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学生時代を想い出してしまいました・・・

2015-06-24 | トーションレース&繊維資材



私は中学2年まで坊主頭にしたことがありませんでした・・・

当時、角刈りがはやっていたんですが、

学校側は角刈りをした生徒に対し、丸刈りを強要していました・・・が、

とうとう私にも・・・「明日丸刈りにして来いっ!」・・・と

その時、生まれて初めて丸刈りにしました・・・


そのまま、高校入学まで丸刈りでしたが・・・再び、角刈りに・・・しかし、今度は?!

長髪がはやり始めており、詰め襟に髪の毛がかかっていると駄目だといわれ、

角刈りは大丈夫だったんです・・・おかしな話ですよね・・・


頭の話で想い出したのですが・・・学生帽にまつわる話も思い出しました。

中学の頃は、学生帽の裏の額にかかる部分に厚紙を入れ、前を立たせ・・・

頭頂部には薄い手ぬぐいを入れ形を整えてかぶっていたんです・・・それがかっこよかったんですね。

それが、高校に入って・・・長髪が許される学校やったんですが、

校門から一歩出る時には、必ず着帽しなければ駄目だとの校則が・・・見つかれば即丸刈り!

ただ、この帽子、前髪が型崩れしないようにと前の部分が出っ張ってるような形で・・・

どちらかというと、警察官や消防士さんなどがかぶっているような形やったんですね。

それが、カッコ悪くって・・・今度は、前の部分をつぶしてかぶったりしてました。


しかし、身体を壊して体操部をやめてから、

バンドにのめり込み髪も伸ばしはじめ、帽子をかぶるのが兎に角、嫌になり始めましたね・・・


こうして振り返って観ますと、学校側も一貫性が無いし、

流行しているものに対しては、悪なんだという固定概念があったように思います。

当時の私達や1~2歳上の年齢の方達が大学紛争に流れていった時代ですね・・・


ある日、進学校であるため。就職クラスも無い学校やったんですが・・・

就職希望の生徒だけが柔道場に集められ、

就職希望する生徒は全て悪いような言い方で注意されました・・・

しかし、全て事情を知っていたため許すことが出来なくて、

校長室に押しかけて詰問し、全校生徒の前で全生徒に対して注意してもらうよう交渉したことがあります。


後日、校長が自ら全校生徒の前で注意をしてくれました・・・

今は懐かしい想い出となりましたね・・・


今朝は、学生帽に関しての記事を転載してみようと思います。

~以下、6月24日読売新聞朝刊より抜粋~

大学紛争と長髪で姿消す

学生帽  

 「寮に転がっていた学生帽を誰のものでも構わずにかぶっていた」。東京都杉並区の熊谷晃さん(82)が1950年代、東京大学の学生だったときの思い出だ。上から見ると四角い「角帽」で、「かぶると気持ちが引き締まった」と振り返る。
東大応援部で引き継がれる学生帽
東大応援部で今も引き継がれる学生帽
 学生帽は、東大が制帽として定めた1886年頃から広まったとされる。大学の角帽に対し、旧制中学、高校では上から見ると円形の「丸帽」が主流。特に旧制高校では白い横線が2、3本入った丸帽が定番だった。
モノ・風景のロゴマーク
白線帽に誇りを持つ旧制高校生は、上半身裸で農作業を手伝う時などにも、かぶっていたという。子供たちも白線帽にあこがれた。

 昭和の初めには小学校にまで定着。埼玉県熊谷市の小林藤次郎さん(82)は、戦中から戦後間もない時期、小、中、高校でかぶった学生帽の回想を本誌にファックスで寄せた。
丸帽&角帽のイラスト
「先輩から後輩に学生帽を引き継ぐ習慣があって綻びると自分で針を当てて繕った。学生帽を通じた絆があった」

 だが、1960年代後半から学生帽は姿を消し始める。東京都文京区の東大本郷キャンパスの近くで帽子店を営んでいた野本維一(これかず)さん(74)は70年頃、店をたたんだ。大学紛争を経て、学生たちは個性を求め、画一的な学生帽を敬遠するようになったらしい。

 学生が長髪になり、帽子をかぶると髪型が乱れるのを嫌がったという見方もある。実際、長髪が増えたのに伴い、学生帽を被らない風潮が広がっていく。44歳の記者も高校1年生の時は坊主頭に学生帽だったが、2年生から長髪が許され、被らなくなった。卒業後、母校では「時代に合わない」と校則の着用規定自体をなくしていた。

 東京都台東区の帽子製造業、小沢博さん(88)は、「現在は福島県の公立小や東京都内の市立小向けに年約200個作るだけ。出荷量は60年前の1%以下に減った」と話す。

 東大でも2004年、学則から学生帽の着用規定が消えた。ただ、応援部では、今も旗手がかぶっている。主将の山東駿(さんどうしゅん)さん(21)は伝統の重さを感じる。これからも守っていきたい」と語った。

(広中正則)

コメント (2)
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