入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「秋」(57)

2022年10月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 目下のところは毛布、架け布団を各1枚づつ着て寝ている。今朝はそれでも寒くて目が覚めた。外の寒暖計を見たら、ナント2度だと、午前6時だった。
 まあ、例年11月になれば凍結防止のため水道の水を落とすわけで、それまでには10日程度しかない。そう考えれば、今朝の寒さも納得できる。納得できるが、それからの水道の使えない不便な暮らし・・・、まてまて、何にも代えがたいここの極上の季節を味わえるのだから、耐えよう。今朝も、曇天下の景色が身に沁みる。先程まで盛んに霧を吐いていた権兵衛山も気が済んだのか、穏やかな全貌を見せている。日が昇り始めた。

 ここにもネズミはいる。それほど大きくはないが、だからといって奴らの跳梁を許すだけの度量は持ち合わせていない。いくら粘着板や殺鼠剤を使って退治に励んでもここが気に入っているらしく、寒くなると戻ってくる。
 昨夜は、ついに堪忍袋の緒が切れ、台所のネズ公が慌てて隠れた場所に、例の熊スプレーを3発も見舞ってやった。そして急いで退去した。もちろんその間、covid-19同様にしっかりマスクをしていた。
 あれの威力はまた強烈、凄い。台所とこの部屋の間には廊下があり、その空間を介して両方の部屋の戸は閉めてあっても、自然と咳込みが始まる。急いでこの部屋だけでなく、台所を省く管理棟の全ての窓や戸を開けた。なお、台所は隙間だらけ。
 以前にアメリカで、暴漢に襲われた女性がクマスプレーで反撃したら、裁判で過剰防衛の判決が出たという話を耳にしたことがある。さもありなん、それほどの威力だ。幸か不幸か、まだ牛やネズミぐらいで、肝心のクマには試したことがない。

 いまだ、一人の人間を信じ、称え、心酔する。為政者であったり、宗祖、教祖だったりだ。これだけ文明が進み、科学はこの世の不思議・謎を次々と解き明かしてきたのに、それでも超常的な能力を信じ、それにすがろうとする人たちがいる。確かに70億の人間を幸福にできる天才などはいっこない。神でさえ一人では足りてないのだから。
 多くの人の一生が、特定の人間の勝手な思い込みや、過信、利益や野心で翻弄され、苦しみ、終わる。こんなことがいつまで許され、続くのだろうか。そのうち、人の手には負えそうもない困難で不確かな判断は、AIに委ねた方がマシだと考える世の中が来るかも分からない。

 キャンプ場を含む「入笠牧場の宿泊施設のご案内」は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「秋」(56)

2022年10月18日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など

   Photo by Ume氏

 今朝は霧が深い。霧の深いのはきょうに限ったことではないにしても、何となくこれまでと違って、その白い闇からは初冬の趣を感ずる。
 小屋に一番近いテント場のコナシの木が見えるくらいで、それより遠くはすっかり霧の中に隠れてしまっている。因みに外の気温は6度にも届いていない。頼りにしている雨量・雲量計を見ると、天気は回復するようだから、もう少し気温が上がればこの霧も次第に晴れてくるだろう。今はまだ太陽の位置すら分からない。

 昨日は小入笠の頭まで、電気牧柵の冬対策を行った。斜面の緩やかな所は2線のアルミ線の下段を上段のアルミ線と一緒にし、急な斜面は雪で支柱が折られないよう地面から抜き、その穴には翌年のため目印に木の枝や杭を差し込んでいく。この厄介な骨の折れる仕事を終わらせないと、安心して山を下れない。
 意外だったのは、電気牧柵はほぼ無傷で、鹿によるかなりの被害を予想していただけに安堵した。特に例年なら小入笠の頭の周辺は最もその被害が大きいはずが、何の問題もなかった。鹿たちも行儀が良くなったということか。
 
