続きです。
当時の長崎市の人口は24万人。そのうち原爆で亡くなったのは74000人。この人数に長崎市の大半のキリスト教徒が含まれていた。この事実を知ったらキリスト教なんて馬鹿馬鹿しくて信じなれませんよ。
この事実、大半のキリスト教徒は知りません。キリスト教徒としてはタブー。秘密にしておきたい。
実はしつこく勧誘に来ていたエホバの証人の方がいて、黙って話を聞いていました。エホバの証人の方に悪い人はいないので、悲しませたくないので話を聞き続けていたのです。彼らの聖書を読まされたりして。
でも私はキリスト教は結果的には悪魔の宗教だと思います。彼らがアフリカ人、インカ人、ネイティブアメリカン、そして日本人等々にした所業は悪魔そのものですし。
キリスト教徒同士でも争う。イスラムやユダヤ教徒も争う。キリスト教のせいで不幸になった者がどれだけいたことか。この事実に対しキリスト教徒は耳を塞ぐだけ。そんなんでは私を勧誘なんてできませんよ。
そして長崎の原爆の話をすると、彼らはそんな事実はないと言います。「じゃ、調べて来てよ」と言うと大抵の方は来なくなります。
一人だけ男性の方が「事実でした」と言ってきましたが、ショックを受けていました。
私は「何故、その様な事が起きたのでしょう」と質問しても彼は答えられなかった。誰も答えられませんよ。これ程の矛盾は有りませんから。
私は異教徒を迫害したり、侵略戦争をしなければ彼らを評価しますが、キリスト教徒が原爆で日本のキリスト教徒を殺した事実から、絶対にキリスト教は信じないです。
仏教においても同様です。
戦国時代の仏教徒は増長していた。自分たちの権力に酔っていた。地域支配に乗り出した。その様は戦国武将そのものだった。
結果、浄土真宗の一向一揆は織田信長に鎮圧された。14000人と言われる宗徒が処刑された。
これで多くの民衆や仏教徒は懲りた。仏教徒は武力を持つべきではない。否、それ以上に仏教では人は報われない。不幸になる。それを心に刻んだ。
キリスト教に宗教を変えても結果は同じだった。宗教に関わるとロクな事は無い。
神道ではどうか。第二次大戦は「神風が吹く」として火の玉となって戦ったが日本は敗北した。あの戦いは天皇と神道が融合した信仰での戦争だった。宗教では戦争に勝てない。宗教では幸せにはなれない。
何と言うか、日本人は宗教を信じたかったが、全ての宗教に裏切られた。心の底から信仰する気力が失せた。
では何故、神社仏閣に詣でるのか。
それは神道の本来の意味に気が付いたから。本来の神道の神は医者であり、預言者。或いは人を先導する者。相談相手。厄を祓う存在。それに気が付いた。
だから宗教に全てはは期待しない。神を信じても永遠の命など得られない。生き返る事もない。それを知った。
神は相談相手であり、人道を逸すれば祟りで規制する存在。そう認識して妄信することは無くなった。神を万能なる存在として信心する事がなくなった。
その絶望感からどんな宗教であっても深く信心する事は無くなったのではないでしょうか。
っとは言っても悪意のある宗教者は人々を洗脳します。そして権力を握り富を得る。人生を自分で切り開かず、人任せにする人はどこまでも騙される。宗教での被害者は無くならないと思いますね。
あっー、何時もながらシドロモドロらになってしまいました。
正直、今回のお題は今の私には難し過ぎました。
ただ、一つ言える事は「神を語る者を信じるな」と言う事。その者を信じて多くの不幸が生じてきた。この事実は忘れてはならないと思います。
今の私にはその位しか分かりませんね。
ではでは。
当時の長崎市の人口は24万人。そのうち原爆で亡くなったのは74000人。この人数に長崎市の大半のキリスト教徒が含まれていた。この事実を知ったらキリスト教なんて馬鹿馬鹿しくて信じなれませんよ。
この事実、大半のキリスト教徒は知りません。キリスト教徒としてはタブー。秘密にしておきたい。
実はしつこく勧誘に来ていたエホバの証人の方がいて、黙って話を聞いていました。エホバの証人の方に悪い人はいないので、悲しませたくないので話を聞き続けていたのです。彼らの聖書を読まされたりして。
でも私はキリスト教は結果的には悪魔の宗教だと思います。彼らがアフリカ人、インカ人、ネイティブアメリカン、そして日本人等々にした所業は悪魔そのものですし。
キリスト教徒同士でも争う。イスラムやユダヤ教徒も争う。キリスト教のせいで不幸になった者がどれだけいたことか。この事実に対しキリスト教徒は耳を塞ぐだけ。そんなんでは私を勧誘なんてできませんよ。
そして長崎の原爆の話をすると、彼らはそんな事実はないと言います。「じゃ、調べて来てよ」と言うと大抵の方は来なくなります。
一人だけ男性の方が「事実でした」と言ってきましたが、ショックを受けていました。
私は「何故、その様な事が起きたのでしょう」と質問しても彼は答えられなかった。誰も答えられませんよ。これ程の矛盾は有りませんから。
私は異教徒を迫害したり、侵略戦争をしなければ彼らを評価しますが、キリスト教徒が原爆で日本のキリスト教徒を殺した事実から、絶対にキリスト教は信じないです。
仏教においても同様です。
戦国時代の仏教徒は増長していた。自分たちの権力に酔っていた。地域支配に乗り出した。その様は戦国武将そのものだった。
結果、浄土真宗の一向一揆は織田信長に鎮圧された。14000人と言われる宗徒が処刑された。
これで多くの民衆や仏教徒は懲りた。仏教徒は武力を持つべきではない。否、それ以上に仏教では人は報われない。不幸になる。それを心に刻んだ。
キリスト教に宗教を変えても結果は同じだった。宗教に関わるとロクな事は無い。
神道ではどうか。第二次大戦は「神風が吹く」として火の玉となって戦ったが日本は敗北した。あの戦いは天皇と神道が融合した信仰での戦争だった。宗教では戦争に勝てない。宗教では幸せにはなれない。
何と言うか、日本人は宗教を信じたかったが、全ての宗教に裏切られた。心の底から信仰する気力が失せた。
では何故、神社仏閣に詣でるのか。
それは神道の本来の意味に気が付いたから。本来の神道の神は医者であり、預言者。或いは人を先導する者。相談相手。厄を祓う存在。それに気が付いた。
だから宗教に全てはは期待しない。神を信じても永遠の命など得られない。生き返る事もない。それを知った。
神は相談相手であり、人道を逸すれば祟りで規制する存在。そう認識して妄信することは無くなった。神を万能なる存在として信心する事がなくなった。
その絶望感からどんな宗教であっても深く信心する事は無くなったのではないでしょうか。
っとは言っても悪意のある宗教者は人々を洗脳します。そして権力を握り富を得る。人生を自分で切り開かず、人任せにする人はどこまでも騙される。宗教での被害者は無くならないと思いますね。
あっー、何時もながらシドロモドロらになってしまいました。
正直、今回のお題は今の私には難し過ぎました。
ただ、一つ言える事は「神を語る者を信じるな」と言う事。その者を信じて多くの不幸が生じてきた。この事実は忘れてはならないと思います。
今の私にはその位しか分かりませんね。
ではでは。