■毎年恒例の高崎高校同窓会新年総会が、今年2018年1月27日(土)に開催されました。これまでずっと会場だった高崎ビューホテルが今年1月元旦をもって撤退したため、あたらしく高崎神社境内にあるホワイトインで設営されました。位置的には高崎ビューホテルから西に徒歩3分ですが、北高崎駅から歩いてゆくと、入口が最初よくわかりませんでした。
※式次第:PDF ⇒ 20180127zvnw.pdf
↑1階ロビーのクローク。↑
会場は神社が経営しているだけに、もともと神前結婚式場向けに営業しているため、かなり式典会場の雰囲気が異なることが予想されました。
1階ロビーで上着の荷物を預けて13番の引換券をもらい、エレベーターで4階の受付に上がり、手続きを済ませて、しばし午後3時の開始時間まで奥の待合スペースで待機していました。15分前に「総会出席のかたは一つ上の5階に移動願います」の声がかかりました。
↑開会前の会場の様子。これまでの会場に比べると明らかに狭い。↑
階段を上り5階で立ち並ぶ幹事の皆さんの誘導にしたがって入場すると、たしかにこれまでよりもかなり狭く感じました。すぐ左手に吹奏楽部の皆さんが座る場所があり、正面には同窓会海保の雛壇があり、右奥に同窓会幹事や事務局関係者が陣取るという配置でした。また前4列は来賓・招待客の着席予定場所として座席に名札がついていたため、5列目の中央付近に着席しました。
開会10分前になるとこれまた恒例の吹奏楽部の皆さんによる演奏が始まりました。指揮はOBの井上晴比古氏です。最初の曲はヨハン・セバスチャン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、2曲目はヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。そして3曲目は恒例のヨハン・シュトラウス1世作曲の「ラデツキー行進曲」で、演奏と一緒に手拍子するのが習わしの曲です。
↑演奏後の吹奏楽部の皆さんの挨拶。↑
↑来賓の前高同窓会幹部の皆さんの挨拶。↑
定刻に司会者が会式を告げた後、69期の阿久澤副会長が開会の言葉を発しました。
「今週初めの雪を挟んで大変寒い日が続いておりますけれども、同窓生の皆様には元気で、そしてこんなに大勢ご出席を賜りまして誠にありがとうございます。只今より、第116回群馬県立高崎中学校並びに高崎高等学校同窓会総会を開会いたします。よろしくお願いを申し上げます」
続いて、校歌斉唱、物故会員黙とうを行いました。司会によれば昨年末には同窓会顧問の50期の横田英一氏他界されたほか、幹事期の87期生で在学中に無くなくなられた白石ケンジ君の33回忌にあたるなど、亡くなったすべての同窓生を偲ぶべく全員で黙とうを捧げました。
その後、67期の串田紀之同窓会長が挨拶されました。
「皆さん、今日は。明けましておめでとうございます。旧年中はいろいろお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。今日は、第116回群馬県立高崎中学校、群馬県立高崎高等学校の同窓会総会ということでご案内しましたところ、お忙し中、また寒い中、大勢の方にお見えいただきましてありがとございました。今年は87期の静代表幹事他大勢のかたにより準備をしていただきました。87期というふうにいうと、私が20年前ちょうど67期ですから、ちょうど20年前大変な思いをしながらこの催しを用意したことを思い出しました。あっという間に20年が過ぎました。今年の新しい試みとして、ビューホテルがご案内のとおり撤退ということがありました。そんな中でホワイトインということで新たに設営させていただきました。また今日は前橋同窓会の曽我さん、そして今井さん、戸川さんということでお呼びいたしました。これも新しい試みでございます。まあ、思い起こすと去年は120年周年の式典が5月20日に音楽センターさんで、ビューホテルで懇親会というちことで盛大にさせていただきました。皆さんのおかげで無事に終了いたしました。あらためて感謝申し上げます。私ごとなんですが、〇周年の事業と言うと、私もちょうど100周年の記念式典がちょうど高校の同窓会の会長をやっていて、110周年がここにおられる原会頭の前会長の隣で役を仰せつかりながらやった記憶があります。そしてまた120周年ということで、まあうれしいんだか悪いんだか分かりませんですが、記念に残る式典をやらさせていただきました。あらためて感謝申し上げます。これからのセンター試験等について丸山副校長から生徒の活躍についてはお話があると思います。今日は議事も大変多ございますもので、スムースに議事が進行することをお願いいたしまして、簡単ですが挨拶に替えさせていだたきます。今日はどうもありがとうございました」
次に、母校高崎高校の78期の加藤聡校長先生が挨拶されました。
「皆さん、明けましておめでとうございます。昨年の4月に本校の校長に就任しました78期の加藤聡でございます。よろしくお願い申し上げます。昨年、いろいろお世話になりまして、無事120周年、節目の年を終えることができました。つつがなく終えることができました。ありがとうございました。今年は創立121年目を迎えることとなります。私は常日ごろ考えていますのは、日ごろのひとつ一つの小さな積み重ねが大きな実になって、実を結ぶと、こういうふうなことでございます。今年の学校のスローガンといたしまして、同窓会総会のこのレジメのところにさりげなく書かせていただいたんですけど、「勇往邁進」。この言葉を掲げさせていただきました。ご存知のとおり「 」とは、忙しく突き進むこと。言い換えれば困難をものともせず一途に目的に向かって進んでいくと、いうふうなことでございます。今後も学校全体で失敗を恐れずに高崎高校にふさわしい教育活動を行っていきたいと思っております。今年もこれまでと同様、そしてそれ以上に同窓会の皆々様にいろいろとご支援をいただくことになると思いますが、よろしくお願いを申し上げます。これを持ちまして私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました」
そして恒例の今年度の叙勲表彰者のみなさんに記念品が贈呈されました。今年度表彰者は次のとおりです。
旭日小綬章(秋の叙勲) 茂木 渉 55期 79県青色申告会連合会長=高崎.