 作業を終えて、再点検をしながらゆっくりと下る。この電気牧柵も区画を広くするため、遠くの牧区から不要な支柱やアルミ線を持って来て張り直した。翌春、雪が下方へ移動するにつれその重みで何本もの支柱を駄目にしたのを見て、それ以後は先述した手のかかる冬対策を考え、始めたというわけだ。なお、アルミ線を上下一緒にするのは鹿対策である。
 過ぎた日のそんなことを思い出しながら色付いた周囲の景色を眺めていると、自然と湧いてくる感傷のようなものについ淫してしまう。自然の終章の美しさと意識が一緒になって熟れていくからだが、その深さ、味わいをどんな言葉で、どれほど褒め称えてみても意は尽くせない。
 毎年同じことを呟くが、誰かが言った。日本人の美学の特徴は頂点ではなく、それを過ぎた衰退の始まる中にあるのだと。確かに今はそういう時季であり、年齢でもある。



 やはり、霧が薄らいできた。美しい。いい秋の中で、きょうは草刈りに精を出そう。

 キャンプ場を含む「入笠牧場の宿泊施設のご案内」は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「秋」(55)

2022年10月17日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
    

 久しぶりに用事が出来てヒルデエラ(大阿原)へ行ってきた。午後遅くだったが、阿原(=湿原)は見頃を迎えた見事な錦繡の色に染まり、今年も地元の高校生が来たのだろうか、木道の両側のクマササが荒っぽく刈られてそのままになっていた。
 
 ヒルデエラにあんな立派な木道が出来た経緯は知らないが、何でも車椅子でも行けるようにということだったと聞いた。あそこは伊那の行政区ながら国有林の一部であり、恐らく高校生が協力するかたちで森林管理署が管理してきたのだろう。それにしても、木道に残るアイゼンの爪痕を見ると、想定の範囲のことかは知らないが、木道の将来が危ぶまれてしまう。
 その将来と言えば、この阿原・湿原も、すでにその兆候を見せていて、やがては草原に変わるものと見做されている。そうなれば木道は不要になるかも知れないが、草原を残すなら落葉松の実生から育つ幼木やカヤは厄介な相手となるだろう。
 高校の1年の学校登山で初めて青柳から歩いて入笠へ来た。泊まった山小屋以外で記憶に残るのは唯一この阿原で、さてそこに至る経路や、その後か前か当然登ったであろう入笠の山頂を含めて、全く記憶にない。なぜこの阿原だけが記憶の断片として残っているのか、ここへ来るとそのことを思い出し不思議に思う。もう、半世紀以上も前のことだ。

 昨夜は8時過ぎに寝て、4時少し過ぎに起きた。さっきから鹿の鳴く声がしきりとしている。囲い罠に入った囚われの鹿は昨日の朝に殺処分したのに、それでもかなり近くまで来ている。鉄砲の音には驚いただろうが、果たしてそれがどれほど自分たちの身に危険な物かを、あの鹿たちが理解できているのかどうかは疑がわしい。
 たった1頭の鹿を仕留める面倒な役を引き受けてくれたM君は、散弾銃の所持経験が10年を過ぎ、今年からライフルが使用できるようになった。銃はかの有名なブローニングである。散弾銃のぶっとい銃身んと比べそれより細い、鈍く黒光りしたライフルは、やはり銃器としての風格がある。ただし、狩猟の目的によっては、散弾銃の方が効率の良い場合もあるようだ。

 本来の牧守の仕事のことを考えると、まだまだいろいろとある。また、鹿の捕獲も、これだけで終えるわけにはいかない。
 今朝は朝から強い風が吹く。落葉松の葉は赤味の強いこげ茶色に変わった。やがて金色に染まり、落葉する。そのころにはここからでもきっと、雪の便りを送ることになるだろう。
 
 キャンプ場を含む「入笠牧場の宿泊施設のご案内」は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「秋」(54)

2022年10月15日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 遠くの浮かぶように見えている穂高や槍だけでなく、美ヶ原や霧ヶ峰、さらにもっと近くの守屋山なども、日毎に山肌の色合いを微妙に変えていく。その変化を毎日眺められることを感謝し、幸福だと思う。
 また同時に、ここで暮らす日々も残り少なくなってきたことを否が応でも意識している。さらに、人生に限りがあるように、この仕事にもそれがあることを、牛のいなくなった放牧地に立って感じている。

