きょうのPHは少し気が早い。それでも1ヶ月ぐらいはあっという間、すぐにこういう季節が来る。このころになれば山桜も咲き出し、肉体はまた歳を重ねても、気分だけは清々しい自然の中で再生されるような・・・、多分、それは錯覚だろう。昨日は「切ない春だ」などと独り言ち、きょうは一転して新鮮な芽吹きのころにと気は移る。日毎に変わる気分に揺れながら、季節が進む。それにしても、きょうはいい天気だ。地方によっては5月末の気温になると、昨夜の予報だった。
今年も牛は上がってくるのか、牧場をどうするのか、まだ畜産課からは何も言ってこない。小屋やキャンプ場は高遠支所が担当窓口になるが、ここからも沙汰はない。いつもの年ならこんなことは一向気にしないが、何しろあの禍々しいウイルスのお蔭で先行きが分からず世の中は動揺している。そんな中、高遠の桜祭りも中止に追い込まれた。それくらいだから、大型連休の人の移動もどういうことになるのかと案じてしまう。
よく分からないのは、この新型肺炎が、はて、どれほど危険なのかということだ。その点に関して、専門家の言うことも実にいろいろで、世界を見ても国の対応がまちまちである。また、日本では感染の拡大が何とか抑え込めていると見るのかもはっきりしない。
ワクチンはまだ開発されてはいないようだが、回復して退院する人も数百人と結構いる。重篤な病を持った高齢者の中には死亡例も増えているが、例えば感染者1636人に対し死亡者39人、この数字をどう読むべきか。昨年はインフルエンザで3千人以上がなくなり、1月に限っても毎日54人がなくなったと某誌が報じていた。これとどのように比較し、考えたらよいのか。
専門家の中には、免疫力のある若い人にとってはそれほど怖ろしい病気ではないと発言をする人もいる。病気の感染状況を詳しく伝えてくれるのもいいが、一体この病気がどういうか性質(たち)のものなのか、この際政府専門家会議はしっかり、はっきりとした所見を是非示してもらいたいと思う。
最近では、オリンピック・パラリンピック開催にも悲観論が増えている。仮にIOCや日本がやるやると言っても、それで海外の選手や関係者、さらには観客が来てくれるのだろうか。まあ、こんなことは連日報道されている心配で、ここで呟くことだとは思わない。止そう。ただ、まだこの国を信頼しているが、仮に開催が延期もしくは中止になっても、きっと「そうなったか」というくらいで済ませ、牧場の牛たちに八つ当たりするようなことはしないと思っている。
本日もお粗末な独り言。