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一番左の牛のポーズ、笑う
どこか遠くから人の声がした。こんな霧の深く立ち込めた雨の夕暮れに、歩いている人なぞいるはずもないから多分、あれは気のせいだったろう。時折こういうことがある。今日も雨はずっと降ったり止んだりを繰り返し、霧もそれにつれて濃くなったり薄くなったりという気まぐれを尽くし、一日がまた暮れようとしている。
また「山の人」になることにしたが、ここの夜は長い。仕事が終われば管理棟でもささやかな「一日を閉じる祭り」をするが、酔えば身を入れて本を読むなどという気は起きてこない。ということは、何もすることがなくなってしまうということになる。時の経つのは遅くなり、その長い夜をしみじみと味わうこともあるが、もてあますこともある。部屋には古いテレビがあるが、とっくの昔に用をなさなくなっている。もともとテレビは見ない方だからそれで不自由なことはないのだが、下手に酔いに負けて寝てしまうと、トンデモナイ時間に目覚めてしまい、起きるべきか寝ているべきか長い思案に暮れなければならななくなる。今寝ている部屋は暗いため、起きると決めたらわざわざこの部屋まで移動してきて、新しい朝が来るまで残された夜と闘うということになるからだ。
考えてみれば、いやそうするまでもなく、洞穴(ほらあな)の住人らにさえあっただろう家族の団欒を、遠くして生きてきた。こんな山奥で酒を飲みつつポツネンと、そんなことを思うことさえ罪深い気がするが、あのありきたりで単調な生活の積み重ねの中には、しかしいつもその人たちだけが分かち合える喜びや笑いや、怒りや失望があり、そんな暮らしが万年も続いてきたというのだ。その列に組しない者は、笠原の丘から眼下の伊那谷の煌めく夜景を眺めながら、その下で繰り広げられている家族の幸福な団居(まどい)だけを想像して、静かに黙って帰ればいい。
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