目から鱗が落ちるがごとき驚きとの遭遇は、実に爽快だと思う。
大学4年の頃から始めたフリークライミングだが、就職活動を終えた夏以降は、一人で東京の奥多摩渓谷の河原でのボルダリングが中心だった。川原にころがっている巨石を登ったり、トラバース(横移動)したりするだけだが、落ちても安全な高さであり、しかも一人で出来るので、気軽に楽しんでいた。気軽なはずだった・・・
ほんの4メートルほどの高さを登るだけだった。ところが何度トライしても登り切れない。最後のホールドに手が届かないのだ。その手前まではたどり着ける。しかし、懸垂の要領で身体を引き上げ、最後のホールドに手を伸ばしても10センチ届かない。身長163と小柄な私には無理なコースなのだろうか?
この最後の一手に拘り、いろいろ努力した。バレリーナ・トウという爪先立ちのトレーニングを繰り返し、後4センチたらずまでは伸びた。でもまだ足りない。ジャンプもいろいろと試行錯誤したが、覆いかぶさるようなルートなため、ジャンプでは体のバランスが崩れて、すぐ墜落してしまう。
3ヶ月あまりたち、諦めかけていた頃だった。アメリカから著名な女性フリークライマーである「リン・ヒル」が来日した。彼女が奥多摩の高難度ルートにチャレンジするとの報があり、私も見に行った。なんという偶然か、彼女はそのルートに挑む前に、私の練習場であった渓谷の河原でボルダリングを始めた。多分ウォームアップのつもりだったと思う。
そして私が3ヶ月以上トライして敵わなかった岩壁の前に立った。スルスルっと登りだし、やはり私が失敗を続けた地点でその動きが止まった。リン・ヒル嬢は私より小柄だ。手を伸ばしても届かない。さあ、どうする?
懸垂の要領で身体を引き上げる。そこまでは私と同じ。しかし動きが止まらない。鎖骨の下あたりまで身体を引き上げると、グイっと更に押し上げる。手首を返して身体を押し上げてしまった。そして最後のホールドに軽々手をかけて完登してしまった。何事もなかったかのような、スムーズな動作だった。
唖然呆然とはこのことだ。発想の転換というか、思考の柔軟さというか、コロンブスの卵さながら。目から鱗が落ちたかのような、爽やかな驚き。
懸垂の体勢から、更に身体を押し上げただけ。ただそれだけ。
ヒル嬢は、本来の目的のルートを目指してその場を立ち去ったが、私は残った。自分でやってみずにはいられなかった。でも、見るとやるでは大違い。やはり出来なかった。でも分かってきた。ポイントは二つ。身体を押し上げるための筋肉、おそらくは広背筋の強化が必要なこと。ヒル嬢が身体を押し上げた時、背中の筋肉がグイっと盛り上がったが、凄い筋肉だった。
もう一つはバランス。おそらく単純に手首を返すだけでは、バランスを崩して落ちたはず。体が振られる時、それと反対方向に足を持ち上げていたから、その動きでバランスをとっていたと思えた。これをカウンターバランスという。
方向が定まれば、後は実践あるのみ。2ヵ月後、私は見事に登りきることが出来た。う~ん、爽快である。この時点で私の意識は、完全にフリークライミングに囚われていた。もうすぐ卒業して、会社に入り社会人となるわけだったが、私は幾ら貯めたら退職して、クライミング三昧の生活に入るかを計算していた。500万貯めれば、2年は山暮らしが出来ると踏んでいた。
そのつもりで新社会人となったわけだから、極めて不埒な新入社員だったわけだ。まさかその後すぐに難病に侵されるなんて、想像すらしてなかった。人生思い通りにはいかないものだと、つくづく思う秋の夜更けです。
大学4年の頃から始めたフリークライミングだが、就職活動を終えた夏以降は、一人で東京の奥多摩渓谷の河原でのボルダリングが中心だった。川原にころがっている巨石を登ったり、トラバース(横移動)したりするだけだが、落ちても安全な高さであり、しかも一人で出来るので、気軽に楽しんでいた。気軽なはずだった・・・
ほんの4メートルほどの高さを登るだけだった。ところが何度トライしても登り切れない。最後のホールドに手が届かないのだ。その手前まではたどり着ける。しかし、懸垂の要領で身体を引き上げ、最後のホールドに手を伸ばしても10センチ届かない。身長163と小柄な私には無理なコースなのだろうか?
この最後の一手に拘り、いろいろ努力した。バレリーナ・トウという爪先立ちのトレーニングを繰り返し、後4センチたらずまでは伸びた。でもまだ足りない。ジャンプもいろいろと試行錯誤したが、覆いかぶさるようなルートなため、ジャンプでは体のバランスが崩れて、すぐ墜落してしまう。
3ヶ月あまりたち、諦めかけていた頃だった。アメリカから著名な女性フリークライマーである「リン・ヒル」が来日した。彼女が奥多摩の高難度ルートにチャレンジするとの報があり、私も見に行った。なんという偶然か、彼女はそのルートに挑む前に、私の練習場であった渓谷の河原でボルダリングを始めた。多分ウォームアップのつもりだったと思う。
そして私が3ヶ月以上トライして敵わなかった岩壁の前に立った。スルスルっと登りだし、やはり私が失敗を続けた地点でその動きが止まった。リン・ヒル嬢は私より小柄だ。手を伸ばしても届かない。さあ、どうする?
懸垂の要領で身体を引き上げる。そこまでは私と同じ。しかし動きが止まらない。鎖骨の下あたりまで身体を引き上げると、グイっと更に押し上げる。手首を返して身体を押し上げてしまった。そして最後のホールドに軽々手をかけて完登してしまった。何事もなかったかのような、スムーズな動作だった。
唖然呆然とはこのことだ。発想の転換というか、思考の柔軟さというか、コロンブスの卵さながら。目から鱗が落ちたかのような、爽やかな驚き。
懸垂の体勢から、更に身体を押し上げただけ。ただそれだけ。
ヒル嬢は、本来の目的のルートを目指してその場を立ち去ったが、私は残った。自分でやってみずにはいられなかった。でも、見るとやるでは大違い。やはり出来なかった。でも分かってきた。ポイントは二つ。身体を押し上げるための筋肉、おそらくは広背筋の強化が必要なこと。ヒル嬢が身体を押し上げた時、背中の筋肉がグイっと盛り上がったが、凄い筋肉だった。
もう一つはバランス。おそらく単純に手首を返すだけでは、バランスを崩して落ちたはず。体が振られる時、それと反対方向に足を持ち上げていたから、その動きでバランスをとっていたと思えた。これをカウンターバランスという。
方向が定まれば、後は実践あるのみ。2ヵ月後、私は見事に登りきることが出来た。う~ん、爽快である。この時点で私の意識は、完全にフリークライミングに囚われていた。もうすぐ卒業して、会社に入り社会人となるわけだったが、私は幾ら貯めたら退職して、クライミング三昧の生活に入るかを計算していた。500万貯めれば、2年は山暮らしが出来ると踏んでいた。
そのつもりで新社会人となったわけだから、極めて不埒な新入社員だったわけだ。まさかその後すぐに難病に侵されるなんて、想像すらしてなかった。人生思い通りにはいかないものだと、つくづく思う秋の夜更けです。