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枕叩いて叫んでも夢の国に着けないという事実~きんぎょ注意報より

2017-03-25 | ブログ関連









う~ん、
例えば、同じような言葉一つとっても
ストレートに伝わる人と
そうじゃない人がいて、
自分は間違いなく後者の方なんですよね。

「他人と比べるな」「本当の敵は自分」って言うけど、
物凄いスーパースターみたいな人がいて、誰からも愛されてる人がいて
それらと自分を比べると「自分って一体・・・(汗)」ってなるじゃないですか?
少なくとも自分はそう。


感性一つとっても、
「あ、意外と自分はズレちゃってるのね。」って思うと
「あれ、自分の存在って大丈夫なのかな。。」と感じてくる
この先、本当の意味で笑顔で居られる日々が来るイメージが一切沸かない時間がどんどん多くなって来てて
そうなるとわざわざ生きる事に対してすらどこか拭い切れない空しさのようなものが付き纏う訳ですよ。

「空しい」という表現は本当に秀逸ですよね
文字通り空っぽ、っていう。
なんか頭の中では常に「最悪のイメージ」が付き纏ってて
かといって、それが間違ってるかと言えば、意外とそうでもなく。。


四六時中「自分以外の全員が正しくて、自分だけが間違っている。」という感覚に陥るので
ここ数年はずっと生きててもなんだか苦しみを感じるだけだなあ、というか、
それがいつしか溜め息交じりの空しさに変わっている・・・という。
結局、何も残らなくて
なんとなく満たされた振りしてなんとなく妥協しながら生きていくしかなくて、
でもそんな日々にふと無意味な気持ちを抱いたりもしている、、、そんな日々です。最近は。




枕たたいて 叫んでも
夢の国に 着けない (パクきんララバイ/内田順子-「きんぎょ注意報!」より)



最近、「きんぎょ注意報!」のアルバムよく聴いてますけど、
この曲のこの歌詞のところでふと泣きそうな気持ちになるんですよ(笑
「泣きそうになる」んじゃないですよ
「泣きそうな気持ちになる」んです
つまり、泣ける訳じゃなく
ただただ悲しい気持ちになるだけ。。っていう

「みんなの共感を得れる人間」と
「自分」は明確に違う
「替えの利かない存在」と
「単なる代用品」では天と地の差があります
本当は前者になってみたい気持ちもあったんですけど、
結局は枕叩いて叫んでも(必死で頑張っても)通用はしませんでしたよね
そんなのは既に分かり切っていたこと
分かり切っていても空しさを感じるのは、
きっとどこかで期待もしてたんでしょうね
でも、ま。。
それが“負け”って事なんでしょうね。残念ながら。




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