昭和十六年九月二十四日、軍令部の作戦室でハワイ作戦に関する首脳会議が開かれた。軍令部からの出席者は、第一部長・福留繁少将、第一課長・富岡定俊大佐以下、神重徳中佐ら第一課の全員だった。
連合艦隊からは参謀長・宇垣少将、先任参謀・黒島亀人大佐、航空参謀・佐々木彰中佐(広島・海兵五一・海大三四・海大教官・大佐・第三航空艦隊参謀)、第一航空艦隊参謀長・草鹿少将、先任参謀・大石保中佐(高知・海兵四八・海大三〇・砲艦「嵯峨」艦長・興亜院調査官・第一航空艦隊先任参謀・海大教官・特設巡洋艦「愛国丸」艦長・大佐・兵備局第三課長・横須賀突撃隊司令・少将)、航空甲参謀・源田実中佐が出席した。
軍令部は南方の資源獲得のため、陸軍の上陸作戦を援護するため、フィリピンをはじめ南方方面の空襲する方針で、そのための空母の必要性を主張した。
そのため、ハワイ空襲に空母を動員すると、南方の資源獲得の目途が立たなくなる。ハワイ作戦などをやる余裕はない。
これに対して連合艦隊はハワイ空襲を第一の目的としている。軍令部と連合艦隊の毎度おなじみの議論による渡り合いだった。会議は当然紛糾した。
福留繁少将「奇襲なんてありえないですよ。かならず敵に発見されて強襲になる。ハワイは捨ててあくまで南方資源地帯の確保を優先すべきである。開戦日は十一月二十日ごろ」。
神重徳中佐「奇襲以上に補給が問題。荒れた北洋で各艦へすんなり給油ができるとは思えない。失敗すれば惨敗必至です。それに雷撃が困難だからといって爆撃だけで戦果があがるとは思えない」。
源田実中佐「敵艦隊がマウイ島にある場合、雷撃で戦艦八隻は撃沈できます。戦時低下率を見込んでも四ないし六隻は沈められる。敵が真珠湾にいる場合は、艦爆八十機で飛行場を制圧します。空母は艦爆五十四機で攻撃、空母三隻は大丈夫、撃沈できます。飛行場をすてて艦船攻撃に集中する場合は、戦艦二、三隻、空母三は固いところです」。
佐々木彰中佐「奇襲の成否を論じても、所詮は水掛け論です。断行すべきです。我が航空部隊の練度は驚異的に向上している。たとえ強襲になったとしても、必ず戦果はあがります」。
黒島大佐も熱弁をふるった。ハワイ奇襲最優先の持論を展開した。いつもはあまり発言しない宇垣纏少将も積極的だった。大艦巨砲主義の宇垣少将も連合艦隊へ着任してからはハワイ奇襲作戦支持に変わっていた。
宇垣纏少将「準備不足なら開戦日を十二月まで遅らせてでもハワイ作戦を決行するべきである。そのほうが作戦全般を円滑に進行させうる。南方作戦が円滑に運ぶとすれば、ハワイ作戦の前提あってのことだと私は思う」。
腹立たしいのは肝腎の実行部隊である第一航空艦隊の参謀長・草鹿龍之介少将と先任参謀・大石保中佐がハワイ作戦に消極的であることだった。
草鹿龍之介少将「戦術的に見てハワイ作戦は有望だが、戦略的、攻略的効果は疑問である。成功してもその場の勝利で終わるのではないか。やはり南方作戦のほうが重要である。それでなくとも兵力が不足なのだから、南方に兵力を集中し、一気に資源地隊を占領すべきだ」。
大石保中佐「敵機の哨戒機が三百浬までなら航路選定は楽だが、四百浬であれば奇襲は不可能。また洋上の燃料補給は風速十一メートル以上では極めて困難です。二つの点から空母をハワイに接近させる見込みが立ちません」。
ハワイ奇襲作戦賛成論者は連合艦隊の三名と一航艦一名の四名に過ぎなかった。反対の軍令部からは二十名ぐらいが出席している。反対論者が大勢で団結し、黒島大佐ら賛成派を口々に吊るし上げる状況になってしまった。
この会議は、山本長官や永野軍令部総長、伊藤次長らがいると、本音を出しにくいから、宇垣参謀長、福留第一部長以下が話し合おうと、山本長官には内緒で開いたものだった。
だが、この会議の結果を、山本長官の耳に入れないのもまずい。宇垣少将、黒島大佐らは、横須賀の旗艦、戦艦「長門」にひとます戻り、会議のいきさつを山本長官に報告した。
「バカモン。戦は自分がやる。そんな会議などやってもらわんでよろしい」。山本長官は大いに怒った。山本長官の怒りのおもな標的になったのは参謀長・宇垣少将だった。
十月三日、第一航空艦隊の参謀長草鹿龍之介少将と、第十一航空艦隊の大西瀧治郎少将が、戦艦「陸奥」にやって来た。連合艦隊司令長官・山本五十六大将にハワイ奇襲作戦の中止を進言しに来たのだ。当時、戦艦「長門」は修理・点検のため、連合艦隊の旗艦は「陸奥」になっていた。
