昨夜散歩に出ようとすると、骨犬(ほねいぬ)HALが「付き合ってやってもいい」と言っているようだったので、大丈夫かと心配だったが連れていた。途中で引き返すことも覚悟していたところ、行動はゆっくりだったが、段差の大きな階段も普段のように上り下りし、2キロ程度を意外と元気に歩いた。ドッグフードには相変わらず口を付けないが、パンとか肉は喜んで食べる。今朝はヨーグルトも与えたが、卵と同じようにもう飽きてしまったのか口を付けず残した。ナマイキな犬である。
昨日の独り言の続きになる。どうしてあんな辺鄙で人里離れたヒマラヤの山奥に、400年もの遠い昔から人が暮らすようになったのか、残念ながら番組は教えてくれなかった。何故、あの地でなければいけなかったのかも分からない。製作者一行がたどった獣道のような山道が唯一のものであれば、あの場所に至るには14,5日を要し、さらにその間には5千メートルを超える峠を幾つも超えて行かねばならない。迷い込むには遠過ぎて、険し過ぎる。
それでも、もしかしたら我々の祖先は、似たような行き当たりばったりを何千回、何万回も繰り返しながら、長い年月をかけてこの地球上に散らばっていったのかも知れない。しかしその万年に比べたら、ティンギュー村の歴史は新し過ぎる。何らかの理由で、彼らの先祖が新天地を求めた挙句にとんでもない場所に迷い込み、そこに定住するしかなかったと考えられなくもない。ただ、だとしても、よくも途中で彼らの後裔は絶えることなく、幾代にも幾代にも及ぶ長い年月をここまで続けてこられたものだと驚く。
それに関連して、この村の住民の中には珍しい家族がいた。兄弟二人に対して一人の妻、それと子供いう構成で、弟は兄を慕い、尊敬していると言うほどだから仲は悪くないはずだ。妻の側もこういう関係に不満も見せず、受け入れていた。この結婚形式が村では一般的かどうかは分からなかったが、きっと村の人々も承知の上でのことで、さもなくばそこに住むことなど許されなかっただろう。
村を存続させるためには子孫を多く残さなければならず、繁殖のためにいつしかこういう方法が生まれたのだとしたなら、これも僻地の村落崩壊や、少子高齢化を克服する一つの手段としてそれなりに機能してきたわけだから、時代の流れから取り残されてしまった人たちの策として納得する。
ところであの彼らに、このごろわれわれの国では同性婚者が、これまでの男と女の結婚と同等の法的権利を主張し、求めていると伝えたら、果たして何と言うだろうか。「非生産的」などとは言わなくとも、小さな隠れ里のような村の将来を案じはするだろう。
きょうのPHはいつもの散歩道、天竜川の土手から撮った写真。工場が写っているものの、この場所の他は殆どが田圃や集落が点在する田舎の風景で、朧月夜の昨夜は、天竜川の川音も心なしか春めいてか暖かく聞こえた。
以上、本日もお粗末な独り言。
昨日の独り言の続きになる。どうしてあんな辺鄙で人里離れたヒマラヤの山奥に、400年もの遠い昔から人が暮らすようになったのか、残念ながら番組は教えてくれなかった。何故、あの地でなければいけなかったのかも分からない。製作者一行がたどった獣道のような山道が唯一のものであれば、あの場所に至るには14,5日を要し、さらにその間には5千メートルを超える峠を幾つも超えて行かねばならない。迷い込むには遠過ぎて、険し過ぎる。
それでも、もしかしたら我々の祖先は、似たような行き当たりばったりを何千回、何万回も繰り返しながら、長い年月をかけてこの地球上に散らばっていったのかも知れない。しかしその万年に比べたら、ティンギュー村の歴史は新し過ぎる。何らかの理由で、彼らの先祖が新天地を求めた挙句にとんでもない場所に迷い込み、そこに定住するしかなかったと考えられなくもない。ただ、だとしても、よくも途中で彼らの後裔は絶えることなく、幾代にも幾代にも及ぶ長い年月をここまで続けてこられたものだと驚く。
それに関連して、この村の住民の中には珍しい家族がいた。兄弟二人に対して一人の妻、それと子供いう構成で、弟は兄を慕い、尊敬していると言うほどだから仲は悪くないはずだ。妻の側もこういう関係に不満も見せず、受け入れていた。この結婚形式が村では一般的かどうかは分からなかったが、きっと村の人々も承知の上でのことで、さもなくばそこに住むことなど許されなかっただろう。
村を存続させるためには子孫を多く残さなければならず、繁殖のためにいつしかこういう方法が生まれたのだとしたなら、これも僻地の村落崩壊や、少子高齢化を克服する一つの手段としてそれなりに機能してきたわけだから、時代の流れから取り残されてしまった人たちの策として納得する。
ところであの彼らに、このごろわれわれの国では同性婚者が、これまでの男と女の結婚と同等の法的権利を主張し、求めていると伝えたら、果たして何と言うだろうか。「非生産的」などとは言わなくとも、小さな隠れ里のような村の将来を案じはするだろう。
きょうのPHはいつもの散歩道、天竜川の土手から撮った写真。工場が写っているものの、この場所の他は殆どが田圃や集落が点在する田舎の風景で、朧月夜の昨夜は、天竜川の川音も心なしか春めいてか暖かく聞こえた。
以上、本日もお粗末な独り言。