 秋の空は美しい。しかしそれだけでなく、その変化する様子が面白い。今朝、羊雲の浮かぶそんな大きな空を見せて上げようとご婦人連を第1牧区へ案内したが、こっちの意図が充分に伝わったかどうか、特にあの人には。軽トラが苦手なご婦人もいて、帰りは歩いて下りたいと言うので、お好きなようにと捨ててきた。

 昨日、第1牧区の冬支度を始め、電気牧柵も落とした。また以前から課題としていた追い上げ坂の区画変更も、そのために第6牧区と境を接する支柱を抜いたが、それではとても本数が足りそうもない。となれば、他にに使い回しが可能な牧柵は限られ、新たな課題が生まれた。どうするか。

 そんなことを考えながら、何気なく囲いの方を見たらゲートが落ちている。捕獲した頭数は不明だが、中に少なくも1頭の鹿がいることは間違いない、確認した。しかし、もしも本当にたったの1頭だけだとしたら、鉄砲撃ちは上がってくるだろうか。
 逃げ場所を探して囲いの際(きわ)を移動するのが鹿の行動癖だから、どこかにくくり罠を仕掛け、それで捕らえることもできないではないが、これには手がかかる。たった1頭のために、そんな面倒なことはしたくないが、と言って、今度は無罪放免とはいかない。
 キャンプ場に人がいて、しかもあの人がいて鹿が罠に入るとは、まったくの驚きだ。

 キャンプ場を含む「入笠牧場の宿泊施設のご案内」は下線部をクリックしてご覧ください。
 本日はこの辺で。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

     ’22年「秋」(53)

2022年10月14日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 森は輝いていた。夜露でしっとりと濡れた峠から上は、朝の日を浴びて樹々の枝に残るその露が光り、そうでない光の届かない森との明と暗の対比を見せて、いつもとは違った印象を与えてくれた。晴れた日の森や林、曇りの日、そして雨の日と、そんな大まかな分け方でも幾つもの違った表情を見せてくれるのに、実際はもっと繊細で、例えばこの季節の雨の森でも驚くほど多彩な表情を見せてくれる名優である。
 昨日行った身延の原生林は南アルプスを構成する山域だけに、久しぶりに訪れた深山の趣はそれはそれで良かった。信州でよく目にする落葉松の人工林はなく、急峻な山腹を覆う自然林と古杉(こさん)が見せる山容は懐かしいものを見たような気がした。それでも、入笠の長年馴染んだ森や林に帰ってくると、やはりここに最も安堵感を覚える。

 きょうも囲い罠に鹿の姿はない。一昨日山を下りる前に、誘引のために丁寧に塩を何箇所かに施しておいたというのに、効果はなかったようだ。牛が下牧した日が先月の21日だから、もうすぐ1ヶ月になる。これまでに、これほど長く捕獲できなかったことがあっただろうか。
 やはり案じていたように、逃亡した鹿によってこの囲いが人の仕掛けた恐ろしい罠であることを、自らの体験を交えて仲間に教えたとでもいうのだろうか。だとしたら、鹿の能力を見くびっていたことになる。
 猟師によっては、人工的な臭気を消すため、道具だけでなく自分の体臭さえも気にかける人の話は聞いている。罠掛けの指導してくれた人もそういう人だった。また、捕獲した鹿を銃を使って殺せば飛散した血の匂いで、鹿は囲いに近付かなるとも教えられた。だが、ここではそういう話は悉く打ち消された気がした。それになにより、あの立て続けに聞える銃声こそ、鹿にとってはここの場所としったであろうに、翌々日には捕獲したことさえある。
 幸いというのか、その後下では諦めたのか何も言ってはこない。しかし、それでは新米にありつけるのはまだ先のことになる。きょうも5名ほどのご婦人連がキャンプに来ている。鹿たちもボツボツ下に移動するだろう。雄鹿には激しく敵愾心を燃やしているが、ウムー、どうなることやら。

 写真は本年最後のツタウルシ。もうこの呟きに、この植物の写真は添えないつもりだ。気温や雨に耐えて、よくここまで保ってくれた。華やかさの中に見せ始めた翳りは、紅葉の先駆けとなったツタウルシには似合わない。また来年を楽しみにしたい。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする