文部省が7年間、存在しないとしていた「いじめ」問題。
存在しなかったのではなく、隠されていただけ。教師という名の官僚たちが、責任回避を図って隠蔽していただけ。
私は「いじめた」こともあるし、「いじめられた」こともある。さすがに「いじめ」を必要悪とは言わない。でも、人間が人間である以上、なくなることはないだろうと考えている。人間は他人を労わる優しさと、他人を傷つける残虐さとを併せ持つ生き物だと認識しているからだ。
ただ、暴言との誹りを受けるかもしれないが、敢えて言うぞ。いじめたくなる奴って、たしかにいる。
先天的な原因での「智恵遅れ」や、障害とは言えない程度の「とろい」奴をいじめるのは良くないと思う。でも、場の空気が読めず、かき回す奴とか、自己中心的で、自省のない奴とかは、はっきり言って、苛めたくなる。指摘して、喧嘩して、改める奴なら「いじめ」は起こらない。なぜ、自分が周囲から「いじめられる」のかが分からない奴に限って、いじめたくなる。要するに人間関係の構築が下手な奴らだと思う。
別に根拠があるわけではないが、全国の先生達が「いじめ」を報告しなかったのも、一部には先生自身が、いじめに共感していたのではなかろうか。いじめの場面に居合わせた事は何度かあるが、事情を知っている時は、案外「いじめる」方に共感していたことが多い。
個人的には多数対一は好きではなく、やるならタイマン、と思っていたから、いじめる側に回ることは少なかったと思う。でも、気が短く、言葉がキツイ性分なので、気が付いたら「いじめる」側と見られていたことは、ままある。
今回も、文部省に「いじめ」を理由にした予告自殺が世間を騒がしているが、はっきり言って私は不愉快だ。役所に文句(愚痴だか泣き言だが知らんが)言う余裕があるなら戦え!じゃなきゃ逃げろ!別に死ななくても、他で生きていけばいいだけだろうと思う。
「私、いじめられているの。誰も助けてくれないの。だから死ぬの」なんて、悲劇の主人公ぶっているんじゃない! こんな奴、そばにいたら私だって「いじめたく」なる。もっと、生きる努力をしろ。他人の手を期待するな。自分の足で立って、歩いて、そして生きろ。
私ら難病患者は、就職、結婚、住宅ローンなど様々な場面で差別を受ける。多少の医療費補助制度がある地域もあるにはあるが、生きていくための公的援助なんぞほとんどない。誰かに助けてもらうことを期待していたら、生きていけるはずもない。
だから、惨めでも、みっともなくとも自力で生きる。筋肉がやせ衰えた身体で、朝の通勤ラッシュのペースについて行くことが、どれほど苦しいか分かるだろうか。でも、誰も助けることなんて出来やしないから、惨めでも隅っこをノロノロ歩く。
強い薬の副作用で体がボロボロでも、誰も助けてくれやしない。だから、自分で創意工夫して生きる。それは早めの出勤だったり、食事の工夫だったり、人により様々だ。今でこそ、普通の状態で生きていけるが、再発したら又あの惨めな日々が待っている。いつかは来る、きっと。
現在の医学では完治不可能な以上、逃げることは出来ない。だから出来る範囲で、精一杯生きる。はっきり言います。「いじめ」られるのが嫌なら逃げろ。逃げることが出来るのだから、逃げればいい。ただ、それだけ。いじめられっ子に同情するのは構わないけど、甘やかすな。私からすると、いじめられっ子には、生き延びようとする必死さが足りないと思う。
存在しなかったのではなく、隠されていただけ。教師という名の官僚たちが、責任回避を図って隠蔽していただけ。
私は「いじめた」こともあるし、「いじめられた」こともある。さすがに「いじめ」を必要悪とは言わない。でも、人間が人間である以上、なくなることはないだろうと考えている。人間は他人を労わる優しさと、他人を傷つける残虐さとを併せ持つ生き物だと認識しているからだ。
ただ、暴言との誹りを受けるかもしれないが、敢えて言うぞ。いじめたくなる奴って、たしかにいる。
先天的な原因での「智恵遅れ」や、障害とは言えない程度の「とろい」奴をいじめるのは良くないと思う。でも、場の空気が読めず、かき回す奴とか、自己中心的で、自省のない奴とかは、はっきり言って、苛めたくなる。指摘して、喧嘩して、改める奴なら「いじめ」は起こらない。なぜ、自分が周囲から「いじめられる」のかが分からない奴に限って、いじめたくなる。要するに人間関係の構築が下手な奴らだと思う。
別に根拠があるわけではないが、全国の先生達が「いじめ」を報告しなかったのも、一部には先生自身が、いじめに共感していたのではなかろうか。いじめの場面に居合わせた事は何度かあるが、事情を知っている時は、案外「いじめる」方に共感していたことが多い。
個人的には多数対一は好きではなく、やるならタイマン、と思っていたから、いじめる側に回ることは少なかったと思う。でも、気が短く、言葉がキツイ性分なので、気が付いたら「いじめる」側と見られていたことは、ままある。
今回も、文部省に「いじめ」を理由にした予告自殺が世間を騒がしているが、はっきり言って私は不愉快だ。役所に文句(愚痴だか泣き言だが知らんが)言う余裕があるなら戦え!じゃなきゃ逃げろ!別に死ななくても、他で生きていけばいいだけだろうと思う。
「私、いじめられているの。誰も助けてくれないの。だから死ぬの」なんて、悲劇の主人公ぶっているんじゃない! こんな奴、そばにいたら私だって「いじめたく」なる。もっと、生きる努力をしろ。他人の手を期待するな。自分の足で立って、歩いて、そして生きろ。
私ら難病患者は、就職、結婚、住宅ローンなど様々な場面で差別を受ける。多少の医療費補助制度がある地域もあるにはあるが、生きていくための公的援助なんぞほとんどない。誰かに助けてもらうことを期待していたら、生きていけるはずもない。
だから、惨めでも、みっともなくとも自力で生きる。筋肉がやせ衰えた身体で、朝の通勤ラッシュのペースについて行くことが、どれほど苦しいか分かるだろうか。でも、誰も助けることなんて出来やしないから、惨めでも隅っこをノロノロ歩く。
強い薬の副作用で体がボロボロでも、誰も助けてくれやしない。だから、自分で創意工夫して生きる。それは早めの出勤だったり、食事の工夫だったり、人により様々だ。今でこそ、普通の状態で生きていけるが、再発したら又あの惨めな日々が待っている。いつかは来る、きっと。
現在の医学では完治不可能な以上、逃げることは出来ない。だから出来る範囲で、精一杯生きる。はっきり言います。「いじめ」られるのが嫌なら逃げろ。逃げることが出来るのだから、逃げればいい。ただ、それだけ。いじめられっ子に同情するのは構わないけど、甘やかすな。私からすると、いじめられっ子には、生き延びようとする必死さが足りないと思う。