入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「秋」(62)

2022年10月25日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 林業に携る人たちの仕事は過酷だ。危険でもある。これから冬を迎えればそれがさらに酷しくなる。森を整備し、守り、育てる仕事には違いないが、果たしてあの人たちにそういうことを意識しながら仕事をする余裕があるのだろうか。また、求めることができるのだろうか。
 
 チェーンソーの振動と音に耐え、時に不規則に倒れてくる木や枝に注意しながら、足場の悪い急な斜面で行う仕事が多い。事故も起こる。
 機械化は進んでいるが、それがさらに作業者を追い詰め、伐採から離れれば、今度は重機を器用に扱い木材を貯木していく。
 それらを里へ運ぶには20トンもの大型トラックが使われ、過積載の取り締まりを受けることもある。しかし現状は、その違反を犯すギリギリの量を運ばなければならない。

 森を大切にして、育て、守ろうと言う。結構なことだ。しかし、その情緒的な言葉を口にして、善意の人が集まり、わずかな植林をしていれば足りるのか。
 座頭沢、八っ株沢、初沢に拡がる人工林、枯れ木の頭から月蔵まで続く同じく人工林林、さらにその奥に拡がる守屋山周辺の人工林を見たことがあるか。殆どが落葉松だが、1本いっぽんどれも人が手で植えたものだ。その気が遠くなるような作業、その上幼木がある程度大きくなるまでは毎年のように下草刈りが必要となる。
 手良の沢山にあるかつての御料林が集落に払い下げられ、中学、高校のころその山の下草刈りに行かされたものだ。途中で逃げ出し世間から大顰蹙を買い、親からは嘆かれ、泣かれた。

 戦前、戦後にそうやって植林された落葉松はすでに充分に活用できるまでに育っている。しかし、あれだけの労苦は、充分に報われてはいない。
 林野庁は日本の70パーセントを占める山林の、その約3割を占める国有林の管理を担うが、1999年の組織改編により民間会社に頼らなければその管理ができなくなった。森林組合もあるし、林業会社もある。それでも今、森を育て、守ることが充分にできているのか、知らない。

 そもそも、将来的にどういう森や林を育て、守っていけばよいのか、肝心なこの点について、国の方針すらよく伝わってこない。人工林を自然林に戻せばいいのか。国有林を民間会社に長期委託する話もあったが、その後どうなったのか。
 狭い国土、急峻な谷や森で、広大な平地の森を持つドイツ式の伐採技術を使って、きょうも懸命に働く人たちがいる。



 午前6時、気温1度、初雪!!どうなっているのだぁ・ぁ・あ。
 
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 本日はこの辺で。
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     ’22年「秋」(61)

2022年10月24日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

    Photo by Ume氏

 昨日は日曜日だというのに、静かな秋の一日だった。3時過ぎ、富士見側の展望台へ行っても、歩いている人の姿はなかった。しばらく眼前に拡がる八ヶ岳の山容や、ここではさすがに主役を赤岳や阿弥陀に譲った格好の富士山を眺めた。
 
 そのままヒルデエラ(大阿原)まで行こうとして、仏平の少し手前、何年か前に車道に沿ってできた遊歩道が目に付いた。歩いたことがなかったので、少し戻ることになるが緩やかな上りとなるその山道を、もう一つの展望台まで行ってみた。
 そこでも主役はやはり優美な裾野をひく八ヶ岳で、若いころ四季を通じて登った阿弥陀岳の西面もよく見えていたが、かつての思い入れの山も今や余所よそしさを感じ、早々にそこを立ち去った。
「首切り清水」などというちょっとした広場があって、仏平から続く遊歩道がコナシや落葉松、モミの木などの林の中をヒルデエラまで整備されている。この道も初めてだったが、舗装された車道とは大分雰囲気が違った。
 大した距離を歩くこともなく、車椅子でも行けると謳う立派な木道が見えてきた。気付いたら、湿原の側に沿って古い木柵が残っていて、よく見れば有刺鉄線らしきもある。木道のできる前の湿原・阿原を訪れた人たちは、この辺りを歩いたのかも知れない。
 
