今年のお盆、故郷・福島県いわき市四ツ倉の慧日寺へ五月姫わ尋ねて行って参りました。
お寺と言っても昔は神仏習合の信仰だった訳です。お寺の境内にはお稲荷さんの社、そして今回のお題である高倉大明神と称する社が有りました。
高倉大明神? どんな神様なんだ。東北では余り聞かない。何で慧日寺の境内にあるのだ。
お稲荷さんは理解できる。慧日寺は地蔵信仰。お稲荷さんも源流は同じだから。
例えば瀬織津姫関連の神々を祀る神社は、お稲荷さんを祀っているケースが多い。慧日寺は地蔵信仰だから関連が有る。だけど何で高倉明神なのだろう。
「高倉」。倉・蔵は本来穀物を貯蔵する場所。っと言う事はお稲荷さんを別名で祀っているのか。多分、そんな感じじゃないかな。佐倉が桜であるなら瀬織津姫とも関連が有るし。
早速ネットで調べたら、高倉大明神は「家内安全・商売繁盛」の神だそうです。うーん、それだけじゃどのような神様なのか判断が付かないぞ。
それではと「高倉神社」検索。そしたら大倉主命・ツブラ姫命を祀っている高倉神社があった。うーん、聞いたことが無い名前の神様だ。まだ分からない。特にツブラ姫命って誰なのだ。つぶらな瞳の見目麗しい女神と想像出来るけど・・・・・。
更に高倉神社を検索。ヒーラーみたいだが、お調子者と言うか、怪しいルックスの男のブログを覗く。厄除けの神様と書いてある。それでは分からないよ。ヒーラーの口癖のパワースポット、パワースポットだけでは私は納得しないんだよ。
それにしても高倉神社は西日本に多いみたい。木津川市の高倉神社では後白河法皇の第二皇子である「以仁王」を祀っています。
神社に祀られると言う事は簡単に言うと怨霊でもあるのですが、この以仁王は1180年頃に平清盛を討てと源氏に命令。それが源氏に知られて逃げ回り、この木津川市辺りで流れ矢に当たり絶命した模様です。
まっ、天皇家の者が殺されたのであれば、そりゃ祀られるでしょうね。天皇家は祟りに敏感ですから。
他には高倉神社は無いのかしらんと思い更に検索。そしたら有りました。高倉下命を祀る高倉神社が。どうも慧日寺の高倉大明神はこの高倉下命なのではないかな。
高倉下命はやはり「高い倉の主」と言う意味だそうで、神武天皇一行が熊野で悪神の毒気にやられひっくり返った。そこで高倉下命が剣をかざすと皆元気になったと言われてます。
更に芦原中国が騒がしい。何とかして来いと天照大神・高木神に命じられた鹿島神・建御雷神が、「私じゃなくても国を平定した剣が有るのだから、それを使えば良いんじゃないの」と返答。
そして高倉下命に「剣を高倉の下の倉に落としておくから、それを拾ってきて天津神の御子に献上せよ」と命令したことから高倉下命と呼ばれているみたいです。因みにその剣は佐士布都神と呼ばれ、あの石上神社に祀られて祀らているそうです。
そこから考えると、この佐士布都神は敵を簡単にフツッと斬る経津主命ではないでしょうか。名前が似ているし。そうなると建御雷神と考えても良いと思います。建御雷神の剣だった訳ですから。
高倉下命に戻りますが、先代旧事本紀によると高倉下命は饒速日命の子だそうです。
そこから考えると饒速日命の幼名は大歳神。その子であるなら天知加流美付豆姫との子の十人兄弟の神々が考えられます。そうです、私が因縁を感じる鬼渡神です。
慧日寺には平将門公の娘である五月姫が祀られている。そのストーリーは瀬織津姫がモデルと思われる。更に地蔵信仰である。そこから考えても高倉下命は鬼渡神と考えられます。
勿論、記紀が語る天津神ではなく、国津神と考えていますけど。
あっ、それと「つぶら姫命」。ここまでくると鬼渡神・瀬織津姫で間違いない気がしてます。チョット練りが足りませんけど。
