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いのしし くん。

政治、経済から音楽全般の評論
ultimate one in the cos-mos

防衛相の心配事。 concern of a minister of defense

2018-05-24 20:22:15 | 日記
 (1)小野寺防衛相が「(前防衛相の)大臣指示に適切に応えられなかった。文民統制にかかわりかねない重大な問題だ」(報道ー( )内は本ブログ注)とイラク日報問題で自衛隊トップの幕僚長ら17人を処分した。

 防衛省は前防衛相が残っていないとしたイラク日報がすでに1年前に自衛隊内に存在していたことを確認していた経緯などの調査結果を公表した。防衛省の組織的隠ぺいを否定した報告内容の是非はここでは別にして、統幕が今年2月に上記経緯の報告を受けた後も小野寺防衛相への報告に1か月かかった(報道)二重の報告遅滞行為に対してシビリアンコントロールへの不信、懸念、危機を表明したものだ。

 (2)現防衛相が防衛省内のシビリアンコントロールへの不信、懸念、危機を表明したことはまさに国家防衛実力組織として「重大な問題」だ。防衛省は国家防衛機関として国家機密情報が多く、内部は閉ざされた組織で何がどうなっているのか国民にはよくわからない伏魔殿でもある。

 そこが防衛省、自衛隊の統制基本理念のシビリアンコントロールが働いていないとなると、現防衛相が危機感を示したということは国家統治、行政指導に重大な懸念、危機が横たわっているという国民にとって重要な危険な情報である。

 (3)自衛隊組織の責任者の処分でこと足りる問題とはならない。組織は次から次と責任者、役職者が変わるだけで体質が変わらなければ本質は変わらないことになるので、変革見極めが求められる。

 保守思想の強い政治理念を打ち出す安倍政権で、自衛隊の役割、存在はこれまでの政府見解の個別的自衛権の行使範囲から安倍首相が拡大解釈して集団的自衛権の行使容認に転じて(国会多数で安保法制を強行成立)、日米軍事同盟に組み込まれて際限のない自衛隊の海外派遣を容易にして変化させてきた。

 (4)防衛省内でもこれまでの背広組(官僚)主導の組織から制服組(自衛隊)の地位、立場を向上させて制服組の防衛相への助言など影響力を高める組織改革を進めてきた。

 今回の南スーダン、イラク日報問題での自衛隊内で証拠隠ぺい体質、防衛相への情報隠し、報告の大幅な遅れはこの組織改革の流れと無縁ではないだろう。

 (5)だから今回の自衛隊組織責任者の処分だけでは国家防衛機関の組織的危機への抜本的対策、改善にはならない。自衛隊法を改正して制服組の地位、立場を向上させて防衛相への影響力を格段に高めた組織系統を見直す必要がある。

 国家防衛実力組織の防衛省、自衛隊はシビリアンコントロールが統治基本理念であり、当の小野寺防衛相がシビリアンコントロールに不信、懸念、危機を示しているなら組織内の背広組主導の統治体制に戻す英断が必要だ。

 (6)自衛隊法を改正して制服組の地位、立場を向上させたのだから、元に戻すことは容易ではない。現行新体制の中で背広組の組織系統を変革してシビリアンコントロールが機能する系統権限体制を上乗せする構造改革が小野寺防衛相の不信、懸念(concern of a minister of defense)に応える道だ。

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悲劇。 tragedy

2018-05-23 20:08:37 | 日記
 (1)日大アメフト選手による「あり得ない」危険な反則行為については、異常性(extraordinariness)が続く。日大アメフト監督がその後しばらく雲隠れして責任を取ろうとせずに、ようやく表に出てきたら世間が聞きたいことは文書で示すの一点張りで何にも語ろうとせずに消えた。同監督は日大組織の人事権を握る理事も務める。

 (2)定期戦での危険な反則タックル行為について、被害者の関学大選手の家族は加害選手を傷害罪で告訴することになった。
 スポーツの危険な反則行為はスポーツのルールの中でペナルティを科すのが通則で、退場や試合出場停止、罰則金、追放など処分がある。