 湿原に着いた所で、気紛れが起きた。目の前の木道の終わる辺りから右へと、背後の林に沿うように古い巻き道がありそうに思え、半世紀以上も昔しの学校登山の際には、そこを歩いたのではないかという気がしてきた。で、それを探ってみることにした。
 やはり、想像した通りだった。途中、木材を運び出した古い林道の跡に邪魔されながらも、明らかに道が続いていた。きっと、富士見からの舗装道路や、湿原に木道が出来るずっと以前、「ヒルデエラ」とか「大阿原」と呼んでいたころの周回路の一部だろう。
 
 伊那側の法華道に関しては北原のお師匠の熱意によって、かなりのことが分かっている。他方、富士見側はどうか。観光については熱心で頭も下がるが、納得のいかないこともある。例えば「御所平峠」、「法華道」、「首切り登山口」などなど。
「入笠山観光連絡協議会」などという組織が伊那市と富士見町の間にできている。このあたりの調整も、同会にしっかりとやって欲しいと望むのは無理なのだろうか。

 雨は上がっても日の光りは遮られていて、そのために周囲の景色はあくまでも渋く、赤、黄、緑、その色合いは神々しいまでの美しさだ。

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 本日はこの辺で。
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     ’22年「秋」(60)

2022年10月22日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 一昨日のあの寒さは一体何だったというのだろう。今朝6時の気温は4度である。思わず「4度もある」と呟いてしまった。「最悪の事態は免れた」などと言ったが、やはり外の水場の水道管が破裂していた。とりあえず、目下のところは冬仕様にして、キャンプ場の隅にある集水場の本管から外へ水を流すようにしている。
 水道の水が使えない不便さは、電波が届かない場所にいて携帯電話が使えないようなもので、いやそれ以上で、井戸水で炊事をしたり、台所に水甕を備えた昔しに逆戻りしたような気がする。それにつけても、昔の人は偉かった。

 キャンプの予約が入っているし、牧を閉じるまでにはまだ約1ヶ月もある。夜は流し放しにすればよいから、せめて10月が終わるまでは水道の水が使えるようにしておきたい。どうせその後は一冬、凍結防止のため水を流し続けるのだから。必要と思われる部品だけは、昨日のうちに富士見に下りて買ってきた。
 それにしても、水回りの問題は毎春、毎冬、あたかも行事のようにして起こる。そんな中、水源から遠路1㌔以上も、厳冬期でも水はここの集水場にこんこんと溢れ出るようにしてある。その苦労と努力は少し自慢してもいいだろう。以来、本管が破裂することもなくなった。
 ナンテ、こんなことを言ってるとあれから何年も経つ。地震ではないがそろそろそんな事故が起きる時期に入っているかも知れない。

 痛めたアバラ骨は左だと思っていたら、昨日から右が痛む。昨夜も、ネズ公にクマスプレーを見舞ってやり、そのせいで咳き込んでいたらかなりひどい。あと少しで予定していた追い上げ坂の草刈りは終わるが、まだ牧柵移動の大仕事が残っている。これでは支柱を抜いたり打ち込んだりの作業はしばらく諦めるしかない。
 仕事をしていると、つい、自分の年齢を忘れている。若いころと同じ気分で動こうとし、そうしているる。おだてられて、自分で「斜面を平地のように歩く人」などと言ったりしたものだ。嗤う。

 部品が足りなくなって今朝、富士見へ下ろうとしたら電話。体調不良でキャンプの予約を取り消したいとのこと。こういうこともある。仕方ない。お大事に。
 
 カサコソと落ち葉が舞う音がする。コナシの葉も大分散った。しばらく天気は良さそうだから、残り少ない今年の秋を、眺め眺め尽くし、味わい味わい尽くしたい。
 
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 本日はこの辺で。明日は沈黙します。
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     ’22年「秋」(59)

2022年10月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 そうは言ってもまだ10月である。水回りの冬支度も済まないうちに昨日の朝、気温が零下4度まで下がったのにはすっかり慌てた。それでも幸いなことに、心配した水道管の破裂のような最悪の事態は免れた。
 今朝は昨日ほどの酷しさではなく、それでも午前6時の気温は零度だった。水は流しっぱなしにしているが、それが10箇所にも及ぶから水量が落ちてしまい、炊事には不便な思いをしている。もちろん、最早入浴など望むべくもない。
 だましだまし使っていたファンヒーターも最後の1台が駄目になった。ここくらいの標高では、もともとこの方式のストーブは無理のようなので諦めるしかない。

