来る日も来る日も塩気のない、毒にも薬にもならぬことを呟く。冬ごもりの間ぐらい黙していたらと思わぬでもないが、閑居不善の日々にあれば話し相手はここにしかない。こんな暮らしでも新聞を読むし、某月刊誌もずっと読み続けている。テレビも見ないわけではない。当然、嫌でも世情のことが耳に入ってくる。.にもかかわらず、頑なに入笠に拘ってきた。しかしここまで来ると、正直この呟きの意味、目的が分からなくなって混乱している。以下はその様(ざま)。
例の新型肺炎、こうして冬ごもりをする者にとってはあまり脅威ではない。人と接触する機会が少くない上、出不精を決めて人中に出ることもないから当然といえば当然である。また、高齢者には感染の影響が大きくも、若い人はそれに比べ重症化しないと報じられれば、「では自分は安心だ」などと、とんでもない思い違いをして、それに気付いて嗤う。つい先日72歳になったのだから立派な高齢者である。にもかかわらず、そんなことに無意識でいる時の年齢は、一体何年前、幾歳のつもりなのだろうか。
夜更けの散歩ぐらいしか運動はしないが、それほど体力の低下を意識したことはない。と言いかけて、これだけ動かないでいれば体力が落ちていようがいまいが、気が付かないかも知れないとも思う。きっと、また仕事が始まれば、少しでも距離を短く、少しでも平坦な場所を選んで歩く自分を知るだろう。冬ごもりの間の楽観は「老人の元気、春の雪」だったと思い知らされるかも。
よりによって前法務大臣と、その妻である参議院議員の選挙運動における疑惑が、秘書らが逮捕されたことによりさらに一段と深まった。これに対して「しっかりと説明責任を果たすように」と、二人が所属する党の重鎮が語ったそうだが、またしても「説明」という言葉、おかしくないか。理解が不足していたり、誤解であればそれはできる。しかしこの場合は、「白状してお裁きを受けろ」と言うわけにもいかず、「上手く言い逃れしろ」と言っているのだろう、あの顔は。他人事として、突き放してしまっている、あの態度は。
冠を正したわけではなく、実際に梨を盗んだところを見付かったのであれば、謝るしかない。悪質であれば、お縄を受けることにもなる。ところがなぜか我が国の政治家は、遁辞を弄することを「説明」と言い、こちらの目が悪いか、知識や理解が不足しているかのように発言するのは、選挙民を愚弄していることにはならないのか。「心配とご迷惑をおかけして」と詫びてみても、誰もあまり心配などしていない。
以上、本日もお粗末な独り言。