ここまで長編になるとは・・・・。続きます。
教祖の奇跡の演出で最も分かり易かったのは「甘い香り」です。
私も教祖と二人で岩手県の神社に行った時に経験しました。綿飴の様な甘い香りを。
その神社は主祭神として天照大神を祀っています。その神社の次女が教祖のファンだったのです。
その神社の境内でベール状に甘い香りが漂っていました。
漂っている範囲は幅1メートル以内。それを外れると香りは消える。その範囲にだけ甘い綿飴の様な香りが漂っていた。
教祖は「自分が瀬織津姫を祀る神社に参拝すると甘い香りが漂う。「瀬織津姫に歓迎されているからだ」とか言ってました。
私も驚きました。本当にこんな事があるか。教祖は「自分は瀬織津姫を宿している」とか言ってましたが、本当にそんな事があるのか。
後日、その絡繰りが分かりました。
「甘い香り」、正確には「甘い薫り」なのですが、私の家付近の公園や台原森林公園でも同じ綿飴の様な甘い香りがしたのです。
それでネット検索で調べました。甘い香りの正体を。
その甘い香りの正体は、「桂の木の枯葉」でした。
甘い香りの絡繰りですが、桂の木は水辺を好む。水辺に生えています。
桂の葉が枯れ地に落ちる。そこに朝露が落ちて湿る。そして太陽が昇り湿った枯葉の水分が蒸発する。その時にマルトールと言う甘い香りが発生するのです。綿飴と同じ香りだそうです。
つまり天日で桂の枯葉が乾燥するので、香りでは無く薫りです。この程度の話は山登りをしている人は大抵経験しているそうです。
考えてみれば植物は糖分を有しています。桂の葉は特にです。
瀬織津姫は水神です。故に瀬織津姫を祀る神社は水辺の近くにあります。
桂の木は生命力が高いそうで、よく公園に植えられている樹木です。だから公園でも甘い薫りがした。瀬織津姫とは直接には関係なかったと言う事です。
教祖は瀬織津姫が甘い香りを発していると言っていましたが、神道の根底に根付いている陰陽五行の考えでは全く逆です。
瀬織津姫は水神。だから水。甘い薫りは土に分類されます。桂の枯葉は最早土なのです。
土は水を濁す。水を堰き止める。つまり水よりも土は強い。
甘い薫りは瀬織津姫が発しているのではなく、水神である瀬織津姫を調伏している薫りだと言えます。
私の故郷である福島県と新潟県には「川渡餅」と言う儀式があります。川に甘い「あんころ餅」を投げ入れるのです。
これは川の神である水神に「あんころ餅」を捧げるのではなく、洪水を防ぐ為に土に分類される甘い「あんころ餅」で水神を調伏するのが目的です。
私の住む宮城県の荒雄川では度々川が氾濫していましたが、死者が出れば氾濫は収まると言われています。
それは死者は土に戻る。つまり死者も陰陽五行では土に分類される。つまり土である死者により水神は調伏されるとの考えから、その様に伝わっているのです。
それで私、思いました。教祖が瀬織津姫が甘い香りを出していると言うのは完全なる間違い。神道の観点からも反対の意味になる。山歩きをしている人なら、甘い綿飴の絡繰りは知っている。何れバレる。
それで教祖に言いました。「もう甘い香りの話はしない方が良いですよ」と。
そしたら教祖、「何で。甘露も発現したんだよ」と言います。
私は何の事かは分かりませんでしたが、信者間の話によれば神社のパンフレットか何かにに小さな水滴が付いていた。舐めたら甘かった。それで甘露、甘露と言っていたそうです。
その甘露、教祖しか経験していない筈です。それを信じろと言うのは流石に無理があると言うものです。
続く。