ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

多分、偶然だけど

2012-06-22 12:03:00 | 日記
知らなかった。ただ、冒険したかっただけなんだ。それなのに、あの仕打ちはないと思う。

家から自転車を走らせて30分あまり。武蔵野の面影を濃く残す雑木林の奥に、その古びた建物はあった。いわゆる廃屋であり、周囲を金網で囲ってあるうえに、網の上部にはバラ線が這わしてあったので、登って入ることも出来なかった。

だからこそ、我々悪ガキたちは入り込むことに拘った。ダメと言われればやりたくなる。入っちゃダメな場所ならば、どうしたって入りたくなる。それが悪ガキの本能である。そんな場所に入り込めば、仲間内ではヒーローだった。

考えた末に思いついたのは、ワンちゃん方式。要するに金網の下に穴を掘り、潜り込んでしまえばいい。日曜日の朝に集まり、手にするは小さなスコップだ。雑木林に分け入り、かねて狙っていた金網の下の柔らかそうな地面にスコップを突き立てる。

掘り出してから30分あまりで、子供ならば這って通り抜けられる穴を掘ることに成功した。日曜日の午前中ならば、警備員の巡回もないことは確認済みであった。

誰が最初に潜るか。誰もが一番手を名乗るが、なぜか誰も実行しようとしなかった。薄暗い林の中とはいえ、金網の向こうには古びた家屋があるのみ。別に怪しい雰囲気はなく、恐れるものはなにもないはず。

でも、なんとなく気が咎めた。不法侵入を厭うた訳ではない。ただ、なんとなく一番手は嫌だと思ってしまっただけだ。このあたり、悪ガキって奴は小狡い。

結局、ジャンケンで順番を決めて入り込むこととなった。誰が一番かは覚えていない。私は三番手だったことだけ覚えている。地面に這いつくばり、金網の下に掘った穴を抜けると、あっけなく入り込めた。

別に特段怪しい雰囲気もなく、最後の一人が出てくるのを待って我々は探検に出かけた。ウキウキとドキドキが入り混じったワクワクする気持ちが態度に出て、スキップしながら歩き回る始末である。

建物をぐるっとまわり、隣の管理人小屋が静まっているのを確認してから、建物への侵入を模索しはじめた。もちろん入口には鍵がかかっていた。裏口というか勝手口も閉まっている。

後は窓か・・・そう考えて窓をまさぐっていたら、仲間の一人が妙な声を上げた。なにかと思い集まると、勝手口の脇に捨てられた看板があった。薄汚れている上に、難しい漢字だったので、全部は読めなかった。でも、そのうちの一字は明らかに「院」であった。

問題はその前の字だ。当時は読めなかったが「医」の字に似ているように思えた。ここ医者の家だったのか?

なんとなく不気味な気持ちがして、冒険心が少し萎えた。仲間と顔を見合わせていたら、屋根つきの自転車置き場らしき場所を調べていた奴が「鍵があった!」と叫ぶので、あわてていってみた。

自転車置き場の上の物入れの中に鍵が、ひっかけてあった。再び冒険心が甦り、その鍵の合う鍵穴を探した。すると勝手口の鍵であることが分かり、とうとう建物の中に入り込むことに成功した。

気分は大泥棒である。靴を脱いで、そろそろと入り込む。薄暗いが、どうも給仕場のように思えた。扉を開けると、案の定食堂と思しき広間があり、その先の廊下の両脇は、いずれも金属製のベッドの枠だけが置いてある。やはり、ここは病院であったようだ。

2~30分探索したが、埃以外になにもなく、気抜けしてその家を出た。ただの空っぽの家に過ぎなかった。期待を裏切られた気持ちで再び金網の下を潜って林に戻った。もう昼時だったので、一度各自家に帰って食事してから、再び集まる約束をした。

その数日後のことだが、悪ガキ仲間の一人から、とんでもない情報を聞く羽目になった。なんと、あの廃屋は以前は病院で、しかも伝染病の隔離病棟だという。そいつは、親からえらく叱られたらしく、おまけにかなり脅かされたようで、伝染病になったらどうしようなどと不安がる始末である。

もっとも、その医院が廃業したのは私たちが産まれる前のことで、今さら病原体があるはずもなく、私たちはヘラヘラと笑って、親に騙されたんだよとそいつを慰めた。でも、内心ちょっぴり薄気味悪く思っていたのは確かだ。

なんで、こんなに覚えているかというと、実はその侵入事件の半年後にその地域で伝染病が流行ったからだ。赤痢の弱い奴で疫痢が保育園で発生して、そこへ通う子供と家族を中心に感染しての騒ぎになったからだ。

そして、以前にも書いた通り私の妹が感染し、私にも感染して兄妹仲良く隔離病棟へ入院する羽目に陥った。もちろん、あの廃屋への侵入とは無関係である。そのはずだ。関係あるわきゃない!