旭日重光章(秋の叙勲) 上野公成 57期 78元官房副長官
旭日双光章(春の叙勲) 月岡鬨夫 58期 76元群馬県医師会長=高崎
旭日双光章(春の叙勲) 小林輝男 61期 73元群馬県プラスチックス工業振興協会会長・株式会社小林製作所会長
文部科学大臣賞 中田 洋 61期 中田洋72学校歯科医(高崎)
瑞宝小綬章(秋の叙勲) 寺澤康行 62期 72元県理事=高崎
瑞宝小綬章(秋の叙勲) 栗原 ●(サトシ) 元校長(第29代) 71教育功労:元公立高等学校長=前橋市
瑞宝中綬章(秋の叙勲) 松本 修 65期 70元運輸省大臣官房審議官
黄綬褒章(秋の叙勲) 阿久澤茂 69期 66阿久沢電機社長=高崎
↑出席された表彰者の皆さん。↑
表彰者を代表して月岡鬨夫(ときお)氏が挨拶をされました。
↑月岡OBの代表挨拶。↑
「58期の月岡でございます。本日はどうもありがとうございました。皆様を代表しまして一番年長だということなので、ご挨拶をしたいと思います。私は去年の春の叙勲だったものですから、もう大体のことは終わっていてもう何もないのかと思ったら、思いかけずこのように記念品をいただきました。非常によかった、ラッキーだったなと思っております。今年は、白根が噴火したり、大雪が降ったり、あまりいいことがなかったんですけども、私にとって素晴らしい年の始め入りだというふうに思っております。私、25年間、主に医師会の役員をしておりまして、それで叙勲していただきました。で、医師会の役員をやっていますと、高高の卒業生というのは群馬県中にいっぱい散らばっております。その先生方のご協力を得ましたし、また、高崎市、それから群馬県の行政の方々、関係団体の方がた、非常に、高高出身者と、こういうことで、ご懇意願ったということが多々ございました。高高のネットワークというのは群馬県中、まあ、全国的にもそうなんですがかなり広く張り巡らされているというふうに実感しております。おかげで、自分の仕事をまっとうできました。私、58期というのは、昭和31年から34年にかけて高高に在籍したものでございます。この時代はちょっと特殊な時代でして、高高の校徽を、徽章ですね、選定したのも僕らの時代です。僕が高校2年の時、同級生の藤間君というのが考案しました。校歌もこの時代にできまして、草野心平という人が、詩人ですけれども高高に来ていたのを見ています。そういう時代で、同窓会報にも書きましたが、私の人生で一番楽しかったのは高校時代だと。もう一回帰るなら高高に帰りたい。その様に素晴らしい想い出を作っていただいた高高、それから、いろいろ協力戴いた高高関係者の方々、それの方がたにお礼を申し、かつご健勝、ご繁栄をご祈念し挨拶に替えさせていただきます。今日はどうもありがとうございました」
↑翠らん育英会の感謝状授与者の皆さん。↑
続いて翠らん育成会から寄付者に感謝状が贈られました。
↑同窓会ゴルフ大会の案内説明をする81期の岩井OB(県議)。↑
↑坂本副会長の閉会の言葉。↑
そして議事・報告事項を討議し、母校の現況報告が丸山正副校長の軽妙なトークで行われ、最後に坂本正樹副会長が閉会の言葉で締めくくりました。
↑来賓の前高同窓会幹部の皆さんの挨拶。↑
今回は、初めての試みとして、前橋高校同窓会幹部として、曽我孝之会長、今井洋副会長、都丸正樹副会長が来賓として招かれ参加しました。今後、相互に同窓会幹部による交流が行われるものと見られます。
■予定より15分ほどオーバーして総会が終了し、午後5時15分から一つ上の階で同総会懇親会が開かれました。
↑校旗入場。↑
いつもと会場が異なっていた為、同期生のたむろす場所が最初分かりにくかったのですが、大体同じ方角に陣取っていたので、まもなく集合出来ました。
