この写真も、今から1ヶ月くらい先の入笠の春、牧場は花見ごろ。このころになれば白樺の林の中の山桜も開花して、よく目立つようになる。第1牧区と第4牧区には気に入った山桜の木があるが、これらは古木のため冬の間に枝を風に折られたり、吹き飛ばされたりして、年々その姿が樹勢の衰えと重なって見えるようになってきた。特に雷電様の近くにある2本の老木は、年によっては期待を裏切ることもある。それでも、そこから目にする残雪の中央アルプスは五月の空に映えて、こっちの方は充分に主役を盛り立て惜しまない。
きょうからの3連休、家の中に閉じこもっていた家族の中には、野外に飛び出して久しぶりの解放感を味わっている人たちもいるだろう。確かにキャンプ場なら換気の悪い窮屈な場所ではないし、やろうと思ったら一定の距離をとって会話をすることもできる。しかしテントの中はどうだろう。炊事場やトイレは問題ないのか。単独で、誰もいない山の中なら安心でも、やはり手袋、消毒液など、それなりの対策、工夫が当然必要になる。
ところで昨夜の専門家会議の記者会見、「オーバーシュートが起きると、ロックダウンのような強硬な処置を云々」だと、みんなどう聞いただろう。「パンデミック」、「クラスター」、「アウトブレイク」・・・、こういう言葉も日本語に混ざってしきりに使われるようになった。オーバーシュートは「爆発的な患者の急増」のことで、ロックダウンは「(地域)封鎖」のことをいってるらしい。ところが、なぜか「医療崩壊」は日本語だから、この方は初めて聞いた人でも話の前後から意味が分かってくる。「世界的な大流行」、「(感染者の)集まり」、「急激で大規模な感染者の拡大」、というように日本語ではいけない理由があるのか。注意喚起にはこれらカタカナ語の方が効果があるのか。
結局、対策の効果もなかったわけではないが、まだまだ注意を怠るな。ただし、社会活動も大切だから、状況を見ながら少しづつできることを始めろ、くらいで、それほど新たな頼りになる知見や、対策などは聞けないまま、後半は睡魔に負けてしまった。
ついでに、最近「・・・ならイイナと思います」などという言い方をよく耳にする。例えばウイルス感染が「早く収束したらいいなと思います」といったように。何故「早く収束して欲しいと思います」と言わないのか。この言い方はどうしても軽く、他人事、他人任せのように聞こえてしまう。「幸せになれたらいいな」と「幸せになりたい」では、「違うだろう!」。クク。
22日はこの独り言を休みます。(3月20日記)
本日もお粗末な独り言。