前回、「ピンク色の空」について、チョット語りましたが、ついでなんで東日本大震災の時に現れた「ピンク色の空」と「ピンク色の空」についても語りたいと思います。
っとは言っても、消去した以前のブログにも書いた事があるのですが、そこのとこ気にせんで下さい。
さて、地震当時ですが、私は3階建てのマンションの3階部分に住んでいるのですが、「バギッ、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャン」と約6分間揺れ続けた訳で、建物も、住まいも、商売もグッシャン、ガッシャンになってしまいまして、何ともはやお手上げ状態と言うか、「終わったー」ってな感じでしたね。
私、携帯電話も持っていないし、電気は4日間ぐらい停電してましたし、ガス・水道は1ヶ月止まってましたし、石油は無いしで、もう大変な目に会いました。
津波についてはラジオで2日後あたりに知りましたが、まだ半信半疑でしたね。仙台に津波が来るなんて思っていませんでしたし、1~2メートルの波が防波堤を超えた程度だと思っていました。
正直、30数年前の宮城県沖地震の大型版と思っていましたが、東北から関東までの巨大地震で、広範囲に大型の津波が来ていたとは思いも寄りませんでした。
1000円分のガソリンを買う為にガソリンスタンドへ7時間並んだ時、多賀城に津波がとんでもないことになっていると一緒に並んでいる人に聞いて、「本当なんだなぁー」と実感した次第です。
ガソリンを手に入れた私は、「荒井」と言う町に伯父夫婦が住んでいましたのでまず最初に訪ねました。電話が通じませんからね。
「荒井」は元々田畑しかない所でしたが、仙台地下鉄東西線の始発駅が出来るので急速に発展してました。
しかし、まあ、元々は田畑だという事は地盤が頗る悪いということで、新しい家が多いのですが、傾いている家が多かったですね。豪農の城のような家も瓦の重さに耐え兼ねて潰れているケースが多く見受けれます。伯父夫婦の家は何とか大丈夫でしたが・・・・・・。
しかし、小高く造られた有料道路を挟んだ隣町の「荒浜」は、全部が津波に侵食されています。海辺ですから、小高い山もないですし、高い建物は4階建ての小学校しかありません。故に亡くなった方が多いのです。
私の弟の友人夫婦も、この「荒浜」に二世帯住宅を建てました。地下鉄が出来るって事で、この地を選んだんです。親孝行するつもりで、多額のローンを組んで・・・・・。
それがアダとなり、ご両親は津波に流されて死亡した訳ですから、本当に気の毒です。自分がこの地を選んだことで親孝行するつもりだった両親が死んだ訳ですし、多額のローンも残る訳ですし、どうしようもない悲劇です。
仙台地下鉄東西線なんか造っても大幅な赤字になるのは目に見えてました。現在ある地下鉄南北線だって赤字なんですから。
利用する人も広い面積故、歩いて駅まで通える人も少ないですし、サーファーや海水浴に行く人ぐらいしか乗らないなんで言われていた位です。
それでも地下鉄ができる事で、家を建てて移り住み、地下鉄が出来る事を楽しみにしていたのですが、町全部が津波に呑まれ訳ですから、地下鉄の必要性はもう全然無いです。命を無くした方を考えると、仙台市は罪作りな事したと思いますよ。
一方、有料道路はやはり利用する人が少なく、税金の無駄遣いと散々言われていたのですが、この無用な有料道路に登って何とか命を長らえた人が大勢います。皮肉です。伯父夫婦が住む「荒井」は、この有料道路で津波の被害を免れましたからね。
人生って、何がどう作用して難を受けるか、逃れるか分かったものではないです。
でも、伯父夫婦だって今から4年前、娘が子供もいるのに自殺していますからね。全然、幸せという事ではないです。
人それぞれ、良い事もあるし、悪い事もある。案外、運は公平に訪れるのではないでしょうかね。
そして、不運を何らかの形で、最小限に食い止めることが重要なのかも知れません。
私の様に引き篭っているのも災難は受けないかも知れませんが、どうかと思いますがね・・・・・・。
つづく。