天台宗比叡山延暦寺の住職が9日間不眠で飲まず食わずの断食を決行。見事達成されたそうですね。凄いなぁーと思います。戦後13人目で8年ぶりだそうですが、私には出来ませんわ、そんな神みたいなこと。
眠らず、食べず、飲まずのどれ一つとして無理ですね。一番難しいのは眠らず、そして飲まず、食べずの順でしょうか。この精神力は恐れ入ります。信仰の力の凄まじさを感じます。そして恐ろしさも。
ここで思うのですが、この荒行と自爆テロ、どちらかを選択せよと言われたらどうでしょう。私は勿論、荒行の方を選びますが達成は難しいでしょう。でもこの荒行の辛さで自殺しようとは思わない筈です。多分ですけど。
私、実は僧侶とか神職に憧れています。その一番の理由は現実逃避出来るからです。山の中で心を無にして修行する。これは大変だと思います。何でこんな馬鹿馬鹿しい事やっているのか考えたりもします。
私の友人に機動隊員がいますが、皇居を夜間8時間立ちっ放しで警護するのが精神的に一番辛いと言ってました。何もせずずっと棒をもって立ったまま。そりゃ辛いです。何の為に生きているのか考えちゃいます。警護する側、される側。同じ人間なのです。何で差が付けられるのかも考えてしまいます。酒を飲むと皆荒れるそうです。それは当然だと思いますね。
でも山での修行は何も考えなくても良い。これは私、本当に羨ましいです。私は現実に押し潰されそうです。やらなければ成らない事が多すぎる。世間の柵、親との関係、人間関係、背負っている荷物を全部投げ捨てて山に籠もりたいと言う気持ちがあります。それ故、僧侶達が羨ましいのです。
勿論、僧侶にも上下関係があると思います。僧侶であっても悪い奴は大勢いる。修行した程度で全てが善人になる訳ではない。対人関係で悩む事があると思います。それでも現代社会を生きるよりはずっとシンプルの様に思えます。羨ましいです。まっ、僧侶の生活が判っていないからこんな事考えるのでしょうけど。
そこで疑問です。この9日間不眠断食を達成した住職に現代社会を体験させたらどうなるでしょうか。例えば証券会社の営業とか。
相手は人間です。私は営業は顔だと思っています。優しげで弱々しい顔がの人は営業で差が出ます。断り易い顔をしている人はやっぱり不利だと思います。
勿論、私の先入観・固定観念でそう思っているのですが、その住職がもしそんなお顔でしたら、是非体験して貰って感想を聞きたいです。辛いか辛くないかを。
私、現代社会を生きる方が僧侶よりも苦しい点が多いのではないかと思います。学校で苛めにあって自殺する子供もいます。優しいから狙われる点があると思います。善であるから苛められる点もある筈です。僧侶の考えが通用しないのが現実社会なのではないでしょうか。
9日間の修行は大変辛いでしょう。でも修行は練習です。試合では無いです。私はそれだけ精神力・信仰力がある人の試合が見たいです。現実社会に通用するかどうかを見てみたいです。
現実社会を生きるのは大変です。能力の無い者にとっては苦行。私、思うのです。知能指数が高かったら楽だろうなぁーと。
勿論、知能指数だけで生きられるものでは無いでしょうけど、知能指数が高ければ人生に大変有利です。強力な武器には違いないので。そんな武器を持たない者が現代社会に立ち向かうのは紛れも無く苦行です。私はその苦行を不眠断食を達成した住職に体験して貰い、感想を聞きたい。そして不眠断食が現代社会に役に立つものなのか聞きたいです。
うーん、こんな事書いちゃって罰当たりかな、比叡山から抗議が来ちゃうかなと思いますけど、単純に9日間の不眠断食の効能を知りたいと思うのです。人生においてどれほど力になるかを。
ホント、申し訳ないですけど。
ではでは。