だが、周囲はそう思ってはくれなかった。おかげで、私ら悪ガキどもはクラスでえらく肩身の狭い思いをいた。転校生だった私が一番割を食い、苛めの対象となったのは仕方ないのかもしれない。

子供って奴は残酷なものだ。一緒にあの廃屋にもぐり込んだ奴らまで、私を責めるのには閉口した。軽く人間不信に陥るくらい落ち込んだ。おとなしく苛められていればいいものを、逆襲してクラス全員から反感を買い、学校にいずらくなって放課後校外で悪さをするようになったのは、ある意味必然であった。

私は呪いとか、宿命とかはまるで信じていないが、因果応報のようなものは漠然とあるのではないかと考えている。たしかに忍び込んだ私は悪かったのかもしれない。でも、あそこまでやり返されるのは理不尽だ。

多分、私が神様とか宗教とかに対して、絶対的な帰依心を持ちえなかったのは、この時の理不尽さへの怒りと不信感が根っこにあるように思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

隣の芝は綺麗に見える

2012-06-21 12:58:00 | 社会・政治・一般
先月のことだが、ある知人の方がアメリカから一時帰国した。

日本生まれの日本人だが、学生時代に留学したアメリカを気に入ってしまって、就職もアメリカでして数回の転職後も当地に留まって仕事を続けている。今回は、親族の葬儀ということで帰国されたようだが、たまたま機会があって山梨の温泉地への旅行に同行することになった。

アメリカ西部の乾燥した地域に住んでいるだけに、新緑が瑞々しい風景に盛んに感嘆していた。日本語が母国語ではあるが、なんとなく会話のリズムが違っているように感じたのは私だけではあるまい。

その彼が一番感心していたのが、高速道路の滑らかな路面のことであった。

これは意外だった。ご存知の通りアメリカは自動車なしでは暮らせないハイウェイ大国でもある。片道(!)6車線道路のハイウェイが縦横に走るロス周辺は別格だが、地方へ行っても、立派に舗装された自動車道が用意されている。

しかし、その知人に言わせると道路整備に金をかけていないので、路面が荒れてしまっていると言う。東京近郊とはいえ、地方都市の高速で、これほど綺麗に整備され、凸凹もない道路を走るのは、実に爽快だとしきりに感心していた。

アメリカでは車高の高い四輪駆動車に乗っているのは、路面が荒れているからなんだと少し寂しげに語っていたのが印象深かった。

実を言えば、アメリカの道路、橋、上下水道、ガス管などの公共財は今危機的な状況の一歩手前にある。アメリカという国は、19世紀の終わりから20世紀半ばにかけて飛躍的に近代化を進めた。

だから、建築されて100年近くたっている公共財は少なくない。コンクリートはしっかりと打てば数百年持つとされているが、それはしっかりとメンテナンスを受けてこそだ。その負担はアメリカ市民の税金で賄われる。

税金の使途についての納税者の関心の度合いは、日本をはるかに上回る。無駄遣いを厭う傾向は非常に強い。それは良いことのように思えるが、メンテナンスのような目に見える効用の少ない支出を控える傾向が強いことは、以前から指摘されていた。

その結果、老朽化が進んだ橋や、腐食による水漏れが断水につながるほどの水道管など、市民の日常生活に支障が出るほどになっている。こうなると大規模な営繕が必要なのはもちろんだが、場合によっては再構築が必要ではないかと思われる。

そこで問題になるのが財源だ。ブッシュ、クリントン、オバマと政党問わず、増税を控える傾向が強いのは、民主主義の仕方ない側面ではある。だが、財源不足から道路や橋、上下水道のような公共財が痛んでいくのは、むしろ悪い側面だと言っていい。

この問題のもう一つの側面は、アメリカが隠れた公共事業市場を膨大に持っていることにある。以前CS放送でのアメリカの水道管の腐食問題を取り上げた番組で登場した大学研究者が言及していた。

うろ覚えだが、その研究者は膨大な公共財メンテナンス事業は、失業対策のみならずアメリカ社会の健全化にも大きく寄与するはずだと言っていた。私もそう思う。だが、アメリカの有権者すなわち納税者が、それを認めるかどうかは別問題だろう。

