Photo by Ume氏
上にいると朝がいい。朝日を邪魔していた入笠山の影が次第に消えて、眩い光がこの谷間にも射してくる。正体は今だ知れない、それでいて聞き覚えのある鳥の声もして、それもいい。牛たちはとっくに目覚め、思いおもいの場所でモクモクと草を食んでいる。
急いで弁当を作る必要もなければ、修復の進まない山道を冬用のタイヤを履いて1時間以上も走ることもない。漫然と目の前の景色を眺めながら、一日の始まるのを余裕をもって意識していられるのが有難く、今それをしみじみと感じている。
昨夜も上に泊まった。富士見に下って、充分とは言えないまでも当座の食料と酒は確保した。今年もこれからは牛の入牧を機に山の暮らしを中心にして、里のことは時々届く音信に委ねようと思っている。新聞の購読は中止したし、道路沿いの生垣は一昨日刈り、シタハバの草刈りは人に頼んで済ませてある。陋屋に生える雑草や樹木の類は好き放題にさせておいても、文句を言う人はいまい。
牛を相手にして、牛の真似をして、あまり急がず、野生化を口実に暴走せず、できれば感情は人ではなく周囲の自然に向けるようにして、暮らす。少し変わった晩年ではあると思うも、今更それを受け入れていくしかないし、それで納得してもいる。あまり容貌は良くなくも、心持が良くて明るい、健康な女房はいないが、多分、ここの自然と牛たちがその空白・寂しさを埋めてくれるものと思っている。
朝一番で囲いの中に行ってみたら、ジャージー牛が和牛と一緒になって反芻していた。その澄ました、分かったようなふうを、ついからかいたくなったりするのだが、逆に牛たちはそんな人間をおかしな奴が来たというくらいにしか見ていない。
今のところあまり神経質な牛はいないようだし、草もよく食べている。囲いの中にいる間にも少しづつ調教を進め、牧区へ出すころには牛もここの生活に慣れるだろう。
O澤さん、通信多謝。楽しみにして待ちます。だけど、こちらで用意してますからあれは結構です。
郭公がまた鳴き出した。長閑な朝だ。本日はこの辺で。