諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

ピンク色の空、ピンク色の波。 その2

2013年05月27日 07時13分16秒 | 東日本大震災

続きです。何時もながら、ここからが本題です。

僅かながらガソリンを手に入れてからは、飲み水や食べ物、そして石油を求めて、バイクを走らせていました。うちの家族は避難所には移らなかったので、それなの物は自分で供給しなければなりません。

私のバイクはヤマハ・タウンメイトT90というビジネスタイプのバイクで、結構積載量が高いから助かります。

昔、新聞販売業してましたからね。この手のバイクが愛おしいというか、将来に向かって頑張っていた時の気持ちが蘇ると言うか、乗っていて気持ちが良いので、このバイクを乗り続けています。そんなにスピードが出ないですから、安全ですしね。

それに当時の街の道路は亀裂と盛り上がりだらけで、クルマが通れない場所が多いですし、それでクルマの事故も多かったので、バイクの機動力が好ましかったです。

そんなこんなで、バイクを走らせ仙台市のほぼ中心部に位置するS神社(仮名)に近くを通ったので、チョット寄った訳です。

ここの神社の禰宜は私の友人です。でも、ただ参拝するだけでしたので、声を掛けるつもりはなかったのですが、参拝してたら彼が出てきたのでチョット社務所に寄れとなったのです。

ここでメロンパンもどきと、ペットボトル入のお茶をいただきました。甘さに飢えていましたし、中々飲み物も得られない時でしたから有難かったです。

えー、まぁー、当然、話は地震と津波についてになりますわね。そこで聞いた話が「ピンク色の空と、ピンク色の波」に付いてです。

友人は神職にありながら、スピリチュアルな事は決して自分から喋る奴ではないのですが、大勢の方々が地震の直前、空が鮮やかなショッキングピンクに近い色になったのを目撃していて、津波もピンク色だったと言う人が続出しているそうです。

うーん、ピンク色の空が津波に映って、津波もピンク色に見えたのでしょうかねえー。

ユーチューブで見ると津波はヘドロを巻き上げて黒かったですし、ピンクに見える津波は色々見たのですが、画像では確認出来ません。うーん、分かりません。

うーん、うーんと考えて「もしかしたら・・・」と脳裏に浮かんだのが「紫波姫」です。「紫波」って、「ピンク色の波」の事じゃないのかと思えたんです。

昔は当然、ピンクなんて呼ばなかったでしょうし、「桃色」と言っても今のピンク色と大分ニュアンスが違うと思います。それに津波の色は鮮やかなショッキングピンクに近かったのです。あの色は淡い「桃色」とは言えません。

しかし、「紫」なら、大昔に「ピンク色の津波」を見た人なら「紫波」と表現するのではないでしょうかねぇー。

うーん、どうだろ。万葉集の防人の歌から判断すると「志波=柴」の筈なんですが・・・・・。

それでも「紫波姫、志波姫、志波彦」と付く地名、神社は宮城県と岩手県にあります。今回の津波の被害が甚大だった地域にあるのです。何か関連があるのではと思いました。

その後、今回の地震を調べて発表されたのですが、「松島」は過去の大地震と大津波で陥没・浸食されて出来たととの事でした。

過去の大地震というと約1100年前の「貞観地震」の事でしょうか。まあ、その点は私には分かりませんが、松島に接する塩釜には「志波彦神社」があるんです。

元々、「志波彦神社」は七北田川に面した岩切にあったのですが、岩切は昔は海に近かったと思います。津波との関連も十分考えられます。

松島が陥没して出来たくらいですからね、そりゃ当時は大惨事ですよ(今だってそうですけど・・・)。

それだけの事が起きたのなら、それが神の怒りからだと考えたら、その怒りを鎮める為に塩竈神社が建立されたとしたら、塩竈神社1万束の祭祀料も納得だと思います。

伊勢神宮、出雲大社、出羽三山の2000~3000束の祭祀料に比べても、塩竈神社の1万束は神の怒りを鎮める為と考えたら十分有り得ると思います。

そして「志波彦神」は鬼渡神の「阿須波神」です。私は「塩竈神」も「阿須波神」と関連が深いと考えます。

この点は、いずれまた「塩竈神社」のお題で書きたいと思います。

 

ではでは。

 

 

 

コメント (2)
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