家から自転車を走らせて30分あまり。武蔵野の面影を濃く残す雑木林の奥に、その古びた建物はあった。いわゆる廃屋であり、周囲を金網で囲ってあるうえに、網の上部にはバラ線が這わしてあったので、登って入ることも出来なかった。
だからこそ、我々悪ガキたちは入り込むことに拘った。ダメと言われればやりたくなる。入っちゃダメな場所ならば、どうしたって入りたくなる。それが悪ガキの本能である。そんな場所に入り込めば、仲間内ではヒーローだった。
考えた末に思いついたのは、ワンちゃん方式。要するに金網の下に穴を掘り、潜り込んでしまえばいい。日曜日の朝に集まり、手にするは小さなスコップだ。雑木林に分け入り、かねて狙っていた金網の下の柔らかそうな地面にスコップを突き立てる。
掘り出してから30分あまりで、子供ならば這って通り抜けられる穴を掘ることに成功した。日曜日の午前中ならば、警備員の巡回もないことは確認済みであった。
誰が最初に潜るか。誰もが一番手を名乗るが、なぜか誰も実行しようとしなかった。薄暗い林の中とはいえ、金網の向こうには古びた家屋があるのみ。別に怪しい雰囲気はなく、恐れるものはなにもないはず。
でも、なんとなく気が咎めた。不法侵入を厭うた訳ではない。ただ、なんとなく一番手は嫌だと思ってしまっただけだ。このあたり、悪ガキって奴は小狡い。
結局、ジャンケンで順番を決めて入り込むこととなった。誰が一番かは覚えていない。私は三番手だったことだけ覚えている。地面に這いつくばり、金網の下に掘った穴を抜けると、あっけなく入り込めた。
別に特段怪しい雰囲気もなく、最後の一人が出てくるのを待って我々は探検に出かけた。ウキウキとドキドキが入り混じったワクワクする気持ちが態度に出て、スキップしながら歩き回る始末である。
建物をぐるっとまわり、隣の管理人小屋が静まっているのを確認してから、建物への侵入を模索しはじめた。もちろん入口には鍵がかかっていた。裏口というか勝手口も閉まっている。
後は窓か・・・そう考えて窓をまさぐっていたら、仲間の一人が妙な声を上げた。なにかと思い集まると、勝手口の脇に捨てられた看板があった。薄汚れている上に、難しい漢字だったので、全部は読めなかった。でも、そのうちの一字は明らかに「院」であった。
問題はその前の字だ。当時は読めなかったが「医」の字に似ているように思えた。ここ医者の家だったのか?
なんとなく不気味な気持ちがして、冒険心が少し萎えた。仲間と顔を見合わせていたら、屋根つきの自転車置き場らしき場所を調べていた奴が「鍵があった!」と叫ぶので、あわてていってみた。
自転車置き場の上の物入れの中に鍵が、ひっかけてあった。再び冒険心が甦り、その鍵の合う鍵穴を探した。すると勝手口の鍵であることが分かり、とうとう建物の中に入り込むことに成功した。
気分は大泥棒である。靴を脱いで、そろそろと入り込む。薄暗いが、どうも給仕場のように思えた。扉を開けると、案の定食堂と思しき広間があり、その先の廊下の両脇は、いずれも金属製のベッドの枠だけが置いてある。やはり、ここは病院であったようだ。
2~30分探索したが、埃以外になにもなく、気抜けしてその家を出た。ただの空っぽの家に過ぎなかった。期待を裏切られた気持ちで再び金網の下を潜って林に戻った。もう昼時だったので、一度各自家に帰って食事してから、再び集まる約束をした。
その数日後のことだが、悪ガキ仲間の一人から、とんでもない情報を聞く羽目になった。なんと、あの廃屋は以前は病院で、しかも伝染病の隔離病棟だという。そいつは、親からえらく叱られたらしく、おまけにかなり脅かされたようで、伝染病になったらどうしようなどと不安がる始末である。
もっとも、その医院が廃業したのは私たちが産まれる前のことで、今さら病原体があるはずもなく、私たちはヘラヘラと笑って、親に騙されたんだよとそいつを慰めた。でも、内心ちょっぴり薄気味悪く思っていたのは確かだ。
なんで、こんなに覚えているかというと、実はその侵入事件の半年後にその地域で伝染病が流行ったからだ。赤痢の弱い奴で疫痢が保育園で発生して、そこへ通う子供と家族を中心に感染しての騒ぎになったからだ。
そして、以前にも書いた通り私の妹が感染し、私にも感染して兄妹仲良く隔離病棟へ入院する羽目に陥った。もちろん、あの廃屋への侵入とは無関係である。そのはずだ。関係あるわきゃない!
だが、周囲はそう思ってはくれなかった。おかげで、私ら悪ガキどもはクラスでえらく肩身の狭い思いをいた。転校生だった私が一番割を食い、苛めの対象となったのは仕方ないのかもしれない。
子供って奴は残酷なものだ。一緒にあの廃屋にもぐり込んだ奴らまで、私を責めるのには閉口した。軽く人間不信に陥るくらい落ち込んだ。おとなしく苛められていればいいものを、逆襲してクラス全員から反感を買い、学校にいずらくなって放課後校外で悪さをするようになったのは、ある意味必然であった。
私は呪いとか、宿命とかはまるで信じていないが、因果応報のようなものは漠然とあるのではないかと考えている。たしかに忍び込んだ私は悪かったのかもしれない。でも、あそこまでやり返されるのは理不尽だ。
多分、私が神様とか宗教とかに対して、絶対的な帰依心を持ちえなかったのは、この時の理不尽さへの怒りと不信感が根っこにあるように思います。