本当は資本論と書きたいが、2巻の途中で挫折した。原因は退屈というより、しつこさに根を上げたからだ。ホント、マルクスってオジサンは執念深い。ただ表題の「共産党宣言」は短いので読みきれた。でも、とりわけ感動したわけではない。
私は十代半ばまで、間違いなく左派系の思想の持ち主だった。子供の頃、大変に素行の悪い私を心配して、母にキリスト教会へ連れて行かれたことが契機だった。転校が多く、根無し草的な奔放さを持っていた私は、教会で大人たちに受け入れられたことをけっこうありがたいと思っていた。
そして、当時教会に通う若者たちの間では、当然にマルクス主義に感化された人が多かった。貧しい人たちのため、虐げられた人のために戦うとされたマルクス主義は、善良な(あるいは未熟な・・・)若者たちに受け入れられる要素を多分に多く持っていたからだ。
当時、小学生だった私が、同じ教会に通う若者たちに連れられて、大学で行われていた読書会に通いだすのも必然だったと思う。読書会といっても、実際は話を聞かされることの方が多かった。そこで私はベトナム反戦運動や、マルクス思想、毛沢東語録に大きく胸を動かされた。
で、マルクスである。この人、もの凄く正義感が強かったのだろう。当時のヨーロッパは資本主義真っ盛り。儲けるためなら、女子供でも容赦しない。弱い者は金儲けの犠牲となり、すり潰される。そんな悲惨な状況に、マルクスは確信したのだろう、「資本主義は間違っている!」と。
この間違った状況を変えるには、貧富の差の拡大を直すには、そして皆が幸せな社会を築くには、どうしたらよいか。その苦悩の末が、いわゆる社会主義思想であり、マルクスは更に共産主義という極めて革新的かつ破壊的な思想を編み出した。
マルクス以外にも社会主義思想はあった。しかし、マルクスの思想が世界に広まったのは、その独善性にある。共産主義は正しいのだから、それを達成するための方法は、なんであろうと正しい。つまり貧者が武力をもって富める者を簒奪することにお墨付きを与えたのである。だからこそ、マルクス共産主義を掲げる集団は、誘拐、強奪などの武力による行動を、正しき目的を達成するための、正しい手段として認めている。
それゆえ、世の中の不公平の大元である富の偏在(少数の金持ちと多数の貧者)を憎む多くの集団から、マルクス主義は受け入れられた。そして、世界中の政府、国家からマルクス主義は、世の平和を乱す危険な思想として禁じられた。(日本の学校は、このへんの事情を教えていない)
マルクスの資本論は、資本主義が間違っている事。そして共産主義こそが、人類の目指すべき正しいあり方であることを徹底的に、しつこく、ねちっこく書き綴っている。その一つの手法に「科学的」という、当時宗教に代わって思想の中心的存在になっていた論理的思考法を導入したことだ。
マルクスはこの科学的思考という手法を、なんと本来人文の対象である歴史にまで導入してしまった。歴史とは、その国、その地域文化、その地域集団がどのように生き、どのように暮らしてきたかを記す物語だ。神話という名の架空話にさえ、その神話を信じる人たちの生き方の根拠としての価値がある。また合い争う複数の地域集団の間では、異なる歴史があるのは当然のことだ。
しかし、マルクスは、歴史を自分の思想の正しさを証明する道具として位置づけた。無神論である共産主義思想をベースにしているため、神話などは科学的根拠に乏しいとして廃し、年号と事実関係の記載という、科学的歴史を作り上げてしまった。これを唯物史観という。この歴史観に強く影響を受けているのが、日本の歴史教科書だ。
或る意味、歴史の授業が面白くないのは当然だ。こんな無味乾燥な文字の羅列が面白いわけがない。本来、歴史とは人間が怒り、悲しみ、悩み、歓喜する様の積み重ねなのだから、面白くって当然のものだった。そこから民族としての誇りや、屈辱が培われ、民族集団の基礎が形作られる。歴史なくして民族無しなのだ。
