台風接近のため、きょうのように曇り空の日もあれば、夏らしい太陽の強い光を浴びることもあるが、この風景をほぼ毎日のように眺めながら歩く。右手に見えているのが電気牧柵で、正常であればこれが小入笠の頭まで7000ボルト以上の電流を送っている。
触れても、電流を抑えているから感電死することはないとはいえ、その衝撃は全身の筋肉が凝縮するような衝撃をもたらし、さすがの牛も一瞬「ブォッ」と鈍い声を上げるほどだ。今はこの電牧のある辺りの草は大方食べ尽くされ、牛の群れは他の草地へと移動している。
今朝6時の気温は15度、肌寒さを感じながら目が覚めた。雨の音もしていたが、今は止んでいる。台風の影響はどうかと雲の動きを見てみれば、ここら辺りは大したことなさそうで、雨なら里へ下ることも考えていたが、どうやらこの分では昨日に続きまた追い上げ坂の草刈りをすることになるだろう。
カヤという植物は不思議な生命力があり、刈れば刈るほど、焼けば焼くほど増えてくる。この牧場も、放牧をしなくなった牧区には少しづつその兆候が現れるようになり、頭が痛い問題だ。この先、牧場がどうなっていくのかという不安、懸念の一番はこのカヤのこと、それと風に運ばれて飛んでくる落葉松の種子で、ここら一帯が牧場でなくなれば遠からずここの景観は一変するだろう。このことは何度となく呟いてきた。
思い付きのような無責任で安易な観光策などは自然破壊だけで終わる危険があり反対だが、長い目で牧場の将来を考えることは必要な時期に来ている。エライ人ではなく、これからを託す若い人たちに期待しているし、そういう人も出てきている。ここに来て、彼らには現状をよく知って貰いたいと思っている。
別れ際「また来ます」と言って去っていく人たちを見送る、見送ってきた。あの人たちは4年ぶりに来たが、その間には家族が増えて、時の流れを感じさせてくれた。そういう人々が他にも結構いる。山梨のあの老人のように、古い黄色のテントと飯盒炊飯を愛し、単独で毎夏来てくれていたのに、いつの間にか姿を見せなくなった人もいる。
今までなら、4年の期間が開いても再会できたが、さらにまた同じくらいの空白となったら、恐らく今夏のようにここで彼ら彼女らを迎えることはできないだろう。きっと、ここにはいないと思うから。
山だったり遠い国なら、もう行くことはないだろうとか、これが最後になるだろうとか、そういうことを感じ、思うことはある。しかし、ここで出会った人々に対して、そういう感慨を覚えたことはなかった。しかし、それが仕方のない現実になりつつある。
赤羽さん、久しぶり。8月のそのころになったら、是非お二人で、その新品に乗って出掛けてください。
本日はこの辺で。