
昨日はまさに春の陽気だったから、雪の山道は無粋かと思いこの写真を控えた。きょうは一転して季節は冬に戻ったようだから、ド日陰の大曲の昨日の状況をここにも残しておくことにした。写真では充分に伝わらないだろうが、雪道に落ちている木々の影が見慣れた景色にいつもとは違う印象を添えていて、それが車を停めた理由でもある。こうして見ると、左に下っていくこの大曲がかなりの傾斜であることが分かる。
仕事始めは毎年のようにもう少し下で車を捨て、牧場の小屋まで3キロ以上の距離を歩く。そして幾日か通う。昨春も10日ばかり前に降った雪のせいで例年と同じ目に遭ったが、前々から呟いているようにそれが少しも苦ではない。これまでの13年間で、確か2回くらいは車で上まで行けたと記憶しているが、最早行事のようになっているから、やはりそれでは物足りない。道中、牧場で過ぎていった年月を思い返したり、もっと世俗的なことにも思いを巡らせ、生まれたばかりの新鮮な春の息吹を一人だけで存分に味わう。

帰り、いつものように第1堰堤で1枚だけ写真を撮った。それが昨日の写真で、山室川に流れ込む八株沢の出合いが写っているが、この呟きを聞いてくれているお師匠には分かっただろうか。
さらに下って、芝平を過ぎて赤坂の少し上流で川床に降りた。昨年の秋の大出水の跡が今も方々に残るが、狭い谷のその流域だけはなぜか白い川床にあの時の洪水の爪跡はなく、昨日もこの川らしい透明な水が穏やかに流れ、それで帰りに立ち寄って遊んでいこうと決めていた。
流れの傍まで急な斜面を下るのが思いがけず厄介で、下に着くと両岸に山が迫る渓は上から見たよりかさらに狭く、遊ぶと言ってもそこらをうろうろしながら2,3枚の写真を撮っただけで満足した。魚影が濃いかどうか分からないが、釣り人の姿をよく目にする。昨日は見かけなかったが、あんな渓相の中で一日竿を振るう気持ちは、釣りに関心のない者にも分かる気がした。
再び急な斜面に登路を探しながら車まで戻った。どうやら、少し下流にある古い堰堤のお蔭で、かなり上流まで大量の土砂が堆積し、勾配が緩み、それであれだけの大水からも部分的ではあっても守られたのだろうと、そんなふうに推測しながら帰ってきた。
以上、本日もお粗末な独り言。