日本の歴史教科書は、マルクスの唯物史観からの脱却宣言をしなければならないと思う。
私は十代半ばまで、間違いなく左派系の思想の持ち主だった。子供の頃、大変に素行の悪い私を心配して、母にキリスト教会へ連れて行かれたことが契機だった。転校が多く、根無し草的な奔放さを持っていた私は、教会で大人たちに受け入れられたことをけっこうありがたいと思っていた。
そして、当時教会に通う若者たちの間では、当然にマルクス主義に感化された人が多かった。貧しい人たちのため、虐げられた人のために戦うとされたマルクス主義は、善良な(あるいは未熟な・・・)若者たちに受け入れられる要素を多分に多く持っていたからだ。
当時、小学生だった私が、同じ教会に通う若者たちに連れられて、大学で行われていた読書会に通いだすのも必然だったと思う。読書会といっても、実際は話を聞かされることの方が多かった。そこで私はベトナム反戦運動や、マルクス思想、毛沢東語録に大きく胸を動かされた。
で、マルクスである。この人、もの凄く正義感が強かったのだろう。当時のヨーロッパは資本主義真っ盛り。儲けるためなら、女子供でも容赦しない。弱い者は金儲けの犠牲となり、すり潰される。そんな悲惨な状況に、マルクスは確信したのだろう、「資本主義は間違っている!」と。
この間違った状況を変えるには、貧富の差の拡大を直すには、そして皆が幸せな社会を築くには、どうしたらよいか。その苦悩の末が、いわゆる社会主義思想であり、マルクスは更に共産主義という極めて革新的かつ破壊的な思想を編み出した。
マルクス以外にも社会主義思想はあった。しかし、マルクスの思想が世界に広まったのは、その独善性にある。共産主義は正しいのだから、それを達成するための方法は、なんであろうと正しい。つまり貧者が武力をもって富める者を簒奪することにお墨付きを与えたのである。だからこそ、マルクス共産主義を掲げる集団は、誘拐、強奪などの武力による行動を、正しき目的を達成するための、正しい手段として認めている。
それゆえ、世の中の不公平の大元である富の偏在(少数の金持ちと多数の貧者)を憎む多くの集団から、マルクス主義は受け入れられた。そして、世界中の政府、国家からマルクス主義は、世の平和を乱す危険な思想として禁じられた。(日本の学校は、このへんの事情を教えていない)
マルクスの資本論は、資本主義が間違っている事。そして共産主義こそが、人類の目指すべき正しいあり方であることを徹底的に、しつこく、ねちっこく書き綴っている。その一つの手法に「科学的」という、当時宗教に代わって思想の中心的存在になっていた論理的思考法を導入したことだ。
マルクスはこの科学的思考という手法を、なんと本来人文の対象である歴史にまで導入してしまった。歴史とは、その国、その地域文化、その地域集団がどのように生き、どのように暮らしてきたかを記す物語だ。神話という名の架空話にさえ、その神話を信じる人たちの生き方の根拠としての価値がある。また合い争う複数の地域集団の間では、異なる歴史があるのは当然のことだ。
しかし、マルクスは、歴史を自分の思想の正しさを証明する道具として位置づけた。無神論である共産主義思想をベースにしているため、神話などは科学的根拠に乏しいとして廃し、年号と事実関係の記載という、科学的歴史を作り上げてしまった。これを唯物史観という。この歴史観に強く影響を受けているのが、日本の歴史教科書だ。
或る意味、歴史の授業が面白くないのは当然だ。こんな無味乾燥な文字の羅列が面白いわけがない。本来、歴史とは人間が怒り、悲しみ、悩み、歓喜する様の積み重ねなのだから、面白くって当然のものだった。そこから民族としての誇りや、屈辱が培われ、民族集団の基礎が形作られる。歴史なくして民族無しなのだ。
日本の歴史教科書は、マルクスの唯物史観からの脱却宣言をしなければならないと思う。