 こんなことを呟くよりか昨日の日本晴れ、突然やってきたここでの不便な暮らしを補って余りあった。1年を通しても滅多にないような黄金の好天で、それが星々の煌く夜まで続くとは。

 
 
 雲ひとつない真っ青い空の下、いつもの場所からは、遥か遠く、地平と空を分かつ辺りに後立山の峰々が見えて、そこはもう冠雪していた。穂高や槍や乗鞍や、そして御嶽山までが、秋空に化粧っ気のない姿を惜しまずに見せてくれているようだったが、そろそろそんな山々にも白銀の輝く日が近いだろう。
 
 昨日も終日草刈りに奮闘し、時に眼下に拡がる広大な風景に目を奪われ、さらに発奮した。遠くから見ればコナシの葉は、黄色からもっと深いブドウ酒の色に染まりつつあり、まだ緑の色の残る放牧地をより新鮮に見せるのに一役買っていた。
 落葉松の葉はすっかり褪色してしまったが、その中で老いを隠した白樺の樹幹だけが気を吐いているように見えていた。しかし、一見元気に見えるあれらの樹々も、葉を落としてしまえばもう正体を隠せなくなるだろう。それでいい。
 音のない谷はきょうも、緑とも、黄とも赤とも言えない絶妙な色合いに埋もれている。
 
 昨夜のチゲ鍋、大成功。一人鍋の種類が増えた。今度はカキもたっぷり入れてやる。そんなことを独り言ちつつ、そろそろ里へ生活の場を移し、また山道を通う日を増やした方がいいかも知れないと考え始めた。
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 本日はこの辺で。

 

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     ’22年「秋」(58)

2022年10月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

     Photo by Ume氏

 午前5時半、外の寒暖計はついに零下、それも4度だと。霜も降りた。下でも今朝は2度くらいまで落ちるという情報は来ていた。100㍍当たり0.6度の気温差を考えると、ここと里との標高差は約1000㍍だから計算上は6度の差になる。ということは、2度から6度を引けばマイナス4度になり、その通りになってしまった。
 気温が落ちるということを聞いて、水道の水を流しっぱなしにしておかねばということは当然すぐ考えた。にもかかわらず不覚にも寝てしまった。このごろは、気が付けばうたた寝をしているということが多いのだ。
 急いで外の水場へ行ってみたが、凍り付いたカランはもちろん動かない。万事休す、後は何とか無事であることを祈るしかない。それも、水源からここまでの約1㌔に及ぶ地中に埋設した水道管も含めてだ。
 何にしても零下4度とは、呆・れ・た。

 第6牧区との境になる牧柵を、もう少し追い上げ坂寄りに移設する作業が、牛を降ろしてからの今秋一番の大仕事になると決めていた。とりあえず、支柱を抜く作業から始めたのはいいのだが、またしてもあばら骨を痛めてしまった。気を付けていたつもりでも、こういうことは起こる。やむなく、痛みがなくなるまでと、追い上げ坂の草刈りに作業を変えた。
 草刈り機の正しい名称が「刈払い機」だとは長いこと知らずにいたが、確かに「刈る」だけでなく「払う」という行為も伴わなければ足りない。誰が付けたのか。
 追い上げ坂はその名の通り急な斜面で、そこで手強いカヤを刈り払い機を使って刈り、払っていく。平地なら肩から掛けたベルトによって機械の重さは軽減されるが、斜面の場合はそういうわけにはいかない。両手で草刈り機を支えつつ刈り、払うわけで、右手の負担はかなり大きい。加えて足場もよくない。
 草刈りは結構好きな作業で、条件の良い場所でなら遊びのような面白さもある。刈り終えた後の草原を眺めて、一人自己満足に浸るのも悪くない。
 ところが、北原新道にしても、この追い上げ坂にしても、あまり快適な気分では草を刈らせてくれない。地形ばかりかメギや落葉松の幼木もあれば、石もある。切り株も潜んでいて、それに歯が当るとかなりの反動がある。
 
 そんなこんなといろいろとあるが、ここでの極上の秋の窮極と、その終りを見届けてから山を下りるつもりだ。まだ1ヶ月ある。残された日々、尊い時間を思いを込めて過ごし、牧を閉じたい。

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 本日はこの辺で。
 
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