次にヒエロスガモスで説明します。
まあ、聖婚と同じ意味なんですけど、イエス・キリストでの話です。キリスト教の方が、日本神話よりシンプルで分かり易いですしね。
実際、「聖母」と言えば、日本人でも「聖母マリア」をイメージすると思います。
これ、説明する必要もないと思いますが、ヨセフと言う旦那がいるマリアが処女であるにもかかわらず、イエスをお腹に宿す訳です。
ヨセフとしては当然、マリアの不倫を疑うのですが、永遠の処女であるマリアが神の子を宿したことを理解し、イエスの誕生を祝福します。
これもイエスはヨゼフの子ではなく、神の子、或いは神自身を示している事になります。これは日本神話・神道と全く同じ思想です。
イエスを産んだマリアは、もう処女ではないのでは・・・・と言う疑問が浮かびますが、バチカンは苦肉の策で、聖母マリアには「腹門??」があり、腹門からイエスを産んだとして、永遠の処女を構築しています。
お釈迦様の母、摩耶夫人も右腋の下からお釈迦様を産んだとされていますが、これも同じ理由です。「神は処女からじゃないと産まれない、子供を産んでも処女じゃなければならない」と考えられているからです。
さて、ここでチョット疑問があります。何故、イエスの母が聖母マリアであり、妻がマグダラのマリア、つまり同じマリアと言う名前なのかです。
他にも、かなりローカルな例ですが、地元・宮城県利府町にある伊豆佐比売神社の「悪玉伝説」では、悪玉が坂上田村麻呂の子を宿し、二代目・坂上田村麻呂を産んだとしています。
これは私説ではありますが、神を養育する者は聖母でもあり、神妻でもあるからだと思うのです。
つまり、聖母マリアと神妻マグダラのマリアは同一人物。悪玉も田村麻呂の母であり、妻でもある。それでイエスが神の子であり、マリアが聖母である事をより確かに証明しているのだと思います。勿論、悪玉・田村麻呂の例もそうです。
うーん、こんなこと書き込むと「この悪魔っ」とキリスト教徒から迫害されそうですが、逆に神と人間は違うと言う理由付けにはなるとは思います。
ここで一度、聖母に付いて総括しますと、聖母は処女でなければならない。神は処女からでかいと産まれないのは例外もあるでしょうけど、全国共通事例と言えると思います。
そして、神功皇后を例に取れば、聖母は巫女でもあります。
巫女は処女であることは当然ですが、初潮前の幼女であることが望ましいと考えられます。
日本には土足厳禁及び、女人禁制の山や神社がありますが、何故か幼女は許されているケースは多いのです。
幼女でなけれは巫女にはなれない。本来の巫女としての資格はないからだと思います。
つづく。