(1)昨年6月の新幹線内の乗客3人殺傷事件は、1審で被告に無期懲役刑が言い渡された。報道によると被告は控訴しないと宣告して裁判長の制止を無視して大声で万歳をくり返したといわれる。異様な光景だ。
被告は障害性があると診断されたが犯行に影響はないと判断された。被告の精神状態がどうだったのかわからないが、裁判所(長)に対してあてつけがましい、勝ち誇ったかのような行動(万歳)には、人が人を裁く不条理(unreasonableness)の世界の裁判の限界を感じるものだ。
(2)仮に死刑判決であっても被告の態度は変わらなかったと思われるが、日本の刑法は報復主義をとらずに判例主義であり、犯罪者の更生、社会復帰を目指すものであり、世界のすう勢は死刑制度廃止が大勢を占めている。
(3)もうひとつ、元官僚が引きこもりの長男のたび重なる家庭内暴力に長男を殺害した事件では、1審は被告に求刑8年に対して6年の懲役実刑判決をい言い渡した。弁護側が執行猶予を望んだが、裁判長は「強固な殺意に基づく危険な犯行」(判決要旨ー報道)として実刑判決を言い渡した。
被告は元官僚として行政に責任のある立場にあり、長男がこうなる前に適切な対応、判断、行動をとることができるし、とるべきであったことは自明であり、そうしなかったことは大きな禍根であった。
(4)あえて言及すれば元官僚であるがゆえに問題を公にできない自己保身が働いたのか、供述によると最後は自身、他人、社会に多大な危険被害を及ぼす危惧からの犯行だったと考えられる。
どういう理由があれ、人が人を殺害することは国家、法律であっても許されるものではないというのが死刑制度廃止のひとつの理念であり(誤審もある)、父親として子育て、教育、社会責任が十分でなかった結果としての自己責任あり、長男殺害で決着をつける行為には情状酌量の余地はなかった。
(5)冒頭例と違って被告本人にとっては自覚の上でやむを得ない選択の確信犯的犯罪であり、どのような判決でもすべてを受け入れて罪を償う覚悟はできていたのであろう。願わくばこういう事件を受けて、今日的教育、社会問題となっているいじめ、ハラスメント、家庭内暴力について当事者だけの問題とするのではなく、国、社会、組織、一体となって連帯、協力して対応、改善する制度、体制をつくり上げることが求められている。
(6)冒頭例で犯罪者被告が偏向(bias)した自らの信念、行動を英雄視っするような錯覚に対して、それでも更生、社会復帰を目ざす裁判の限界と書いたが、加害者と被害者の利益、責任、心情、背景、尊厳についても踏み込んだ観察、分析、判断が必要だ。
国、社会、国民の正義、モラル、パラダイム(paradigm)を守るのは司法の役割だ。
被告は障害性があると診断されたが犯行に影響はないと判断された。被告の精神状態がどうだったのかわからないが、裁判所(長)に対してあてつけがましい、勝ち誇ったかのような行動(万歳)には、人が人を裁く不条理(unreasonableness)の世界の裁判の限界を感じるものだ。
(2)仮に死刑判決であっても被告の態度は変わらなかったと思われるが、日本の刑法は報復主義をとらずに判例主義であり、犯罪者の更生、社会復帰を目指すものであり、世界のすう勢は死刑制度廃止が大勢を占めている。
(3)もうひとつ、元官僚が引きこもりの長男のたび重なる家庭内暴力に長男を殺害した事件では、1審は被告に求刑8年に対して6年の懲役実刑判決をい言い渡した。弁護側が執行猶予を望んだが、裁判長は「強固な殺意に基づく危険な犯行」(判決要旨ー報道)として実刑判決を言い渡した。
被告は元官僚として行政に責任のある立場にあり、長男がこうなる前に適切な対応、判断、行動をとることができるし、とるべきであったことは自明であり、そうしなかったことは大きな禍根であった。
(4)あえて言及すれば元官僚であるがゆえに問題を公にできない自己保身が働いたのか、供述によると最後は自身、他人、社会に多大な危険被害を及ぼす危惧からの犯行だったと考えられる。
どういう理由があれ、人が人を殺害することは国家、法律であっても許されるものではないというのが死刑制度廃止のひとつの理念であり(誤審もある)、父親として子育て、教育、社会責任が十分でなかった結果としての自己責任あり、長男殺害で決着をつける行為には情状酌量の余地はなかった。
(5)冒頭例と違って被告本人にとっては自覚の上でやむを得ない選択の確信犯的犯罪であり、どのような判決でもすべてを受け入れて罪を償う覚悟はできていたのであろう。願わくばこういう事件を受けて、今日的教育、社会問題となっているいじめ、ハラスメント、家庭内暴力について当事者だけの問題とするのではなく、国、社会、組織、一体となって連帯、協力して対応、改善する制度、体制をつくり上げることが求められている。
(6)冒頭例で犯罪者被告が偏向(bias)した自らの信念、行動を英雄視っするような錯覚に対して、それでも更生、社会復帰を目ざす裁判の限界と書いたが、加害者と被害者の利益、責任、心情、背景、尊厳についても踏み込んだ観察、分析、判断が必要だ。
国、社会、国民の正義、モラル、パラダイム(paradigm)を守るのは司法の役割だ。