ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

「三国志」 吉川英治

2006-11-14 09:50:10 | 
毎年、必ず三国志。冗談でなく、初めて読んだ中一の秋から30歳くらいまで、本当に毎年読んでいた。

正確には、吉川英治の三国志がお気に入りだった。さすがに近年は再読する頻度も減ったが、それでも延べ20回以上再読しているはずだ。

十代の頃は孔明が好きだった。ところが20代になると、いつのまにか曹操を贔屓するようになっていた。現在も、どちらかといえば曹操を高く評価している。

日本では人気の高い劉備は、当初からあまり好きになれなかった。なにゆえ、劉備が一党のボスであることが理解できなかったからだ。おそらくは、ある種の「人たらし」なのだろうと思う。武においては関羽に及ばず、勇においても張飛に及ばず、智においても孔明に及ばない。ただし、人遣いの上手さは三人を凌駕していたのだろう。狡猾であり、巧緻な人間関係の達人であったのではないかと思う。上司としては、実に難儀なタイプだと思う。

一方、孔明は典型的な参謀タイプなのだろう。特に後方支援などの兵站に優れた人材だと思う。反面、実戦指揮官としての指導力にはいささか疑問が残る。また人望という面では、劉備に遠く及ばず、劉備の死後以降、どうも空回りの感が強い。優秀すぎて、周囲から浮くタイプだな。三国志演戯では、主役扱いの人なので、どうも美化されすぎの印象がある。

どちらかといえば、敵役の役回りを担わされた曹操だが、武人としての実績も、文人としての功績も、ずば抜けてはいないが、実務家としてのバランスが優れた政治家なのだろうと思う。後漢王朝の実質的崩壊以後、崩れ行く国を支え、再構築して後の魏王朝の基盤を築いたのは、この人の政治力あっての功績だと思う。

私が不思議に思い、また好感を抱くのは、自らは帝の地位につかず、あくまで臣下の立場でい続けた固くなさゆえだ。実力は帝王級ながら、ナンバー2の立場でありつづけたのは何故か?裏から支配することを好む陰謀家とみることも出来るが、私が曹操があくまで漢王朝の臣であるという気概を持ち続けていたがゆえだと思いたい。まあ、実際は実力なき皇帝をたてに使ったほうが、やりやすかっただけかもしれないが。

いずれにせよ、私の歴史好きは、この一冊(実際は全八巻だが)から始まったと思う。歴史は人が作るもの。人の営みは、今も昔も変わる事がない。歴史を学ぶことは、人がいかに生きてきたかを学ぶことだと思う。幸運だったと思うのは、唯物史観に汚染された歴史教科書の洗脳を受ける前に、歴史を物語として受容していたことだ。このことは、また改めて書き記したいと思います。
コメント (9)
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