以前、「本当に龍は見えるのか」と題して記事を書きました。今回はその付属的意味合いで書きたいと思います。何故、日本に龍神信仰が根付いたかをです。
実は昔、日本は龍神を恐れていた時代がありました。襲ってきたらどうしよう。大ピンチ。物凄く強力な龍神が日本を滅ぼす。何とかせにゃー。
日本はどうしたら良いのか。もうこうなったら破れかぶれです。「このままでは負ける。こうなったらオラホ達も龍神を祀っちゃえ。目には目を、龍神には龍神をだぁー」っとなったのです。これっ、どう言う事だかお分りでしょうか。分からないでしょうねぇー。
今から1400年以上前、新羅に龍神の力を宿していると言われた文武王がいました。この文武王は663年に唐の協力を得て百済・日本連合軍を白村江で撃破。それで百済は滅亡。663年には平壌城を攻めて高句麗も殲滅。最後には協力関係にあった唐の勢力を退け、三韓統一を達成。中国文化を取り入れた統一新羅と言う王朝を開いたとんでもなく凄い男なのです。
この文武王が一番恐れたのは日本です。日本国は手付かずのままでしたから。それで死の間際、文武王は「東海岸から龍になって国を守ってやっから、俺の遺骸は海に葬れ」と遺言。家臣たちは遺言通り文武王の墓を日本海の水中に建設。その海中の墓から新羅の宮古・慶州までの道を「龍の道」として造ったとする伝説があります。
この伝説ですが、嘘だらけの朝鮮半島としては珍しい事に本当でした。
1959年、海岸から2キロの地点にある感恩寺址の発掘で「龍穴遺構」が発見。さらに1967年には文武王の海中陵も見つかっています。海の中に墓があるなんて世界で文武王だけとの事です。凄い執念です。韓国の日本に対する恐れ・妬み等々、すさまじいです。これほど恨みを持っている国と仲良くするのは無理です。日本は朝鮮とは国交断絶した方が良いです。全然困らないし。
話を戻します。日本は百済と協力して戦い新羅に敗北しています。日本側も新羅には恐怖を感じてます。その恐怖の根源が龍神の力を宿した文武王。ここまでする文武王ですから、大変な恐怖と言えます。
当時の日本は天智天皇・天武天皇の時代でした。龍神となった文武王が日本を襲ってくる。どうしたもんだべぇーと恐慌に陥りました。そこであの男が立ち上がります。様々な弾圧にも屈せず時の権力者と戦い、民衆救済をスローガンとして活動したカリスマ僧侶の行基です。
行基は中国・朝鮮に伝わる龍神の力を身に染みて知ってました。幼い頃から大陸仏教を学び、朝鮮半島の脅威を感じていた。その脅威は龍神が宿る強さによるものと考えていたのです。
それに対し日本には龍神に対抗出来る強さの象徴がない。どうすべきか。そして決断した。「目には目を。龍神には龍神を」と。
行基は新羅に宗教面で対抗すべく、日本の地主神である蛇神・辰神に朝鮮の龍神を合体集合させます。これが日本の龍神信仰の始まりです。
続く。