また春が戻ってきた。昨夜西山に降った雪は昼前には融けてしまったようで、経ヶ岳の山肌は山頂付近を省けばこの季節らしく、芽吹きを控えて明るい春の陽を浴びている。入笠はどうだろうか。
そんな麗らかな日に、「天人五衰」などという言葉をまたしても思い付いた。いかに天女でさえも、死を迎えるに当たっては五つの段階を経て衰えていくという仏教の教えである。これを知ったのは、あの人畢竟の遺作「豊饒の海」四部作の最後の巻「天人五衰」でだが、詳しいことまでは知らない。ただ、この言葉を思い出すきっかけがあった。
偶々手にした雑誌で見かけただけだが、若いころは美人だったある女優がすっかり老いてしまい、どこにでもいる中年の婦人、というよりかオバサンになっていて驚いた。無理もないと言えばそうで、あの映画からは40年以上が経過していた。面影がうっすらと残っていたが、容貌にはそれだけの年月が刻んだゆかしさのようなものは感じられず、好感も持てなかった。
やはりこれも最近偶然に目にした写真だが、太平洋戦争末期、特攻出撃を控えた若い兵士たちに混じって20歳そこそこの娘さんが笑顔を浮かべて写っていた。あれから75年近く経つからその人も、もし長生きができたとしても、すでに亡くなった可能性の方が高いだろう。しかし、その姿を想像しても「天人五衰」という言葉をこの人に当てはめる気にはならない。あの邪気のない笑顔からは、年齢に相応しい老い方をした人のような気がする、そんな老婆の姿が思い浮かぶ。
たまに見るテレビでは、中年を過ぎたような女性が、容貌や体型を気にし、いろいろな努力をしているのを目にする。飲んだり、塗ったり、転がったりとご苦労なことだが、あの女優ばかりか誰も老いには勝てない。健康を気にして男も女も歩けあるけが盛んだが、あんなにしてもどれほどの伸びしろが期待できるのだろうか。2年か、3年か、10年はないだろう。
美しいことも、健康であることも大切であり、誰でもが願う。有難いことに寿命は延びている。しかし、天女でさえもそうだから、限度というものはどちらにしてもある。
季節は巡ってくるけれど、過ぎた去った時間は巡ってはこない。HALも「天人五衰」状態で、もう、太れないということかも知れない。切ない春だ。
本日もお粗末な独り言。