 集団スポーツはフェアプレーを基本とするが、激突プレーで反則はつきもので勝敗を左右することもある危険なものだが、これがいちいち法律上の危険迫害行為として処罰の対象となってはスポーツは成り立たない。

 (3)プロ野球では打者への危険な投球に対して危険な投球で仕返しをすることがあったり、近年はルールで禁止されたが捕手への危険な体当たりスライディングは故意性の高いもので、これらが法律上の危険迫害行為として訴えられたという話は聞かない。プロ野球組織が自主的にルールで規則、規制、処分するものだ。

 (4)今回の「事件」の傷害罪の告訴は、加害大学、同アメフト関係者が適切な責任、謝罪、対応を取らずに時が過ぎたことに対して被害選手の家族が決断したものと受け取られるが、ボールを放した無防備の相手選手にうしろから低いタックルに入るというスポーツルールの域を超えた危険損害行為ではあったが、やはりスポーツルールで決着をつける必要があった。
 スポーツの自律性、自立性、自主性、規制力が働かなくなれば、スポーツの醍醐味、ダイナミズム(dynamism)を失うからだ。

 (5)ひとつ間違えば被害選手の生活、生涯に重い負担を負わせる危険行為であり、二度とこのようなことがないよう警鐘として法律上の責任を負わせるというのも考えられないことはない利益ではあるが、スポーツ界全体がこれを契機にフェアプレー責任、コンプライアンスを自覚、履行、遵守することで反省し、出直して自ら律することでスポーツの文化、哲学、パラダイム(paradigm)を守る、持続する能力を示すことが優先されて、大切で必要なことだ。

 (6)加害選手が弁護士を伴った昨日にひとり謝罪の会見を開いた。報道の経緯によると、加害選手は危険な反則タックル行為について悩み、反省して同大アメフト関係者に被害選手への直接謝罪やその背景について説明したい意向を伝えたが慰留された結果、単独謝罪会見になったといわれる。

 本人は危険な反則タックル行為は監督、コーチの指示だと証言しているが、プレー中の選手の行為責任は送り出した監督がすべて責任を負う立場のものであり、本来は監督が出てきて説明し、謝罪と責任を述べる立場にあった。(本日、選手会見から1日遅れで謝罪会見)。

 (7)選手謝罪会見の同席の弁護士は関学大への謝罪の意味もあり加害選手の顔、氏名を公表しての会見であることを強調していたが、責任の取り方も集団スポーツの選手と監督の立場、関係からはそうすべきものではなかった。

 今回の「事件」で最も指摘されなければならないのは、日大組織の不適切な対応だ。監督は同大組織の理事でもありしばらく雲隠れして説明対応が遅れたことに対して、主導して説明責任を果たすべく行動を示す立場にあった。

 (8)また加害選手の個人としての謝罪会見を回避すべきであって、これに対して日大広報が日大として何も申し上げることがないと他人事のような対応をしているが、おそまつであった。

 ひとつのスポーツが世間を揺るがして異常な事態が続いて、被害選手の家族、加害選手だけが矢面に立たされるという悲劇(tragedy)を見せられた。

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証拠を出せ。 produce testimony

2018-05-22 20:06:21 | 日記
 (1)安倍首相は最近の国会集中審議で、野党質問者が国会招致された柳瀬元首相補佐官を個人的に知っておりうそをつくような人ではないとして加計学園獣医学部新設で安倍首相の意向が働いていたのではないのかと追及されて、これに色をなして証拠があるなら出してほしいと反論、否定していた。

 この光景だけをみれば証拠など出てくるはずもないとタカをくくっての反論のようにも見えた。

 (2)ところがその国会の要請を受けて、一方の当事者の愛媛県が特区事業での交渉にかかわる所掌課の経緯記録文書を提出、公表して、そこに「獣医師養成系大学の設置に係る加計学園関係者との打ち合わせ会等について 15年3月」というのがあり、「加計学園からの報告」として〔2月25日に理事長が首相と面談。~首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね」とのコメントあり。〕と記載されている。

 (3)安倍首相はこれまで一貫して加計学園獣医学部新設を知ったのは事業者認定された「17年1月20日」だったと国会答弁してきた。
 愛媛県が国会の要請を受けて提出した経緯記録文書内容とはあきらかに違うこれまでの安倍首相の国会答弁だ。

 同文書「(当時の)柳瀬首相補佐官の主な発言」〔( )内は本ブログ注〕では「本件は首相案件となっており」というのもある。
 加計学園側は「理事長が15年2月に総理とお会いしたことはございません」(報道)とこれを否定している。

 (4)とは言っても証拠を出せと言った安倍首相に対して新証拠文書が提出されたのだから、安倍首相はこれに答えなければならない。加計学園側がいくら15年2月に会っていないとコメントしたからといって、愛媛県の経緯記録文書内容が即座に否定されるものではなく、提出文書に沿った事実関係について示してほしいとでも反論するのだろうか。

 首相には1日の行動記録が克明に記録されており、それをひも解いてもその事実はもちろんこれまでも出てきていない。それ(首相行動記録は1年で廃棄)を見越した反論ということになる。

 (5)そうすると愛媛県のかなり詳細にわたる経緯記録文書はいいかげんな文書なのかということになるが、具体的な言葉のこまかい行き違いはあっても「2月25日に理事長が首相と面談」したと加計学園が言ったということについてまでつくりごととは考えにくい。

 加計学園側がこれを否定しているなら、どうしてそんな発言報告を愛媛県側にしたのか逆に意図が問題となってくる。特区事業に選ばれるために虚偽報告をしたというなら特区事業の選定にもかかわる問題だ。

 (6)直接愛媛県がかかわったことではなく、打ち合わせで加計学園から出た報告という「又聞き」であることが証拠、根拠としてどうかということであり、まして当の加計学園側はこれを否定しているというからややこしい。

 これには会った場所の記載はなく、15年2月25日の加計学園理事長の行動記録があきらかにされなければ加計学園の否定を覆す証拠とはできない。

 (7)安倍首相としては加計理事長との長い付き合い、友人関係を明言しての特区事業で唯一の加計学園獣医学部新設であり、自らの意向、関与を否定し続けなければならずに次から次の状況変化からは苦しい対応に迫られる事態が続いている。

 
 

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監督責任論。 theory of responsibility of supervision

2018-05-21 20:23:28 | 日記
 (1)日大と関学大のアメフト定期戦での「ありえない」危険な大反則行為について、一部で日大内田監督が指示したとする関係者の発言報道もあり(当人は否定)、もし仮にそうだとすれば公式戦ではない定期戦だからの軽い気持ちがあったのか、危険な大反則を冒した同選手は直後にも2度、3度と暴力行為を働いて退場処分になったが、ベンチに還った同選手を監督もコーチングスタッフもとがめることなくゲームを続けたことが映像でわかっている。

 (2)ゲーム中に選手をその場で注意、指導する行為は、あるいはゲームの士気全体を弱めることにもなり、ゲーム後に直接反省指導することはあるのかもしれない。
 ゲームでの反則の「責任」は選手にあるのではなく、これまで指導してきた「監督」にあるのは間違いないので、その場で反則行為選手をとがめるのは筋違いなのかもしれない。

 「監督」は戦法、作戦、メンバーを決めるだけのものではなく、ゲームに送り出す選手のすべてに「責任」を持つものでなければならないオールラウンドの立場のものだ。
 スポーツの「表」(ゲーム)と「裏」(ロッカールーム)の顔について考えられる相反する実情を書いたが、選手が「裏」の顔をゲームで出してはスポーツの信条は成り立たないフェアゲームが本質本論だ。

 (3)上述したように公式戦ではない定期戦だからの安易な気持ちがなかったのか、検証されなければならない。もうひとつ人間には間違いはつきもので、人生、哲学、仕事、スポーツなどあらゆるところで確率としてその間違える能力を最大限少なくするために訓練があり教育があり指導がある。

 「監督者」としてはそのための有効で効果的な方法論(methodology)を導き出して、構成員に普及、定着させることが目的であり目標だ。

 (4)今回の「事件」で第一の問題は、危険な大反則行為の選手を出した日大内田監督がゲーム後数週間にわたって雲隠れしたことだ。少なくともチーム、ゲームのオールラウンドの監督責任のある内田監督が自ら「表」に出て大反則行為について監督としての説明責任を果たすべきであったが、そうはしなかった。