連合艦隊からは参謀長・宇垣少将、先任参謀・黒島亀人大佐、航空参謀・佐々木彰中佐(広島・海兵五一・海大三四・海大教官・大佐・第三航空艦隊参謀)、第一航空艦隊参謀長・草鹿少将、先任参謀・大石保中佐(高知・海兵四八・海大三〇・砲艦「嵯峨」艦長・興亜院調査官・第一航空艦隊先任参謀・海大教官・特設巡洋艦「愛国丸」艦長・大佐・兵備局第三課長・横須賀突撃隊司令・少将)、航空甲参謀・源田実中佐が出席した。
軍令部は南方の資源獲得のため、陸軍の上陸作戦を援護するため、フィリピンをはじめ南方方面の空襲する方針で、そのための空母の必要性を主張した。
そのため、ハワイ空襲に空母を動員すると、南方の資源獲得の目途が立たなくなる。ハワイ作戦などをやる余裕はない。
これに対して連合艦隊はハワイ空襲を第一の目的としている。軍令部と連合艦隊の毎度おなじみの議論による渡り合いだった。会議は当然紛糾した。
福留繁少将「奇襲なんてありえないですよ。かならず敵に発見されて強襲になる。ハワイは捨ててあくまで南方資源地帯の確保を優先すべきである。開戦日は十一月二十日ごろ」。
神重徳中佐「奇襲以上に補給が問題。荒れた北洋で各艦へすんなり給油ができるとは思えない。失敗すれば惨敗必至です。それに雷撃が困難だからといって爆撃だけで戦果があがるとは思えない」。
源田実中佐「敵艦隊がマウイ島にある場合、雷撃で戦艦八隻は撃沈できます。戦時低下率を見込んでも四ないし六隻は沈められる。敵が真珠湾にいる場合は、艦爆八十機で飛行場を制圧します。空母は艦爆五十四機で攻撃、空母三隻は大丈夫、撃沈できます。飛行場をすてて艦船攻撃に集中する場合は、戦艦二、三隻、空母三は固いところです」。
佐々木彰中佐「奇襲の成否を論じても、所詮は水掛け論です。断行すべきです。我が航空部隊の練度は驚異的に向上している。たとえ強襲になったとしても、必ず戦果はあがります」。
黒島大佐も熱弁をふるった。ハワイ奇襲最優先の持論を展開した。いつもはあまり発言しない宇垣纏少将も積極的だった。大艦巨砲主義の宇垣少将も連合艦隊へ着任してからはハワイ奇襲作戦支持に変わっていた。
宇垣纏少将「準備不足なら開戦日を十二月まで遅らせてでもハワイ作戦を決行するべきである。そのほうが作戦全般を円滑に進行させうる。南方作戦が円滑に運ぶとすれば、ハワイ作戦の前提あってのことだと私は思う」。
腹立たしいのは肝腎の実行部隊である第一航空艦隊の参謀長・草鹿龍之介少将と先任参謀・大石保中佐がハワイ作戦に消極的であることだった。
草鹿龍之介少将「戦術的に見てハワイ作戦は有望だが、戦略的、攻略的効果は疑問である。成功してもその場の勝利で終わるのではないか。やはり南方作戦のほうが重要である。それでなくとも兵力が不足なのだから、南方に兵力を集中し、一気に資源地隊を占領すべきだ」。
大石保中佐「敵機の哨戒機が三百浬までなら航路選定は楽だが、四百浬であれば奇襲は不可能。また洋上の燃料補給は風速十一メートル以上では極めて困難です。二つの点から空母をハワイに接近させる見込みが立ちません」。
ハワイ奇襲作戦賛成論者は連合艦隊の三名と一航艦一名の四名に過ぎなかった。反対の軍令部からは二十名ぐらいが出席している。反対論者が大勢で団結し、黒島大佐ら賛成派を口々に吊るし上げる状況になってしまった。
この会議は、山本長官や永野軍令部総長、伊藤次長らがいると、本音を出しにくいから、宇垣参謀長、福留第一部長以下が話し合おうと、山本長官には内緒で開いたものだった。
だが、この会議の結果を、山本長官の耳に入れないのもまずい。宇垣少将、黒島大佐らは、横須賀の旗艦、戦艦「長門」にひとます戻り、会議のいきさつを山本長官に報告した。
「バカモン。戦は自分がやる。そんな会議などやってもらわんでよろしい」。山本長官は大いに怒った。山本長官の怒りのおもな標的になったのは参謀長・宇垣少将だった。
十月三日、第一航空艦隊の参謀長草鹿龍之介少将と、第十一航空艦隊の大西瀧治郎少将が、戦艦「陸奥」にやって来た。連合艦隊司令長官・山本五十六大将にハワイ奇襲作戦の中止を進言しに来たのだ。当時、戦艦「長門」は修理・点検のため、連合艦隊の旗艦は「陸奥」になっていた。