今朝は霧が深く、囲いの中の牛の姿がまだ見えない。日が昇ってきたからそのうちには晴れてきて、いつもののんびりと草を食む牛の様子が見えるだろう。鳥の声もする。さっきからよく聞こえてくるのは「トウキョウトッキョキョカキョク」のホトトギス、それにどこかの木の幹に穴を開けようとしているキツツキの立てる音、そしてその伴奏役のいい声で鳴く正体を教えない小鳥の声だ。それらがかわるがわる、時には一斉によく響き合って聞こえてくる。ああ、ウグイスもいる。
見ている者の気持ちのせいだろうか、朝霧と夕暮れはどことなく違うような気がする。偶々そうだったのかも知れないが、昨日の夕霧は放牧地と林の境まで静かに降りてきてそこに留まっていた。今目にしている朝霧は満遍なく谷を埋め、窓を大きく開いたこの部屋の中にまで入ってくる。
それぞれが、何かが終わる寂しさであったり、何かが始まる希望であったりと、まるで異なった感慨を味合わせてくれるようだ。(6月20日記)
囲いの中の草が減ってきたので、きょうは牛たちを第4牧区へ出そうと思う。本当なら、入牧時に和牛だけは第1牧区へ追い上げておくべきだったが、馴化ができていないなどの理由でそうしなかった。生まれてから狭い牛舎の中だけで暮らしてきた牛たちにとって、あの追い上げ坂をいきなりは無理だろうとの判断による。
牛の牧区移動の前に電牧だけでなく、通常の牧柵も点検修理のため見回らなければならない。牛たちの移動はその後になるから、早くても午後を回るだろう。明日から雨のようだから、とにかく少し無理をしても、いつでも牛たちを第4牧区に移せる体制だけは作っておかなければならない。
この第4牧区にはいろいろな思い出がある。まるで青春を懐かしむように、それらのことを思い出す。いや、考えてみればあれは第2の青春のようなものかも知れないと、小入笠へと通ずる防火帯の急な坂を上りながら思ったりした。今まで気付かなかったが、ここにも御料林の石柱が残っている。
時にはいろいろな人が手伝ってくれ、その中には音信の途絶えた人もいれば亡くなった人もいる。それでも、誰もが親しさと感謝を交えて思い出す。
M田さん、久しぶりですね。元気でやってますか。他にも「いいね」を頂戴しましたが、中にはきっとあの人たちもいるだろう。多謝。
本日はこの辺で。