ではでは。
お寺と言っても昔は神仏習合の信仰だった訳です。お寺の境内にはお稲荷さんの社、そして今回のお題である高倉大明神と称する社が有りました。
高倉大明神? どんな神様なんだ。東北では余り聞かない。何で慧日寺の境内にあるのだ。
お稲荷さんは理解できる。慧日寺は地蔵信仰。お稲荷さんも源流は同じだから。
例えば瀬織津姫関連の神々を祀る神社は、お稲荷さんを祀っているケースが多い。慧日寺は地蔵信仰だから関連が有る。だけど何で高倉明神なのだろう。
「高倉」。倉・蔵は本来穀物を貯蔵する場所。っと言う事はお稲荷さんを別名で祀っているのか。多分、そんな感じじゃないかな。佐倉が桜であるなら瀬織津姫とも関連が有るし。
早速ネットで調べたら、高倉大明神は「家内安全・商売繁盛」の神だそうです。うーん、それだけじゃどのような神様なのか判断が付かないぞ。
それではと「高倉神社」検索。そしたら大倉主命・ツブラ姫命を祀っている高倉神社があった。うーん、聞いたことが無い名前の神様だ。まだ分からない。特にツブラ姫命って誰なのだ。つぶらな瞳の見目麗しい女神と想像出来るけど・・・・・。
更に高倉神社を検索。ヒーラーみたいだが、お調子者と言うか、怪しいルックスの男のブログを覗く。厄除けの神様と書いてある。それでは分からないよ。ヒーラーの口癖のパワースポット、パワースポットだけでは私は納得しないんだよ。
それにしても高倉神社は西日本に多いみたい。木津川市の高倉神社では後白河法皇の第二皇子である「以仁王」を祀っています。
神社に祀られると言う事は簡単に言うと怨霊でもあるのですが、この以仁王は1180年頃に平清盛を討てと源氏に命令。それが源氏に知られて逃げ回り、この木津川市辺りで流れ矢に当たり絶命した模様です。
まっ、天皇家の者が殺されたのであれば、そりゃ祀られるでしょうね。天皇家は祟りに敏感ですから。
他には高倉神社は無いのかしらんと思い更に検索。そしたら有りました。高倉下命を祀る高倉神社が。どうも慧日寺の高倉大明神はこの高倉下命なのではないかな。
高倉下命はやはり「高い倉の主」と言う意味だそうで、神武天皇一行が熊野で悪神の毒気にやられひっくり返った。そこで高倉下命が剣をかざすと皆元気になったと言われてます。
更に芦原中国が騒がしい。何とかして来いと天照大神・高木神に命じられた鹿島神・建御雷神が、「私じゃなくても国を平定した剣が有るのだから、それを使えば良いんじゃないの」と返答。
そして高倉下命に「剣を高倉の下の倉に落としておくから、それを拾ってきて天津神の御子に献上せよ」と命令したことから高倉下命と呼ばれているみたいです。因みにその剣は佐士布都神と呼ばれ、あの石上神社に祀られて祀らているそうです。
そこから考えると、この佐士布都神は敵を簡単にフツッと斬る経津主命ではないでしょうか。名前が似ているし。そうなると建御雷神と考えても良いと思います。建御雷神の剣だった訳ですから。
高倉下命に戻りますが、先代旧事本紀によると高倉下命は饒速日命の子だそうです。
そこから考えると饒速日命の幼名は大歳神。その子であるなら天知加流美付豆姫との子の十人兄弟の神々が考えられます。そうです、私が因縁を感じる鬼渡神です。
慧日寺には平将門公の娘である五月姫が祀られている。そのストーリーは瀬織津姫がモデルと思われる。更に地蔵信仰である。そこから考えても高倉下命は鬼渡神と考えられます。
勿論、記紀が語る天津神ではなく、国津神と考えていますけど。
あっ、それと「つぶら姫命」。ここまでくると鬼渡神・瀬織津姫で間違いない気がしてます。チョット練りが足りませんけど。
ではでは。