
ツタウルシの紅葉がここまで進んできた。荒野を目指してアラスカへ旅立ったオヤジ遊子にも、そろそろ極北の旅は終章に入ったかと聞いてやりたい(関心があれば「オヤジは荒野を目指す 井上」で検索できます)。
一昨日来る時、以前から行ってみたいと思っていた宮沢という山奥の集落へ寄り道をしてきた。山室川が削った狭い山間の谷には、東の山のかなり奥から緩やかに落ちてくる小さな扇状地が見え、そのどこかに集落はあるらしかった。
上原を過ぎてから標識に従い道路を右に折れ、しばらく上っていった。道路は狭い舗装路が続いて、1㌔ほども行ったら草だらけの畑の一画に「ゴミステーション」の表示があった。人がまだ住んでいるようだった。そのうちに刈り取られた小さな棚田までが見え、さらに行くと宮沢川の流れる狭隘な谷に2,3軒の廃屋に近い家が現れた。思っていた以上に小さな集落で、人の姿はなかった。
それにしてもよくもまあ、何が嬉しくてこんな辺鄙な所に生活の場を求めたのかと呆れたが、選挙区は違うも、この小さな集落から国会議員が出て、近隣の人々にも自慢の種になったようだった。その人のバンカラな逸話が今も残っている。
何故この集落に興味を持ったのかと言えば、それはフトノ峠のせいある。その峠を下りてきた最初の人里が宮沢の集落だと聞いていて、一度は是非訪ねてみたかった。
その昔、富士見から高遠や伊那へ来るには二つの尾根を越え、その間にある一つの谷を渡らなければならなかった。最初が釜無山から白岩岳との間にある約2千メートルの峠、そこから笹平沢を下って小黒川の谷に出る。林道を少し下ると、以前は右手に二番目の峠となるフトノ峠の入口がかすかに分かり、古びた道標もあった。しかし現在はない。峠に至る道も、途中から消えてしまっているらしい。峠を宮沢へ下らずに尾根通しに東へ行けば鹿嶺高原に至るし、北へ向かえば高座岩や本家・御所平峠、さらには牧場へと通ずる。
結局今では、富士見から伊那への古い山道も、フトノ峠から宮沢へ下る一部ぐらいしか残っていないということになる。それでもさびれた山道や、打ち捨てられた廃屋の目立つ山村は今もなお往時の暮らしを偲ばせ、声にならない声で多くのことを語り聞かせてくれていた。
10月、いい季節がやってくる。まだそれほどでもないが、ポツポツ予約が入るようになりました。
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