私事で申し訳ないが、先月初旬に事務所のサーバー、PC、プリンター、コピー機などを総入れ替えした。何故かというと、リース期間が切れたからだ。格安の再リースも考えたが、今後のことを考えて最新機種に変更することを決断した。
率直に言って、現在の税理士業務にはコンピューターは必要不可欠だ。財務ソフトはもちろんだが、表計算ソフトの便利さは算盤、電卓を超えてしまったと言っていい。
税法は毎年のように変わるし、財務ソフトによる税額計算の速さは、もはや手書きに戻れないことを痛感させられる。ソフトのバージョンアップが頻繁になされるので、ハードもそれに対応できるようにしておく必要がある。
資金的にはかなり痛いが、時代に置き去りにされず、今後を生きていくための必要経費だと覚悟を決めての決断であった。
ところがだ、私は今でも手書きのノートを大事にしている。備忘録はもちろん、顧客別ノートもすべて手書きである。修正申告の予備計算や、資産評価の下準備もすべて手書きで記している。
これには理由がある。PCのワープロソフトを使った方が早くて綺麗で読みやすい記録が残る。なかでも無視しえないのが、書く速さと疲労度だ。これはどう考えても、キーボードを叩いて入力するほうが楽だし、早い。それは分かっている。
分かっていながら手書きに拘るのは、キーボードで書いたものは頭に刻まれないからだ。記憶に残らないわけではないが、手書きの方が圧涛Iに記憶に残る。また、手書きのノートの効用の一つに、修正や錯誤、迷いといった余計な情報が残ることだ。
手書きのノートには、途中で修正した痕跡や、判断に迷ったあげくの挿入文、後から付け加えたクエスチョンマークなどの痕跡が残る。これらの余計な情報が、のちのち役に立つことが少なくない。
ワープロソフトできれいに清書された文章だと、そのような余計な情報が残らない。最後はワープロで清書するにせよ、下書きの段階では手書きの記録のほうが、圧涛Iに情報量が多い。
もちろんワープロでもそのような情報の痕跡を残せない訳ではないが、あまり効率が良くない。それだけでなく、手書きの記録から漂うような曖昧な情報は残せない。字の乱雑さから当時の気持ちの乱れが読み取れることもあるし、文節の途切れ、余計な段落の隙間から判断の迷いが思い出せる。手書きのノートには、無駄で余計で邪魔な情報が残ってしまう。
だからこそ、手書きのノートは役に立つ。ワープロソフトで綺麗に清書された文章なんて、上澄みだけを汲み取っただけだ。底に澱んでいる最終的に切り捨てられた異なる結論、迷いなどがあったことを読み取ることは不可能に近い。
記憶力が鮮明な若い頃なら大丈夫かもしれないが、年々記憶力に自信がなくなってくる年になると手書きのノートのありがたみを痛感する。だからこそ手書きに拘りたい。
まぁ、ただ単に頭が悪いだけかもしれませんがね。