリズムに走るが、読者はフィクションにリアリズムの誘いを冷静に受け止める感性が必要だ。その中で描かれているものは作家のテーマ(theme)、テーゼ(these)にもとづいて意図的に構成されたものだ。
(2)注目の作家村上春樹さんが最近発表した小説で気に入っている北海道の小さな町を実名で描いて、ここはタバコのポイ捨てが日常茶飯事だ(趣旨文章)と表現したところ、同町会議員から町のイメージを損なうと抗議を受けて、何しろ注目の人気作家の村上春樹さんの小説なだけに注目度も高く、メディアでも大々的に取り上げられて話題になった。
住民からも抗議が相次いでついには村上春樹さんの意向により単行本での発刊に際しては、それこそ架空の町名に書き換えて表現することになった。
(3)村上春樹さんとすれば、自身気に入っている町に迷惑をかけることは本望ではなく(報道)作家としての自己主張を取り下げての町名書き換えで、それが作家としての本意であったのかどうなのか、大人としてひとりの責任ある人間としての良心からくる事態をおさめるための方法論、方便であったのかはわからない。
そもそも作り話の小説に実名が使われているからといって、どれほどまでに現実感(realism)を求めるのかはかなりむずかしい、もどかしい基準だ。
(4)実名で書かれた町を訪れたことはないので同小説の内容事実はわからないが、実名で書かれているからといって小説は作り話であり、作家の意図、テーマ、テーゼに導かれて自由自在に演出されるものであり、実名を使った手法も臨場感を高める、読者にわかりやすくシチュエーションを設定するための構成手段でもある。
そういう作家の意図、テーマ、テーゼを理解したフィクションとしての読者意識、解釈を持って受け取る必要のある命題だ。
そうでなければ小説作家としての創造性、想像性、発展性、展開性、意外性が制約されて、読者の楽しみ、興味が薄れるというものだ。
(5)そこえきて今度は漫画「美味しんぼ」で「福島第一原発を訪れた主人公らが原因不明の鼻血を出す場面」(報道)が描かれて、町が「許し難い風評被害を生じさせ、差別を助長」(要旨)すると発行元に抗議文を送った。
あまりにも「被害現実的」で強烈な「社会問題性」を帯びた政府と国民を二分するインパクトのあるテーマで、こちらは慎重な取り扱いが求められる命題だ。さっそく「福島県には住めない」などの反応(報道)が寄せられているという。
前双葉町長も自身の経験からこれは事実だと述べている(報道)が、漫画フィクションであり作者のほうでもっと表現の方法論があったのではないのか。そこがフィクションの利点でもある。
(6)フィクションでありながら、①社会マナーと社会問題、②人間の日常心理に潜む弱さ、自由奔放の文学的な対比描写と社会資本による国民加虐描写の問題深刻さの違いが両者の立場の違いであって、同じフィクションでも理解できる命題の範囲は別だ。