振り返って我が日本はどうだろう。毎年年度末になると、駆け込みの公共事業で道路は渋滞することに不満を持つ人は多いと思う。本当にその工事、必要なのか?と思わざる得ないほど工事は多い。

私が以前、自治会の副会長をしていた時だが、給水塔のペンキ塗り工事があり、修繕積立金を取り崩しての大鰍ゥりなものであった。ところが、その工事の翌年、その給水塔の大規模営繕工事の予定が組まれていたことを知り、自治会で大騒ぎになった。

いったい前年のペンキ塗りはなんのためだったのか。我々が毎月支払う共益費の無駄遣いは許せないと、都公社に押しかけての騒ぎになったのは必然であった。その結果、分かったのはペンキ塗りを企画した部署と、大規模営繕工事を担当する部署が違うことであった。

同じ建物にあって、部署が違うというだけで、それぞれ別個に調整もせずにメンテナンスをやっていたことが判明した時は、怒りよりも脱力感のほうが強かった。結局、大規模営繕のうち重複していた外壁部分だかを省いて、その計画は実施された。もし黙っていたら、同じ個所を二回もペンキを塗りなおす無駄が行われていたであろうことは明白だった。

多分、似たような無駄な公共工事、けっこうあるんじゃないのか。ただ、冷静に考えてみると、冒頭に挙げた話のように快適な高速道路の路面は、毎年のように行われる公共工事によって維持されているのも事実。

アメリカのように、メンテナンスを無駄とされて荒れた道路は困るが、日本のように重複するような無駄なメンテナンスが多いのも困る。世の中、難しいものだと思わざる得ません。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バリバリ伝説 しげの秀一

2012-06-20 12:02:00 | 

日本メーカーに元気がない。

かつてモーターショーといえば、デトロイト、ジュネーブ、パリそして東京であった。世界各国の主要自動車メーカーが最新の車を展示して隆盛を誇った。

だが、今や東京は廃れるばかり。替わって躍り出たのが北京である。今は世界最大の自動車販売市場と化したシナを目指して、世界の主要自動車メーカーがしのぎを削る最前線である。

もちろん日本メーカーも出店しているが、どうも活気がない。電気自動車やハイブリッドに力を入れるのは分かるが、どうもデザインが爺臭い。はっきり言えば、恰好悪い。なんか平均点が65点で、やむなく多数決で決められたような、可もなく不可もない退屈なデザインが多い。

昔から日本メーカーの最大の弱点がデザインだったのは確かだが、いまだ進歩も改善も観られない。それに引き替え、デザインに魅力を感じたのが現代や起亜といった韓国メーカーだ。先鋭的で未来を訴えるイメージのデザインは、明らかに日本メーカーを上回っている。

中身だって、日本の最新鋭の生産設備を導入しているだけに、その差はかなり縮まっていると思う。しかもこの円高とウォン安なのだから、今後日本車を上回るケースは出てくると思う。もちろん、急速に地力をつけつつある中国メーカーも油断できない。

今後、世界市場に占める日本車の割合は下がる一方だと予測せざる得ない。

一方、いまだに日本メーカーが世界市場の7割を握る分野がある。それがオートバイの世界だ。ホンダ、ヤマハ、カワサキ、スズキはオートバイの世界ではビック4とも言うべき存在であり、かろうじてBMWが続くくらいだ。

ハーレーダビッドソンも健闘しているが、むしろイタリアのモト・グッツイやドゥカティのような小さなメーカーの頑張りが嬉しい。あのデザインは真似できないと尊敬の念さえ抱く。

大型バイクの世界は、日本のビック4とドイツ、イタリア、アメリカでぼぼ寡占状態であり、この状況は当分変わりそうもない。一方、ミニバイクの世界は、中国、タイ、インドネシアに個性的なメーカーが沢山現れて、日本メーカーの牙城を崩しつつある。

途上国では、まだまだミニバイクの需要が旺盛で、現地国のニーズを取り込んだ現地メーカーの躍進は成長の証しでもある。この分野に関しては、日本の市場占有率は大きく低下すると思われる。これは致し方ない。

ただ、大型バイクの世界は完全にブランドを確立しているがゆえに、当面寡占は続くと思われる。何故なら大型バイクは趣味、嗜好の世界であり、ただ単にデザインが良いとか、スピードが速いだけでは評価されずらいからだ。

