古事記や日本書紀でも、聖婚の規定を満たして産まれた神の話が幾つかあります。
先ず代表的なのが「応神天皇」ですね。
応神天皇の親は仲哀天皇と神功皇后のように思われていますが、神功皇后は5歳で応神天皇を妊娠し、そのまま三韓征伐へ向かい、2年後日本に戻ってきてから7歳で出産したとされています。
実際、神功皇后が人間だとしたら5歳で妊娠、7歳で出産は無理ですわね。
更に応神天皇は、仲哀天皇が死んでから臨月よりも3ヶ月遅れて産まれたとの話もあります。人は臨月より早く産まれる事はあっても、遅く産まれる事は事実上無いので、これも応神天皇が仲哀天皇の子である事を否定する事例です。
つまり、応神天皇は産まれる前から神なので、父親がいない事を意味している訳です。そして神が聖母に宿り、人間として産まれた事を規定していると言えます。
加茂の玉依姫もまた聖婚と言えます。
玉依姫が川で遊んでいた時に丹塗矢が流れてきて、その矢が美しかったので持ち帰り枕元に置いていたら、その丹塗矢が立派な男に変身。そして、一夜を共にし、賀茂別雷尊が産まれたとされていますが、丹塗矢の男は不明です。
つまり、賀茂別雷尊も父親が誰だか分からない。それもまた聖婚であると言えます。
そうなると三輪の活玉依姫(三島溝咋姫)の方も同様です。
昔のトイレは川の上に建てられた小屋だったそうで(一応、水洗ですね)、そこから厠(かわや)と呼ばれているのですが、その厠で用を足していた活玉依姫の富登に(生々しい表現は避けました)、またまた川上から丹塗矢が流れて来て刺さってしまい、それを持ち帰ったら、またまた良い男に変身。一夜を共にして五十鈴媛が産まれます。
まあ、その丹塗矢は大物主なのでしょうけど、父親が誰だかわからないから聖婚で産まれた事になります。故に五十鈴姫は神であり、神武天皇と結婚したこ事で、天皇家は神々の血筋となる訳です。
ここまで来ると、木花開耶姫も同様です。
瓊瓊杵尊との結婚初夜で妊娠し、国津神の子と疑われなから、その場でうけひ(契約)を行い、屋敷に火を付けて海幸彦・山幸彦らを産んだ訳ですから、木花開耶姫は聖母でありますし、神武天皇に繋がる山幸彦・海幸彦らも神と言う事になります。
つづく。