(1)昨年、東海道新幹線内で乗客をオノで切りつけて3人を死傷させた事件の被告に無期刑が求刑された。被告は「反省なく、再犯必至」(報道)といわれ、供述では通路側に座席を取って窓側の乗客を確実に攻撃したといわれる計画性の高い犯罪だ。
亡くなった1人は負傷者を助けようとしてオノで執拗に攻撃された結果といわれる。
(2)死刑制度には問題点もあり検証、再考は必要だが、死刑制度がある日本でもこんな理不尽(unreasonableness)、残虐な犯罪でも一人殺害ではまず死刑判決にはならない。
裁判は判例主義(a judicial precedentism)がとられて、過去の判例と照らし合わせて公平、公正性が比較されて「1人」殺害ではまず死刑判決はでない。
人間の命が「1人」と複数で区別されて比重にかけられるなど公平、公正性からもおかしな論理であり、被害者家族にとっては到底理解できない不条理、矛盾だろう。
(3)犯罪に対する裁判判決は普遍的真実のものであり、時代、社会、歴史、時間によって異なるものではないが、しかし犯罪は時代、社会、歴史によって変化し多様性(diversity)を帯びてくるものだ。
戦後の混乱期、食べるものもない大変な時代、高度経済成長期、核家族化、近代文明化、情報化時代では犯罪の目的、意図、手段、方法も変化してきている。
(4)冒頭事件のように不特定多数のつながりのない無差別で逃げる場もない人々のいる新幹線内で衆目の中で凶行を実行する確信的犯罪などかっては考えられない時代的事件だ。
比較は正しくはないかもしれないが、食べていくことも大変な時代で食料、カネを求めて犯罪を犯すのとは目的、意図も理解できない無差別犯行とでは基本的な違いがみられる。
そういうものと一緒にして時代、社会、背景、歴史を考慮しないで過去の判決、判例を公平、公正性基準で判決適用する「判例主義」は人間の尊厳、価値観、存在意義を裁くのにふさわしいのか、よく考えなければならない。
(5)たとえば人が人を裁く不条理の世界が「裁判」だとしても(それが裁判の公平、公正性の判例主義だが)、それなら極端に言えば「裁判官」は必要ないことになり、裁判は真実、真理解明だけであり(それはそれで重要ではあるが)、犯罪の悪質性、凶暴性、時代性、社会性、付随性などを比較、検証、判断して判決を決めることなどしないに等しいことになり、これでは裁判官はいらない「AI」にとってかわられることになる。
亡くなった1人は負傷者を助けようとしてオノで執拗に攻撃された結果といわれる。
(2)死刑制度には問題点もあり検証、再考は必要だが、死刑制度がある日本でもこんな理不尽(unreasonableness)、残虐な犯罪でも一人殺害ではまず死刑判決にはならない。
裁判は判例主義(a judicial precedentism)がとられて、過去の判例と照らし合わせて公平、公正性が比較されて「1人」殺害ではまず死刑判決はでない。
人間の命が「1人」と複数で区別されて比重にかけられるなど公平、公正性からもおかしな論理であり、被害者家族にとっては到底理解できない不条理、矛盾だろう。
(3)犯罪に対する裁判判決は普遍的真実のものであり、時代、社会、歴史、時間によって異なるものではないが、しかし犯罪は時代、社会、歴史によって変化し多様性(diversity)を帯びてくるものだ。
戦後の混乱期、食べるものもない大変な時代、高度経済成長期、核家族化、近代文明化、情報化時代では犯罪の目的、意図、手段、方法も変化してきている。
(4)冒頭事件のように不特定多数のつながりのない無差別で逃げる場もない人々のいる新幹線内で衆目の中で凶行を実行する確信的犯罪などかっては考えられない時代的事件だ。
比較は正しくはないかもしれないが、食べていくことも大変な時代で食料、カネを求めて犯罪を犯すのとは目的、意図も理解できない無差別犯行とでは基本的な違いがみられる。
そういうものと一緒にして時代、社会、背景、歴史を考慮しないで過去の判決、判例を公平、公正性基準で判決適用する「判例主義」は人間の尊厳、価値観、存在意義を裁くのにふさわしいのか、よく考えなければならない。
(5)たとえば人が人を裁く不条理の世界が「裁判」だとしても(それが裁判の公平、公正性の判例主義だが)、それなら極端に言えば「裁判官」は必要ないことになり、裁判は真実、真理解明だけであり(それはそれで重要ではあるが)、犯罪の悪質性、凶暴性、時代性、社会性、付随性などを比較、検証、判断して判決を決めることなどしないに等しいことになり、これでは裁判官はいらない「AI」にとってかわられることになる。