
久しぶりだったせいか、里にはたった1泊しただけなのに長くいたような気がした。上では他人の家のような気がしていても、一夜過ぎればあの陋屋はやはり我が家であった。ポツン、ポツンと小屋の屋根に落ちる梅の実の物寂しい音に迎えられ、そして同じ音に送られて帰ってきた。
朝はまだ降っていた雨も今は止んで、鳥の声がしている。昼を少し回った時間で、外の気温は17度くらいと例年の梅雨の時季と変わらない。静岡の熱海で大きな土砂災害が発生し、土石流が押し寄せる映像がこれでもかというくらい繰り返し報じられている。天災地変というものは、本当に何時、どこで起きるか分からないということを改めて意識させられ、信頼していた人の弱点を見たような、大地の脆弱性を今更のように感じた。
霧が深い。外の様子は殆どずっと変わらない。ただ、午前中は風はなかったが、今は時々雨水を含んだコナシの枝が重そうに揺れている。
昨日家に帰った折にTDS君がある新聞記事を持って訪ねてくれた。「ぶらっとヒマラヤ」という毎日新聞に毎週連載されている藤原章生という人の文章で、里に暮らしていたころは読んでいた。登山家のようだが、詳しいことは知らない。
そこに「心のやわらかさ、物の見方の鋭さ、何かを感じたり、訴えたりする力、人としてのチャーミングさといったことに年齢は関係なく」とあった。なるほど、いつも野生化を口実に、ここに書かれていることのすべてが見事なまでに欠落している者に向かって言っているように読めた。
年を取ると因業な老人が増える。その理由の一つは「憚る」という意識が希薄化することだと、自らを省みて感じている。増してこんな山の中にいれば、社会の中にいれば否が応でも必要な遠慮・さしひかえる意識などなくなってしまい、感情のままに振る舞いがちになる。当然、「心のやわらかさ」、「人としてのチャーミングさ」などは、どこかの国の暴君のように忘れてしまう。
あまり分別をひけらかすような「イイお爺」になりたいとは思わないが、もう少し感情の熱を冷まして、あまりカッカしないようにしないとまずい。カルシュウムが不足しているせいかも知れない。実は今もPCが余計なことをしてくれて、つい、怒鳴り声をあげそうになった。
野生化と闘うことは苦しく、つらい。里と離れてここにいれば、文明は去っていく列車の尾灯のように遠く、消えかけつつあるからあまり自信はないが、人と会ったら吠えないように気を付けよう。
また雨音がする。里のことを思いながら、本日はこの辺で。