コガラシ△
人間すべての他人に受け入れられよう。と考えるとどこかで無理が祟ってしまうというか、
うーん、まず・・・何かアクションを一つ起こすだけでも「好き/嫌い」が即座に判断されると思うんですよね
それを避ける方法なんてないし、結局は理解してくれる人と・・・という事になってしまうんですが
それはそれで広がりがなくて寂しかったりする
紫音はもっと可愛い自分になって、もっと素敵な自分になって・・・と「他者ありき」の行動を取ろうとしてた節があった
だけど、それはそれで最大公約数的になってしまってどこにでもある「何か」にしかならない気がするんですよね。
「個性を持つ」という事は人に嫌われる覚悟をするのと同義だと思うんですが、
それと同時に好きな人にはとことん好かれる・・・という「嬉しい事」もあると思うんです
紫音は恐らくもっと可愛い格好をしようと思えばいくらでも出来ると思うんですが、
敢えて「最大公約数を選ばないこと」で保てる“自分らしさ”もあると感じてるんですよね
そもそも、誰もが誰も“嫌われないこと”を考えて従順に「他人の目の奴隷」になっちゃったら、
個人的にどんだけ精神的管理されてる世の中なんだ。。って絶句しちゃいますけどね
確かに過剰なサービスシーンを嫌がる人もいるでしょうね
でもだからといって、「よーしみんなに好かれる為に健全に健全に、、、」って世の中になっちゃったら
正直「何が面白いんだ??」って個人的にはなっちゃいますけどね
そうやって去勢するだけ去勢して退屈を他人に押し付けるのは止めろよ。とは(あくまで個人的に)感じます
そう・・・この回はゆらぎ荘自身のメタファーにもなってるんじゃないか?って俺的には解釈してしまったんですよね
「分かってない奴」は周りであーだこーだ言うけど、本当は優しさに溢れた物語である事は
「分かってる奴」はちゃんと知ってくれてるんですよ
で、
それで十分だとも最近は思うようにもなって来ました
ゆらぎ荘は別にヒロインの裸だけで売っている漫画ではなく、
ちゃんとキャラの性格の良さだったり男キャラの活躍シーンもあるんだよ?と、、、
そんな風なミウラ氏の主張も感じられた1話に仕上がってたかな、と思います
ちなみにここまであくまで俺個人の勝手な解釈に過ぎないので、
真に受けるかどうかは読者次第。。って事で笑
ゆらぎ荘は純粋にキャラが可愛いから好きだ。
そしてどいつもこいつもちゃんと誠実だから好き。
そりゃ確かに肌色成分にも期待してるけど、そもそもキャラが好きじゃなきゃ肌色成分に期待なんかしませんよ(笑
エッチで楽しくて、いい話もさり気ない感動もあって、バトルもたまに展開して構成も優れてて・・・
本当は「何でもある」作品なんですけどね
まあでもこの話の様に「分かってくれる人」がちゃんと分かっててくれれば、
何も、何もかもを望まなくてもある種の本懐なのかもしれません
全員を納得させるよりも、
あくまで自分らしく、
その上で分かり合った方が嬉しいに決まっている。
そんな「個性」に関するメッセージ性も感じられる素敵なお話でした。
ところで、兵頭×芹、あるな・・・笑
(ミウラさん、お願いします!)
もし単独回で描かれたらめっちゃ興奮して感想書いてしまう予感!