 人間は常に間違いの可能性のある存在だと書いたが、もちろんその間違いに気づき、訂正し、反省し、時には謝罪し責任を負わなければならない。
 今回の「事件」はその当然の「監督」としての「責任」の取り方をしなかったことが問題をさらに複雑にのっぴきならないものにした。

 (5)大学は教育、研究とスポーツ促進は同一性のダイナミズム(dynamism)と位置付けられて、大学におけるスポーツの意義、存在は大きい。いちクラブの問題としてだけでなく大学組織としても責任を明確にして、監督を含めて大学全体の問題、責任として取り組む必要があったが、これもそうはならなかった。

 日大アメフト部の内田監督は、一時低迷していた日大アメフト部を再び大学日本一に導いた功績も認められたのか、日大理事も務めている。日大としてはなおさらに組織としての責任が問われて必要な状況にあった。

 (6)日大による関学大に対する反則行為の説明謝罪文書も関学大の理解を得られずに、後日に再回答が約束されている。
 今回の「事件」での対応で日大の組織評価の低下は避けられずに、社会の指標となるべく信頼を失墜した。

 人間の「間違い」はすべてを知る当事者が早く説明し、反省し、理解と責任を果たすことが唯一の解決への方法論だ。

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裁判員裁判の9年。 trial of civil judgement for 9 years

2018-05-19 20:16:08 | 日記
 (1)裁判員裁判(trial of civil judgement)のことがあまり話題にならなくなって社会に定着したのか、施行9年を迎えて裁判員の辞退率が年々上昇し17年は66.0%に達し、18年3月での統計で69.6%と高い確率となっている。

 (2)70%近くが辞退する制度というのは、制度として成り立たなく見直しが求められる。当初、裁判判決に市民感情を取り入れるとして実は裁判官の裁判かけもちの不足を補う制度として導入されたものだが、裁判員裁判の判決が専門裁判官の上級審で否決されるなど司法制度の趣旨、実効性に自己矛盾の問題も出ていた。

 (3)日本は儒教思想に根差した社会思想国家としてかっては父権社会が基盤となっており、社会、市民が裁判で正義を守るという理念、理想になく、市民が社会正義の実行者、歴史の米国社会の陪審員制度のように定着するのはむずかしく、むしろ日本では市民が参加する検察審議会制度の方が国民性、社会性に合っていると書いたが、70%近くが辞退する裁判員裁判というのは完全に機能性を失っている。

 (4)裁判官の育成強化を目指した法科大学院は定員不足が続いて維持できない大学も多く、法科大学院の取りやめも続いて目的が実現できずに裁判官育成強化の方針が崩壊している。

 国会、政治では特定秘密保護法に安保法制、共謀罪に1票の格差、憲法改正と国民の権利、生活に影響力の大きい重要な敏感な(sensitive)政策問題が続いており、国民の権利、生活を守るための司法の判断が求められる機会も増す中で、裁判官の充実にここにきての裁判員裁判の役割も重要性を増している。

 (5)裁判員裁判は国、政治の政策に対する司法判断にこそ必要なものであり、これに限定して実施することが趣旨、目的に添うものだ。そもそも裁判の特質性から裁判員に守秘義務を課せられるというのも精神的負担も大きく、パラドックス(paradox)として健康上の問題で裁判員が精神的苦痛を理由に裁判に現状回復を訴えるという事例もみられる。

 (6)こうなるとどういう意味、趣旨、目的の裁判員裁判制度なのか、制度対策、見直しが必要だ。裁判官の充実強化のために将来に及ぶ身分保障の強化を進め、教育制度も充実する政策が必要だ。

 日本社会の成り立ちから専門裁判官による司法制度は基本として、裁判員は政治、政策、経済問題に限定して実施するのが理想だろう。

 (7)そのほかは市民参加による検察審査会制度での国民感情をいかした判断が適切な方法論(methodology)だ。
 裁判が国民にとって身近なものとなるのは社会正義の論理から間違いではないが、日本の社会思想、文化に合った方法論でなければ機能しない。

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