なによりも、レースでの実績、歴史が物をいう。オートバイレースの世界は、日本メーカー抜きではあり得ないほど、日本のバイクは浸透している。未だ階級社会の名残が残るヨーロッパでは、オートレースの世界は貴族の趣味の範疇であり、それゆえに新参者の参入は容易ではない。

日本メーカーが、ヨーロッパのレースに参入したのは1960年代であり、当初は厚い壁に阻まれて相当な苦労を重ねている。だが、挑み続け、結果を残し、今では立派なブランドとしての名を持つに至った。欧米ではオートバイ愛好者での間では信仰に近いほどの信頼を得ているほどだ。

ところがだ、肝心の日本ではオートバイは常に日陰者の扱いを受けてきた。原因は若者たちの暴走にある。これは暴走族だけを指してではない。週末の峠道を駆け回るオートバイは、静かな暮らしを望む市民たちの悩みの種であり、その騒音問題は社会的批判の的とされてきた。

おかげで、オートバイに乗っているだけで、世間から白い目で見られる始末である。F1のように四輪の車のレースなら歓迎されても、二輪のオートバイは迫害されてきた。それが大型バイクの世界の過半を占める日本の実情だ。

そんな逆境にめげず、日本の若者たちは世界に挑み続けた。世界チャンピオンさえ狙える上位に名を連ねる日本の若者も数人輩出された。しかし、相変わらず世間の目は冷たく、欧米なら名士として与えられる名誉もない。日本の常識は、世界の非常識との言は、オートバイの世界では常識といっていい。

もっとも今どきの若者は、オートバイどころか自動車にさえ関心が薄く、せっかくスポーツカーを売り出しても、買いに来るのは40代50代のおじさんばかり。若者はスマートフォンに夢中で、独り言をネットの世界につぶやくことで満足している有様である。

もっと世間の風にじかにぶつかって欲しいものだ。オートバイで駆け回れば、風の爽快さを知り、濡れた路面の怖さを学ぶ。死の危険を間近に感じるからこそ分かることがある。車ほど安全でないがゆえに分かることもあるんだよ。

表題の作品は、バブルの始まる少し前に連載が始まり、当時の若者、とりわけバイク乗りから圧倒的に支持されたバイク漫画の傑作です。峠道でひたすらに速さを求めてきた主人公が、その速さの魅力にはまり、またその恐ろしさを知り、それでもなおバイクから離れられず、地道な努力を重ねて世界を相手のロードレースに挑む物語でした。

今日、高速道路を週末にオートバイで走る中高年ライダーは、まず間違いなくこの漫画にはまったことがあるのではないかと思う。今からバイクに乗れとは言いませんが、バイクにはバイク独特の楽しさがあることは分かって欲しいと思います。

余談ですが、私はバイクには現在乗りません。どうも私はバイクに乗ると道路交通法を守らないことが分かったので、自転車で満足しています。風を感じて街を走るの、今でも大好きなんです。

足元のエンジン音の響きを力強く感じながら、バイクで疾走するのは快感に近い喜びですが、そうなると信号とか標識が邪魔くさく思えてならなくなる。そのせいで、免許証を何度もマッポに取り上げられ、財布に手痛いダメージを被ったのでバイクは諦めました。

難病を被ってからは、あの素敵な風が体温を奪い、すぐに体調を崩すと分かり、ますますバイクから離れざる得なくなった次第。だからこそ、バイクに憧れるのでしょうね。実際に乗れないのなら、この漫画を読んで楽しむぐらいが関の山なのが残念です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ある日の昼食

2012-06-19 14:18:00 | 健康・病気・薬・食事
たまには外すこともある。

実のところ私は、一日中事務所の椅子に座っていることは希だ。週の半分以上は、顧客まわり税務署等役所まわりで外出している。そんな時の悩みの種は、昼食をどこでとるかだ。これにいつも悩まされる。

毎年、数回訪れる場所ならば、食べる店もだいたい決まっている。問題は、たまたま訪れた見知らぬ街での食事の場所だ。これが難しい。私は基本的に自分の目で見て、鼻で嗅いで店を探す。

美味し匂いのお店はいずこに?

