入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’19年「秋」 (45)

2019年10月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 こういう山道を毎朝上ってくる。きょうは時折霧が林道にも流れ込み、季節の趣をいっそう味わい深くしていた。落葉松の林の雑木林の種類と数の多さも、それらが華やかな彩を見せる紅葉の季節でなければ、恐らくは気付かないで通り過ぎてしまう。



 テイ沢は上流の湿原ヒルデエラ(大阿原)と同じく、営林署の管轄だった。ところが林野庁は1999年に大規模な改組、再編を行い、職員数も大幅に削減されてしまったと聞く。林業が不振に陥ったからだろう。
 山の中に職員に使われていた管理小屋が放置され、朽ちたままになったているように、テイ沢の丸太橋も、そうした見捨てられた管理小屋と同じ運命をたどったものと思われた。そのままにしておいては明らかに危険な状態だったから、管理署の職員にも状況を知らせ、見せたこともあった。しかし、それだけだった。
 ならばと、橋を新しくするからせめて近くで伐採している木材だけでもと頼んだら、「国家の財産を何と心得ているのか」と一喝され、相手にもされなかった。彼らのしたことは、沢の入り口から少し登った落葉松の幹に、ビニールケースに入れたる注意書きらしきを1枚貼り付けただけだった。
 当時は、入笠の観光地化を熱心に進める富士見町への対抗心もあったから、伊那側にもこういう素晴らしい沢があるのだと、何としても整備して、もっと登山者に知らせようと考えた。それと、毎夏1週間くらいの間に、東京の私立中学の生徒と教師が、1日に100人くらい、合計すれば500人も、この沢を登ることを知っていた。そのことも懸念の一つとしてあることはあった。
 結局材木は、入笠山へ行く林道の脇に実生から生えた落葉松があり、それならば伐ってもよいという許可を伊那市から得た。そしてその後のことはすでに呟いた通り、多くは、管理棟の奥の落葉松を間伐した。

 最初のころは、どうしたら入笠の伊那側にも人を呼ぶことができるかと、そればかりを考えていた。この独り言もその一例だが、それから幾年になるのか、当時とは大分考え方が変わった。観光が、本当に地域起こしになったり、活性化に繋がるかという問題と併せて、その弊害も各地で目にするようになったからだ。
 明日もう少し呟くが、手許の2万5千分の1の地図には、テイ沢を高巻く登山道が記されている。

 また週末は雨のようだが、高い山は雪になるかも知れない。3日前に降った仙丈の雪は根雪になりそうだ。

  営業案内 「入笠牧場の山小屋&キャンプ場(1)」およびその(2)です。下線部をクリックしてご覧の上、どうぞご利用ください。



 
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