↑懇親会開始。↑
↑今年のアトラクションはベリーダンスパフォーマンス。↑
同じテーブルに女性の卒業生がいたので、声をかけると通信制の卒業生とのことでした。その周りにも通信制卒業生のかたがおられたので、かねてから疑問に思っていたことを着てみました。「ところで高崎高校通信制中退というのはどのように考えればよいのでしょうか」と訊ねたところ、通信制では中退と言う資格の概念そのものが存在しないとのことで、「えー、そんな資格があるのぉ~?」と言われてしまいました。
「当方もそう思うのですが、実際にそのように資格を名乗っている人物が存在します。4月8日に安中市長選挙が告示されますが、立候補者のひとりが学歴欄にそう書いているので、新聞報道にご注目ください」と説明しました。
通信制卒業生のかたによれば、通信制高校を中途退学した場合は、決してプラスになるようなことはないそうです。なぜなら、公的な学歴は中卒となり、通信制高校中退というと「長続きしない人材」と判断されることがあるからで、就職の面接時に、なぜ中退することになったのかを明確に説明できるようにしなければならないだろうということです。
↑引継ぎキーの伝達式。↑
↑次期幹事88期の挨拶。↑
↑前回までの会場だったホテルグランビュー高崎(旧・高崎ビューホテル)は、見た目は殆ど変わりない。↑
アトラクションを交えて歓談が1時間ほど続き、最後に、次期88期にキーの伝達式が行われ、全員でクラス会の歌と応援歌「翠らん」を斉唱して閉会しました。
その後はそれぞれの同期会が柳川町界隈で、夜のふけるまで続いたのでした。
↑同期会会場。↑
↑同期会会場巡りに余念のない富岡・高崎市長。↑
【ひらく会情報部】
※式次第:PDF ⇒ 20180127zvnw.pdf
↑1階ロビーのクローク。↑
会場は神社が経営しているだけに、もともと神前結婚式場向けに営業しているため、かなり式典会場の雰囲気が異なることが予想されました。
1階ロビーで上着の荷物を預けて13番の引換券をもらい、エレベーターで4階の受付に上がり、手続きを済ませて、しばし午後3時の開始時間まで奥の待合スペースで待機していました。15分前に「総会出席のかたは一つ上の5階に移動願います」の声がかかりました。
↑開会前の会場の様子。これまでの会場に比べると明らかに狭い。↑
階段を上り5階で立ち並ぶ幹事の皆さんの誘導にしたがって入場すると、たしかにこれまでよりもかなり狭く感じました。すぐ左手に吹奏楽部の皆さんが座る場所があり、正面には同窓会海保の雛壇があり、右奥に同窓会幹事や事務局関係者が陣取るという配置でした。また前4列は来賓・招待客の着席予定場所として座席に名札がついていたため、5列目の中央付近に着席しました。
開会10分前になるとこれまた恒例の吹奏楽部の皆さんによる演奏が始まりました。指揮はOBの井上晴比古氏です。最初の曲はヨハン・セバスチャン・バッハ「主よ、人の望みの喜びよ」、2曲目はヨハン・シュトラウス2世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。そして3曲目は恒例のヨハン・シュトラウス1世作曲の「ラデツキー行進曲」で、演奏と一緒に手拍子するのが習わしの曲です。
↑演奏後の吹奏楽部の皆さんの挨拶。↑
↑来賓の前高同窓会幹部の皆さんの挨拶。↑
定刻に司会者が会式を告げた後、69期の阿久澤副会長が開会の言葉を発しました。
「今週初めの雪を挟んで大変寒い日が続いておりますけれども、同窓生の皆様には元気で、そしてこんなに大勢ご出席を賜りまして誠にありがとうございます。只今より、第116回群馬県立高崎中学校並びに高崎高等学校同窓会総会を開会いたします。よろしくお願いを申し上げます」
続いて、校歌斉唱、物故会員黙とうを行いました。司会によれば昨年末には同窓会顧問の50期の横田英一氏他界されたほか、幹事期の87期生で在学中に無くなくなられた白石ケンジ君の33回忌にあたるなど、亡くなったすべての同窓生を偲ぶべく全員で黙とうを捧げました。
その後、67期の串田紀之同窓会長が挨拶されました。
「皆さん、今日は。明けましておめでとうございます。旧年中はいろいろお世話になりました。本年もよろしくお願い申し上げます。今日は、第116回群馬県立高崎中学校、群馬県立高崎高等学校の同窓会総会ということでご案内しましたところ、お忙し中、また寒い中、大勢の方にお見えいただきましてありがとございました。今年は87期の静代表幹事他大勢のかたにより準備をしていただきました。87期というふうにいうと、私が20年前ちょうど67期ですから、ちょうど20年前大変な思いをしながらこの催しを用意したことを思い出しました。あっという間に20年が過ぎました。今年の新しい試みとして、ビューホテルがご案内のとおり撤退ということがありました。そんな中でホワイトインということで新たに設営させていただきました。また今日は前橋同窓会の曽我さん、そして今井さん、戸川さんということでお呼びいたしました。これも新しい試みでございます。まあ、思い起こすと去年は120年周年の式典が5月20日に音楽センターさんで、ビューホテルで懇親会というちことで盛大にさせていただきました。皆さんのおかげで無事に終了いたしました。あらためて感謝申し上げます。私ごとなんですが、〇周年の事業と言うと、私もちょうど100周年の記念式典がちょうど高校の同窓会の会長をやっていて、110周年がここにおられる原会頭の前会長の隣で役を仰せつかりながらやった記憶があります。そしてまた120周年ということで、まあうれしいんだか悪いんだか分かりませんですが、記念に残る式典をやらさせていただきました。あらためて感謝申し上げます。これからのセンター試験等について丸山副校長から生徒の活躍についてはお話があると思います。今日は議事も大変多ございますもので、スムースに議事が進行することをお願いいたしまして、簡単ですが挨拶に替えさせていだたきます。今日はどうもありがとうございました」
次に、母校高崎高校の78期の加藤聡校長先生が挨拶されました。
「皆さん、明けましておめでとうございます。昨年の4月に本校の校長に就任しました78期の加藤聡でございます。よろしくお願い申し上げます。昨年、いろいろお世話になりまして、無事120周年、節目の年を終えることができました。つつがなく終えることができました。ありがとうございました。今年は創立121年目を迎えることとなります。私は常日ごろ考えていますのは、日ごろのひとつ一つの小さな積み重ねが大きな実になって、実を結ぶと、こういうふうなことでございます。今年の学校のスローガンといたしまして、同窓会総会のこのレジメのところにさりげなく書かせていただいたんですけど、「勇往邁進」。この言葉を掲げさせていただきました。ご存知のとおり「 」とは、忙しく突き進むこと。言い換えれば困難をものともせず一途に目的に向かって進んでいくと、いうふうなことでございます。今後も学校全体で失敗を恐れずに高崎高校にふさわしい教育活動を行っていきたいと思っております。今年もこれまでと同様、そしてそれ以上に同窓会の皆々様にいろいろとご支援をいただくことになると思いますが、よろしくお願いを申し上げます。これを持ちまして私の挨拶とさせていただきます。ありがとうございました」
そして恒例の今年度の叙勲表彰者のみなさんに記念品が贈呈されました。今年度表彰者は次のとおりです。
旭日小綬章(秋の叙勲) 茂木 渉 55期 79県青色申告会連合会長=高崎.
旭日重光章(秋の叙勲) 上野公成 57期 78元官房副長官
旭日双光章(春の叙勲) 月岡鬨夫 58期 76元群馬県医師会長=高崎
旭日双光章(春の叙勲) 小林輝男 61期 73元群馬県プラスチックス工業振興協会会長・株式会社小林製作所会長
文部科学大臣賞 中田 洋 61期 中田洋72学校歯科医(高崎)
瑞宝小綬章(秋の叙勲) 寺澤康行 62期 72元県理事=高崎
瑞宝小綬章(秋の叙勲) 栗原 ●(サトシ) 元校長(第29代) 71教育功労:元公立高等学校長=前橋市
瑞宝中綬章(秋の叙勲) 松本 修 65期 70元運輸省大臣官房審議官
黄綬褒章(秋の叙勲) 阿久澤茂 69期 66阿久沢電機社長=高崎
↑出席された表彰者の皆さん。↑
表彰者を代表して月岡鬨夫(ときお)氏が挨拶をされました。
↑月岡OBの代表挨拶。↑
「58期の月岡でございます。本日はどうもありがとうございました。皆様を代表しまして一番年長だということなので、ご挨拶をしたいと思います。私は去年の春の叙勲だったものですから、もう大体のことは終わっていてもう何もないのかと思ったら、思いかけずこのように記念品をいただきました。非常によかった、ラッキーだったなと思っております。今年は、白根が噴火したり、大雪が降ったり、あまりいいことがなかったんですけども、私にとって素晴らしい年の始め入りだというふうに思っております。私、25年間、主に医師会の役員をしておりまして、それで叙勲していただきました。で、医師会の役員をやっていますと、高高の卒業生というのは群馬県中にいっぱい散らばっております。その先生方のご協力を得ましたし、また、高崎市、それから群馬県の行政の方々、関係団体の方がた、非常に、高高出身者と、こういうことで、ご懇意願ったということが多々ございました。高高のネットワークというのは群馬県中、まあ、全国的にもそうなんですがかなり広く張り巡らされているというふうに実感しております。おかげで、自分の仕事をまっとうできました。私、58期というのは、昭和31年から34年にかけて高高に在籍したものでございます。この時代はちょっと特殊な時代でして、高高の校徽を、徽章ですね、選定したのも僕らの時代です。僕が高校2年の時、同級生の藤間君というのが考案しました。校歌もこの時代にできまして、草野心平という人が、詩人ですけれども高高に来ていたのを見ています。そういう時代で、同窓会報にも書きましたが、私の人生で一番楽しかったのは高校時代だと。もう一回帰るなら高高に帰りたい。その様に素晴らしい想い出を作っていただいた高高、それから、いろいろ協力戴いた高高関係者の方々、それの方がたにお礼を申し、かつご健勝、ご繁栄をご祈念し挨拶に替えさせていただきます。今日はどうもありがとうございました」
↑翠らん育英会の感謝状授与者の皆さん。↑
続いて翠らん育成会から寄付者に感謝状が贈られました。
↑同窓会ゴルフ大会の案内説明をする81期の岩井OB(県議)。↑
↑坂本副会長の閉会の言葉。↑
そして議事・報告事項を討議し、母校の現況報告が丸山正副校長の軽妙なトークで行われ、最後に坂本正樹副会長が閉会の言葉で締めくくりました。
↑来賓の前高同窓会幹部の皆さんの挨拶。↑
今回は、初めての試みとして、前橋高校同窓会幹部として、曽我孝之会長、今井洋副会長、都丸正樹副会長が来賓として招かれ参加しました。今後、相互に同窓会幹部による交流が行われるものと見られます。
■予定より15分ほどオーバーして総会が終了し、午後5時15分から一つ上の階で同総会懇親会が開かれました。
↑校旗入場。↑
いつもと会場が異なっていた為、同期生のたむろす場所が最初分かりにくかったのですが、大体同じ方角に陣取っていたので、まもなく集合出来ました。
↑懇親会開始。↑
↑今年のアトラクションはベリーダンスパフォーマンス。↑
同じテーブルに女性の卒業生がいたので、声をかけると通信制の卒業生とのことでした。その周りにも通信制卒業生のかたがおられたので、かねてから疑問に思っていたことを着てみました。「ところで高崎高校通信制中退というのはどのように考えればよいのでしょうか」と訊ねたところ、通信制では中退と言う資格の概念そのものが存在しないとのことで、「えー、そんな資格があるのぉ~?」と言われてしまいました。
「当方もそう思うのですが、実際にそのように資格を名乗っている人物が存在します。4月8日に安中市長選挙が告示されますが、立候補者のひとりが学歴欄にそう書いているので、新聞報道にご注目ください」と説明しました。
通信制卒業生のかたによれば、通信制高校を中途退学した場合は、決してプラスになるようなことはないそうです。なぜなら、公的な学歴は中卒となり、通信制高校中退というと「長続きしない人材」と判断されることがあるからで、就職の面接時に、なぜ中退することになったのかを明確に説明できるようにしなければならないだろうということです。
↑引継ぎキーの伝達式。↑
↑次期幹事88期の挨拶。↑
↑前回までの会場だったホテルグランビュー高崎(旧・高崎ビューホテル)は、見た目は殆ど変わりない。↑
アトラクションを交えて歓談が1時間ほど続き、最後に、次期88期にキーの伝達式が行われ、全員でクラス会の歌と応援歌「翠らん」を斉唱して閉会しました。
その後はそれぞれの同期会が柳川町界隈で、夜のふけるまで続いたのでした。
↑同期会会場。↑
↑同期会会場巡りに余念のない富岡・高崎市長。↑
【ひらく会情報部】