入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     「冬ごもり」 (76)

2020年03月02日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 弥生3月、気鬱の晴れぬまま新しい月が来た。きょうは曇天ながら、昼近くの天竜川には釣り人や散歩する人の姿が見えて、遠くには野焼きの煙が上がっていた。少しづつ川の水は温み、アカシヤの芽吹きも始まるだろう。普段は夜の天竜川しか知らなかったから、春めいてきた堤防や水の流れ、背後の集落にも、久しぶりに見る長閑な暖かさを感じた。



 今週末に東京で予定されていた大事な集まりが、例の新型コロナウイルスのために延期になった。一応、3泊4日でホテルの予約もして、他にも幾つかの予定を入れておいたが全て取り止めた。別段、新型肺炎の感染拡大を憂慮する政府の要請に従ったつもりはないし、約束を取り消すことにはためらいもあったが、自分では納得している。それに田舎暮らしや冬ごもりに慣れた身体には、都会の雑踏や空気には馴染めそうもなく、入笠以外はすっかり足を向けなくなった山のように、都(みやこ)もますます遠くなるばかりだ。
 
 牧場の仕事が始まるまでにはまだ1ヶ月半以上もあるから、気が向けばどこかに出掛ける時間的な余裕は充分にある。行ってみたい神社仏閣も少しあるし、気持ちの和む土地を旅してみたいと思わぬわけではないのに、今一つその気になれない。後になって無為なるままに過ごした日々を悔い、自らを叱ることは分かり切っていながら、「今春みすみすまた過ぐ」ということになるのかも知れない。今やすっかり老人に追い付かれてしまった。誰か尻を叩いてくれる人はいないか。
 そういえば、北原のお師匠が身延山久遠寺へ行く機会があれば一緒に行きたいと話していた。久遠寺は何度か訪れているが、行ってみたい神社仏閣の一つであるし、もちろん師と同道すれば愉快な旅が期待できる。師弟とも日蓮宗と入笠・法華道、それに麓の諸寺について断片的なことであれ、知りたいと思うからだ。ただそれには準備も必要で、まだ時間がかかる。手に負えるかどうかも覚束ない。
 覚束ないことならまだある。杖突街道を諏訪方面に向かえば、峠の少し手前に「物部守屋神社」がある。初めてこの大層な名を社殿の鳥居に見た時には大いに驚いた。諏訪大社上社の神長官も守矢氏(洩矢氏)であり、守屋山は上社の奥宮という説もある。もしかすれば、物部守屋神社の奥宮と混同している可能性も含め、いろいろと空想を逞しくするには事欠かない。
 冬ごもりの間に、山の民から関心はいつの間にかおかしな方に移って、大分収拾がつかなくなってきた。無聊な日々をお蔭でこれまで何とかひっそり暮らすことができたが、ただこうした興味がいつまで続くことやら、他のことと同じように食い散らかして終わる公算が高い。

 以上、本日もお粗末な独り言。
 
 
 

  
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