
Photo by Ume氏
この写真を見ていると、雲が動き出しそうな錯覚を起こす。まるで鳥になって、眼下の雲と風景を目にしているような気にさえなる。
昨日は用事ができて里に帰り、下にいる。出発にはまだ時間が早いので何事か独り言ちようとしたが呟きにならず、中止してこれから上に行く。
雷が鳴るようになると、それが梅雨明けの前ぶれだと子供のころからよく聞いていた。昨夜はかなり激しい雷の音がして、短い間ながら停電もあったりした中、久しぶりにそんなことを思い出した。
あのころは、今考えればおかしなほど水泳のできる夏を待ち望み、夢中になった。ソフトボールや卓球、スケートにもそれなりの記憶はあるが、なぜか子供のころ思い出の中で水泳は別格である。小学生の1年くらいまでは泳げないのに浮いているふりをして、そのうちいつともなく泳げるようになった。
今のように学校にプールなどなかったから、泳ぐ場所と言ったら川とか堤で、中でも天竜川はひと夏の間では最も足繁く通った場所だった。何年かに1度ぐらいは水難事故もあったし、遊泳が禁じられていた時季に隠れて泳いでいたら学校に通報され、校長室の前で正座させられたのはもう少し後、中学生のころだった。その時は運が悪かったが、早ければ6月ごろから隠れて泳ぐのが当たり前のようになっていた。
「暴れ天竜」の俗名を持ち、流れの激しい所が多く、流されながらも息継ぎをしないまま必死で急流を横切り、その後かなり興奮した。距離にしたらそれほどのことはなく、激しい流れは精々10㍍かそこらだったろう。
夏休みは父兄が当番で監視に来てくれ、それ以外の時は教師が引率した。50名近くの生徒が泳ぐのだから、引率の教師は責任重大であったろうが、担任のH先生は生徒と一緒になって泳いでは「千曲川はこんなもんじゃない」と威張って、流れに逆らい泳いで見せた。
先生は北信の須坂の出身で、「チクマガワ」が出身地自慢だった。確か、白い六尺褌だった記憶がある。あのころでも、男子は大概水泳パンツを履いたが、女子のことは全く覚えていない。低学年のころは頭巾のように耳まで隠れる赤い帽子を被らなければならず、上級生のように格好の良い白い帽子に憧れたものだ。
そういえば、どのくらいの距離を泳げるのかをプールに行って知りたかったし、浮力が全然違うという海で、それを実体験したいとずっと思い続け、そういうことが可能になったころにはいつの間にか水泳への興味は失せてしまっていた。モーリシャスの人工の浜で、西洋人に負けずに泳いだこともあったが。
本日はこの辺で。