入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「春」 (8)

2020年03月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


   帰り来てふる里の空
   かくばかり青かりしとは
   しらざりしかな
         -山口良忠ー

 昨夜、あることを調べようと、同じくらい昔に使っていたノートを調べていたら、こんな走り書きした歌を見付けた。もう、16年も過ぎたが、信州で暮らすようになったころ何かでこの歌を知って、きっと同じような心境で書き留めたのだろう。
 
 その一時流行った本型携帯用のノートは東京にいたころ、働いていた会社のOさんから貰った。その時はそうでなかったが後に社長に昇進し、しかしその2年後、前任の社長を追うようにして同じ病気で帰らぬ人となった。最後に話したのは旅に出る寸前に羽田空港からかけた電話でだったが、話すのも覚束なかったから聞くだけでいいと一方的に話した。終えようとしたら、しゃがれた声でようやく「気を付けて行ってこいよ」と言ってくれた。
 信州に戻って暮らし始めたころは1年ほどだが酒を止めていて、その間、何度か上京して会っても水を飲んでいた。それが気に入らないとよく文句を言われたものだが、あれだけ一緒に飲んでいただけに、迎えてくれた人は裏切られたような気がしたのかも知れない。
 旅の帰りには見舞うつもりでいたが、それをしてない。もう、連絡が取れなかった。それから1ヶ月もしないうちに訃報が届き、上京しした。

 きょう何故こんな話になっているかいうと、この独り言に時折出てくる「大先輩」とは、無意識のうちだったがこのOさんを思い描いていたと気付いたからだ。それをこの古いノートが教えてくれた。「大先輩」はOさんだけでなく、実際は別の人も含めた空想虚構の人ではあるけれど、とはいえ、やはりそれでもOさんが一番「大先輩」に近いと思う。
 本が好きで、旅が好きで、よくご夫婦で出掛けていた。音楽や絵も好きだった。6,7歳ほど年齢は上だったが、いつの間にかOさんの亡くなった歳をとっくに超えている。入笠牧場で働くようになったのは、亡くなった翌年からだったが、一度は来てもらいたかった。特にこれから迎える新緑に埋まる牧場を目にしたら、何と言っただろうか。

 冬は戻ってきたけれど、短い再開にも似て、もう、去っていってしまった。Chiyさん、そうですか。HB氏も入笠を懐かしんでくれていましたか。氏も実は「大先輩」の一人です。二人はよく似ています。

 本日もお粗末な独り言。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする