新米ペアレントの営業日誌・営業中

2005年3月1日に秋田県大仙市にオープンした大曲ユースホステルのペアレント(経営者)が日々の出来事を送ります。

「光る君へ」のお陰で

2024-06-11 23:11:00 | 修験道

今年はNHKの大河ドラマで、平安時代を背景とした「光る君へ」が放映されています。2年前に鎌倉殿の13人も似たような時代のものでしたが、武家を中心に描き、本気の平安時代ものは2012年の平清盛以来のこと。平安時代のものは記録も少なく、特に今回の大河は戦いといっても刀ではなく謀略を使った政略闘争的なもので陰湿になりがちなためか、視聴率もあまり稼げないようです。

ただ、大河に採用となると、これもどうかとも思いますが、他の歴史番組なども多くが右へ倣えで平安時代を取り上げるようになります。残る資料が少ないことや、多くの人が知っていることが限られてしまうため、どの番組を見ても、内容的に大差のない似たような番組になってしまうのには閉口してしまいますが、それもテレビが人気稼業故、仕方のないことでしょう。

数年前に修験道というものをお勉強しました。古代から平安時代まで進み、鎌倉時代に入る頃に宗教(主に仏教)が貴族のものから庶民のものに移る過程がよくわからず、途中で頓挫しました。今回多くの平安時代を取り上げた番組を見ていて、平安から鎌倉に移る時の時代背景やその際の宗教的出来事が少し見えてきた気がしました。

歴史に詳しい方に言わせると、テレビで見たことを信じるの?ということにもなりそうですが、100%嘘を並べているわけではないでしょう。あとはテレビをきっかけに自分でお勉強(調べて)することになりそうで、今年の秋以降、再びこの辺をもう一度お勉強してみようかなと云う気になって来ています。果たして秋以降までその気持ちが続くかどうかは、また別問題です。また京都を中心とした平安時代の話と、蝦夷がまだ多かったと云われる秋田の歴史では、だいぶ話が違いそうですが。

時々

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羽黒山神社・蜂子皇子墓地

2019-07-13 23:55:59 | 修験道


昨日の庄内ツアーでは、昼食後、本日の本命である羽黒山神社に向かいました。平日ということもあり、山門すぐ近くの無料駐車場に止め、いざ。山門から一度降りて、そのあと2500段の石段とのこと。行けるところまで。降りて少しすると五重塔。ここから登りですが、雨が激しくなってきたので、断念して車で山頂の神社に。



この前の冬に「修験道」を調べ始め、東北の修験道はここから始まったとのことで、西の修験の元祖、役行者(えんのぎょうじゃ)と相対する東の修験の元祖、蜂子皇子(はちのこおうじ・除能太子)の墓があるとのことでした。その蜂子皇子は崇峻天皇の第三子だったこともあり、その墓地は東北で唯一、宮内庁が管轄するものになっているとのこと。ほとんどの観光客は羽黒山神社に行くのですが、その前にこの蜂子皇子の墓地を見学。羽黒山神社を見た後は、その隣にある蜂子堂も見てきました。



本来なら修験関係は、この周辺では湯殿山が本場で、そこではいまだに山駆けなども行われていますが、羽黒山は観光客メインなので、修験の雰囲気はほとんどなく、併設される歴史資料館でも祭りメインの展示になっていました。



今回はそれらのことの確認、いわゆる雰囲気を見に行くことが目的で、いざ本気で行く時には、もっと調べてからとなりますので、とりあえずは目的達成?!



汗と雨でベタベタになったので、羽黒山神社のあとは、三川まで戻り長沼温泉・ぽっぽの湯で入浴。以前は黒い湯でしたが、茶褐色に代わっていました。それでも特有のヨウ素臭はガッツリ体に沁み込みました。

のち
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東北で最古の修験道関連の史跡は?

2019-03-19 23:47:15 | 修験道
時間がある時には、この冬のお勉強のテーマ「修験道」について、少しずつ勉強しています。話が縄文時代から始まっているようなので、古い時代から見ていますが、とても幅広く、いろいろなことに関連しているようなので、時代が進みません。

ようやく平安時代まで来ていますが、ある程度、カタチになればと思いながら進めてはいるのですが、ただ単に歴史の話だけでは、当YHにある必要がありませんので、それが秋田や東北にどう結びつくのか、実際に見ることが出来るものがあるのか、なども調べています、

さすがに古い時代のものは、ほとんど見られないようです。一番古いとされるものは、羽黒山神社近くにある「蜂子皇子の墓」のようです。蜂子皇子は能除大師とも呼ばれた人で、湯殿山や月山など出羽三山の開山の祖と云われ、修験道の生みの親の一人とも云われる人。

諸説あるようですが、崇峻天皇(?~592年)の第三皇子とされているため、皇子の墓は東北で唯一の宮内庁の管轄になっているとのこと。知らないで行けば、何?誰?という感じなのでしょう。暖かくなったら、温泉巡りのついでに立ち寄ってみようかと思っています。

のち

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