たかが匂いと馬鹿にするなかれ。これがけっこう当たる。店の見た目よりも、お皿から香立つ匂いこそ、その店の味の技量が分かろうってもんだ。私は匂いで外したことは、滅多にない。

過去に失敗したのは、線路のガード下の飲食店街で、いろいろな匂いが入り混じって、どの店から匂うのかが分からず、とりあえず人の多そうな店に入ったら味は大外れ。ただし値段は安かったので文句も言いづらい。どうも隣の店からの匂いと間違えたようだ。

今回の失敗は客をみなかったことによる。路地の裏の厨房からの匂いは、この店の料理の美味しさを裏付けていると確信した。実際、まだ昼前だというのに、店内は8割がた埋まっている。きっと美味いに違いない。

そこで入って、定番の昼食メニューを頼む。ここで気が付くべきだった。通常、美味しい店には女性客が多い。言っちゃなんだが、女性は口うるさい。不味い店で食事しようと思う女性は、そう多くない。だが、この店の客は、女性が少ない。いや、いるにはいるが、かなりのご年配に見受けられる。

よくよく客を見回すと、そろいもそろって高齢者ばかり。ありゃりゃと思っていたら、すぐに配膳された。ちなみに頼んだのは嵩リ定食である。一目見て、これは高齢者に合わせたメニューだと気が付いた。

中華なのに、お味噌汁が付くだけでない。付け合せの野菜サラダも、おひたしであり、年配者が喜びそうなものばかり。しかも、ボリュームも高齢者に合わせたもので、私にはいささか物足りない。ご飯お代わり無料なのは嬉しいが、肝心の嵩リが少ない。

腹六分といったところか。なお、店の名誉のために言っておくが、味は悪くなかった。ただ、量が少なめで、野菜も柔らか過ぎに思えた。だが、高齢者には嬉しい内容であることは分かる。だからこそ、客の大半が高齢者であったのだろう。

駅前のカフェで、コーヒーとサンドイッチを頼んで、しばし時間を潰す。あの店、少子高齢化時代を先取りしたかのようなメニューは、それなりに成功していると言ってもいい。味だって、がっかりするようなものではない。

でも、この物足りなさをどうしてくれる。サンドイッチを素早く胃袋に送り込みながら、一人反省会である。やっぱり、もう少しじっくりと観察すべきであった。まだまだ修行が足りないな、私は。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出してね

2012-06-18 11:50:00 | 社会・政治・一般
むかしむかし、あるところに自分の欲望に大変正直な若者がいました。仮にブンちゃんとしましょう。

ブンちゃんは、はっきり言えば女好き。もっといえばSEX大好きで、世界中の女の人と仲良くなりたいと壮大な夢を抱いていました。彼がその夢を実現したいと思い、村を出て、都会で思いっきりその欲望を満たしていました。だけど、それは良識ある世間が許さないことであったので、ブンちゃんは刑務所に入れられてしまいました。

牢屋のなかでブンちゃん反省しました。今度は警察に捕まらずに、もっと堂々と自分のやりたいことをやれるようにしよう。

時は冷戦さなかの時代であり、ブンちゃんの国でも緊張感が張りつめていたものです。ここに目を付けたブンちゃんは偉い。世界は共産主義という悪魔に蹂躙されており、救世主ブンちゃんが世に送り出されて、世の中を愛と平和で統一する指名に目覚めちゃいました。

ブンちゃんは、悪魔である共産主義に対抗するといった看板を掲げて、今まで以上に金、女、名誉といった欲望を満たすべく活動に勤しみ、ついには政府とのつながりまで得て堂々、宗教団体として認められました。

救世主ブンちゃんは、調子こいて世界に乗り出し、世界中の金、女、名誉え得るべく頑張っちゃいました。ところが、キリスト教という古臭い宗教にしがみつく輩が、新たな救世主であるブンちゃんが気に入らず、世界各国で活動を禁止される有様。

そりゃ、悪運払いのツボを売りさばいたり、信者に無給で働かせて金儲けをしたりしたけど、それも世界を救うため。それをカルトだの、霊感商法だの、脱税だのと古臭い考えで、正義の戦いを邪魔するとは、まさに世界はサタンの魔の手に染まっている。

ブンちゃん、ここは頑張らねばと奮闘しましたが、ついにキリスト教原理主義の国にとっ捕まり、監獄に入れられる始末。でも、世の中に頑固な馬鹿はつきぬもの。今でも救世主ブンちゃんのため、無給で奉仕する信者に囲まれ麗しき余生を楽しんでいます。

このような輩は、我が日本では入国が許されぬはずですが、ブンちゃんの金に目がくらんだ政治業者が役所に手をまわしたようで、現在はぬくぬくと日本でも活動しているようです。

電車のなかで、このブンちゃんの自叙伝が発売されるとの広告を見かけてビックリ。20年以上前、散々叩かれたはずのブンちゃんが、再び活躍しているとは驚くしかありません。

もう忘れてしまった人もいるでしょうが、くれぐれもブンちゃんの口車には乗らないように。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする