先日来、発酵文化のお勉強で日本酒をまず調べていますが、現在秋田にある酒造会社は30社強で、かつて数百もあったことからは考えられない数とも云えます。統合、合併もあったようですが、廃業も多く見られ、現在残る酒造会社でも外部からの資本を入れて経営を続けているところが散見されます。
湯沢で古くから続く木村酒造(福小町)、横手の阿桜酒造(阿桜)、沼館酒造(館の井)、大館の北鹿(北鹿)など大手や知名度の高い蔵元でもそういった状況だと知って驚きました。
こうした苦境は一時日本酒の需要が大きく落ちたことに原因があるようで、30年前頃から純米や吟醸といった高級酒ブームが来る前に多くみられたようですが、どうも酒造業界自体の構造的問題もあるようです。
酒造家の中には、かつてその土地の大地主や大金持ちが酒造りを手掛けたことが多く、その理由としては小作からの米の余剰分の有効活用や、米に付加価値を付けるためと云った理由があったようです。その時代は原料となる米はタダみたいな値段で仕入れることが可能で、それが酒製造の発端とも云えるようです。その後の酒造りでは、米をお金を払って仕入れてとなるため、量を作ることや販売経費を抑えるなどの努力がないと経営として難しく、そのため酒蔵の統合や地域での販売限定といったことが行われていたようです。